第26話 同じ茶葉でも味が違いますわ!
——王宮会計監査室
前日、別の監査官が半信半疑で回した書類は、その日のうちに補足付きで戻ってきた。
「おい、昨日のあれ、本当にもう決裁通ったぞ」
「あそこの新人、意外とやるな」
「面倒な案件、今度ちょっと回してみるか」
昨日までは名前すら知らなかった者まで、「キャメロン」という名前を口にするようになっていた。
そして——。
♢
——第三文官執務室
「……キャメロン」
「はい」
「増えてるぞ」
「何がでしょうか」
「お前宛ての書類だよ!」
室長の抗議が、静かな執務室の天井に響く。
「確認依頼」の束が、今日は三枚に増えて机の端に置かれていた。
シードは置かれた書類の山を見上げ、いつもの真面目な顔で首を傾げる。
頭を抱える室長の横で、ちょうどその時、控えめなノックとともにドアが開いた。
リリアーナとマリーが、いつものように優雅な足取りで入ってくる。
リリアーナがシードの机に近づくと、シードは積まれた書類の山から顔を上げ、にこりと笑った。
「今日も来てくださったんですね」
「……!」
その笑顔を真正面から受けた瞬間、リリアーナの足が止まった。
普段のシードは穏やかではあるけれど、仕事中は真剣な顔をしていることが多い。だからこそ、不意に向けられた笑顔の威力は凄まじかった。
(うひゃあああ! 今、笑いましたわ! わたくしを見て笑ってくださいましたわ!)
危うく両手で顔を覆いそうになるのを、侯爵令嬢としての意地でなんとか堪える。
(落ち着きなさい、リリアーナ!ただの挨拶ですわ)
それなのに、どうしてこんなに嬉しいのか。
「ご、ごきげんよう、シード様」
なんとか令嬢らしく微笑み返したつもりだったが、声がほんの少しだけ上ずった。
隣にいるマリーがこちらを見た気がする。
見ないで。
今だけは絶対に見ないでほしい。
(ああ……今日も来てよかったですわ……!)
「今日はお顔を見に来ただけですわ。毎日お仕事で頑張っていらっしゃるシード様が、お元気かどうか確かめたくて」
微笑むリリアーナに、シードはわずかに頬を緩ませる。
「お気遣いありがとうございます。ご覧の通り、問題なく……そうだ、本日は私がお茶を淹れます」
シードがそう言って立ち上がろうとした瞬間、リリアーナの瞳がぱっと輝いた。
「まあ! シード様が入れてくださいますの!? 嬉しいですわ!」
大喜びするリリアーナに、シードは一度だけ目を瞬かせてからポットへ手を伸ばす。近くの文官が手元の書類からちらりと顔を上げた。室長まで、何となく二人の様子を見ている。
やがてシードは、丁寧な手つきでカップにハーブティーを注ぎ、リリアーナの前へと差し出した。
「お待たせしました。どうぞ」
リリアーナは両手で大切そうにカップを受け取り、ふうっと息を吹きかけてから一口含んだ。
「……美味しいですわ。シード様がお淹れになると、いつもより美味しく感じますのね」
「同じ茶葉ですよ?」
「そういう意味ではありませんの!」
少し慌てて頬を染めるリリアーナに、シードはきょとんとした顔で首を傾げる。
その微笑ましいやり取りに、近くの文官たちが小さくクスリと笑った。
リリアーナは恥ずかしさを誤魔化すように、カップを見つめてふと気づく。
「……シード様。今、三分きっちり待たれました?」
「以前いただいたメモに、そう書かれていましたよね」
「覚えていてくださったのですか?」
「ちゃんと読みましたから」
さらりと返された言葉に、リリアーナの胸が跳ねた。
(読みましたからって……! 一度読んだら忘れないシード様ですもの。きっと特別なことではないのでしょうけれど……それでも、こんな風に覚えていてくださるなんて、すごく嬉しいですわ……!)
顔が真っ赤になりそうになるのを必死に堪えながら、リリアーナは嬉しさを噛み締めた。
その時だった。
コン、コン。
静かな執務室に、ノックが響いた。
「失礼します」
落ち着いた声とともに現れたのは、淡い金髪の少年
——『ルイ』だった。
近くの文官が背筋を伸ばし、室長は何事もなかったように手元の書類へ顔を戻した。
しかし、その顔はなぜかあおく、顔色が悪い。
リリアーナはぱっと表情を輝かせた。
「まあ、ルイ様! いらしたのですね!」
リリアーナは足早に少年の元へ向かった。
だが、扉のところで足を止めたルイスは、リリアーナの姿を見た瞬間、朝から頭に残っていた夢が一気に蘇った。
(夢ではあんなに近くで……って、何を考えているんだ僕は)
顔を少し赤らめたルイスに、リリアーナは首を傾げた。
「ルイ様? どうかなさいましたの? お顔が少し赤いですわよ」
「……なんでもないよ。さっきまで外でちょっと考え事してたからかな」
「まあ、そうでしたのね。ルイ様とお会いできて嬉しいですわ!」
何事もないように「ルイ様」と呼んでニコッと笑うリリアーナ。
ルイスは「……ああ」と気のない返事をしながら、胸の内で密かに安堵していた。
ホッとしたのも束の間。
「シード様、ごちそうさまでした!」
リリアーナはすぐさまクルリと踵を返し、シードのいる方へと一直線に戻っていった。
ルイスはその背中をポカンと見つめた。
(……なんだよ)
さっきまで自分に笑っていたのに、シードには明らかに笑顔の種類が変わったように見えた。
(夢の中では、あんな顔で僕を見ていた気がするのに)
何が気に入らないのか、自分でもよく分からない。
ただ、二人が楽しそうに話しているのを見ていると、胸のあたりが少し落ち着かなかった。
何とも言えないモヤモヤを抱えたまま、ルイスは腕を組んで二人のやり取りを眺めていた。
その横で、マリーが口元をそっと隠した。
(まあ。ルイス殿下まで、お嬢様に振り回されていらっしゃる)
少しだけ、誇らしい。
やがて、リリアーナは満足そうに胸の前で手を合わせた。
♢
「そろそろ、僕は戻るよ」
ルイスが言うと、リリアーナはぱっと振り返った。
「まあ、ルイ様お戻りになりますの? では、ご一緒いたしましょう」
「……ああ」
思っていたより簡単に一緒に帰ることになった。
それだけなのに、さっきまで胸のあたりに引っかかっていたものが軽くなった気がした。
ルイスはリリアーナと共に執務室の出口へと歩き出した。
扉の近くまで来た時、ルイスはふと足を止め、振り返る。
シードが少し疲れたように首を傾げ、こわばった肩を大きく回していた。
その瞬間。
リリアーナの視線は完全にシードの肩へ向いていた。
(何か考えてるな)
ルイスは、目の前の少女の横顔と、仕事を再開したシードを交互に見る。
(本当に、あの男のことしか見てないな)
廊下へと弾むように歩き出すリリアーナの背中を見送りながら、ルイスは心の中でふと思った。
(……次に来るときは、もう少しくらい僕の方を見させてやる)
そこまで考えてから、ルイスはハッと足を止めかけた。
(……なんで僕がそんなことをする必要があるんだ?)
「ルイ様?」
リリアーナは不思議そうに首を傾ける。
「なんでもないよ、行こう」
ルイスとリリアーナは並んで歩き出す。
ルイスは朝から何度目か分からないため息をついたのであった。
今日も読んでいただき、ありがとうございます(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
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