第21話 きっかけ
「室長」
呼ばれて顔を上げた室長は、シードが手にしている書類の枚数を見て、嫌そうな顔をした。
「……何かあったか?」
「確認していただきたいものがあります」
「分かった。見せてくれ」
シードは自分の机へ戻り、四件の書類を並べた。室長も隣まで来ると、空いていた椅子を引き寄せて腰を下ろす。
「ヴェルデ商会から納入された消耗品についてです。まず、今日回ってきた財務局のものですが」
シードは一番上の請求書を室長の方へ向けた。
「上級筆記用紙、五百束。納品受領書も五百束です。単価と合計金額にも間違いはありません」
「なら、問題ないんじゃないのか?」
「僕も最初はそう思いました」
その横へ、倉庫管理課の記録を置く。
「ただ、財務局へ支給されたのは四百八十束です」
「……四百八十?」
室長の目が止まった。
シードが何か言うより先に、室長は自分で三枚の書類を見比べ始めた。
請求書は五百束。納品受領書も五百束。そして支給記録は四百八十束。
「残りは倉庫か?」
「在庫はゼロです」
「じゃあ……二十束は?」
「分かりません」
室長がもう一度、最初から数字を追った。
「他の部署に回した記録は?」
「ありませんでした」
「書き忘れか?」
「その可能性もあると思います」
「だよな」
室長は少し安心したように息を吐いた。
その反応を見てから、シードは残りの三件を机の上へ出した。
「なので、過去の記録も確認しました」
「……それが、その三つか」
「はい」
室長の顔から、さっき浮かんだ安心がすぐに消えた。
シードは三ヶ月前の記録から順番に見せていく。
第一文官室が購入した上級筆記用紙は一千束。そのうち支給されたのは九百六十束で、倉庫在庫はゼロ。
次は侍従職のインク。五百瓶が納品され、支給されたのは四百八十瓶。
さらに第二文官室の魔導ランプ用蝋燭は、二千本の納品に対して支給が千九百二十本。
室長は途中から何も言わなくなった。
一枚を見て、次の一枚を見る。
また最初の書類へ戻る。
「四十……二十……八十……」
口の中で数字を転がすように呟いてから、今回の財務局の書類を見る。
「それで、今回は二十束か」
「はい」
「……待てよ」
室長が机の上に指を置いたまま止まった。
シードは何も言わずに待つ。
しばらくして、室長が顔を上げた。
「これ、もしかして全部同じか?」
「四パーセントです」
「やっぱりか……」
室長は椅子へ深く座り直した。
そこへ、少し離れた机から声が飛んでくる。
「室長、どうしたんです?」
「いや……ちょっと待て。今見てる」
普段ならすぐ答える室長が珍しくそう返したせいか、声をかけた文官もそれ以上は聞かなかった。
シードは先ほど作った紙を室長の前へ置いた。
四件の請求数量と支給数量、それぞれの差だけを書き出したものだ。
室長はそれを見てから、シードを見る。
「これ、お前が計算したのか?」
「はい」
「いつ?」
「先ほどです」
「……早いな」
室長は返事をせず、また紙へ目を戻した。
一千束の四パーセントが四十束。
五百瓶なら二十瓶。
二千本なら八十本。
そして今回も五百束から二十束。
数字だけなら、それで終わりだった。
だが、シードが気になったのはもう一つある。
「室長。こちらも」
四枚の請求書を見やすいように並べる。
同じ位置に押された商会の刻印が見えるようにすると、室長は一番上の名前を読み、それから二枚目をめくった。
『ヴェルデ商会』
三枚目も。
四枚目も同じだった。
「……全部ここか?」
「はい」
「紙も、インクも、蝋燭も?」
「そうです」
「部署は全部違うんだよな」
「はい」
室長は腕を組んだ。さっきまで聞こえていた周囲の話し声も、いつの間にか少なくなっている。
別に皆が仕事を止めているわけではない。それでも近くの席にいれば、どうしても耳には入る。
「一件なら書き忘れで済むんだけどな……」
室長がぽつりと言った。
「僕も最初はそう思いました」
「四件あって、全部同じ商会で、しかも毎回同じ割合か」
室長はしばらく書類を眺めたあと、息を吐いた。
「これは、俺たちだけで触らない方がいいな」
「監査室へ確認をお願いした方がいいと思います」
「ああ。そうする」
話が決まると、室長は四件の書類を一つにまとめ始めた。
そこで手が止まった。
「……キャメロン」
「はい」
「最初のこれ」
室長が今日の財務局の書類を指で叩く。
「なんで気づいた?」
「五百束ですか?」
「そう。それだけ見たら何もおかしくないだろ」
「数日前に倉庫管理課の月次集計を確認しましたから」
「それは分かったんだが……」
室長が少し考える。
「財務局の紙が四百八十束だったって、覚えてたのか?」
「はい」
あっさり返すと、室長の眉が寄った。
「何日前だ?」
「五日前です」
近くで聞いていた文官が、そこで顔を上げた。
「五日前?」
「はい」
「月次集計って、あの分厚いやつだろ?」
「そうです」
「……どの辺に書いてあった?」
「後半です。倉庫から各部署への支給状況をまとめたところに」
「いや、そうじゃなくて」
文官が苦笑する。
「一回見ただけなんだろ?」
「はい」
「それで四百八十束って覚えてたのか」
シードは少し考えた。聞かれていることが、いまひとつ分からない。
「見ましたから」
文官が黙った。室長も何も言わない。
シードが二人を見ると、文官が椅子の背にもたれた。
「いや。キャメロンならそうなんだろうな」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ」
「?」
結局よく分からなかった。シードが首を傾げていると、別の席から小さく笑う声が聞こえた。
室長も少しだけ口元を緩めてから、手元の紙へ視線を戻す。
「じゃあ、この四パーセントもすぐ分かったのか?」
「二件目を確認したときに」
「二件目?」
「一千束に対して四十束。五百瓶に対して二十瓶なので、割合は同じです」
「それで三件目を?」
「同じものが他にもないか確認しました」
「……なるほどな」
室長はそう言ったものの、納得したというより、もう驚くのをやめたような顔だった。
「この紙は?」
「室長に見ていただくためです」
「自分用じゃないのか?」
「頭の中で分かっていたので」
今度は、隣の文官が声を出して笑った。
その言葉に、近くの机からも笑いが漏れた。
室長が書類を抱えて立ち上がった。
「とにかく、これは俺が監査室へ持っていく。キャメロンは続きを頼む」
「承知しました」
少しして、隣の文官がシードを見る。
「変わったな、室長も」
「そうですね」
「半分くらいお前のせいだけどな」
「僕じゃないです、きっと、リリアーナ様のおかげですよ」
「確かに」
文官が笑い、自分の仕事へ戻っていく。
シードも椅子へ座り直したところで、机の端に置いたままだったカップが目に入った。
「あ……」
すっかり忘れていた。
手に取って飲んでみると、もう少し冷めている。
「だから言っただろ」
隣からすぐに声が飛んできた。
それから新しい書類を手に取り、リリアーナから贈られた書見台へ載せる。
かなり長い時間、過去の記録まで確認していたはずなのに、首も腰もほとんど痛くなっていなかった。
書見台へ手を添えて、思い出す、これを持ってきたリリアーナは、使い方を説明しながらずいぶん嬉しそうにしていた。
『これなら、少しは楽になるでしょう?』
その通りだった。次に来たときは、ちゃんと伝えよう。使いやすかった、と。
たぶんそれだけでも、彼女は喜ぶ。
そう考えると、次に会うのが楽しみになった。
シードは万年筆を持ち直し、次の書類を開く。
周りでも、いつの間にかいつもの仕事が始まっていた。
紙をめくる音がして、誰かが隣の机へ書類を渡し、その向こうでは「これ終わったら茶淹れるぞ」と声が上がる。
地下の第三文官執務室は、もういつもの午後に戻っていた。
その頃、室長は四件の書類を抱えて、地上へ続く階段を上っていた。
シードにとっては、いつもの仕事の中で見つけた数字の食い違いでしかない。
この四枚の書類が監査室へ渡ることで、シード・キャメロンのこれからに大きく影響することなど誰が予想できただろうか……
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