第20話 足りない数字
シードは書見台へ最初の書類を載せた。
『第一文官室購入分・上級筆記用紙 五百束』
納入業者である『ヴェルデ商会』からの請求書と、王宮中央倉庫の受領印が押された納品受領書が一組になっている。
請求された数量は五百束。
実際に倉庫が受け取った数量も五百束。
単価を確認し、頭の中でもう一度計算する。合計金額まできちんと一致していた。
「問題なし」
確認印を押して、処理済みの場所へ移す。
次は『侍従職購入分・業務報告用インク 二百瓶』
こちらもヴェルデ商会からの納品だった。
請求書と納品受領書を見比べ、単価と合計額を確認する。問題はない。
シードが二枚目を処理済みの山へ置いたところで、隣からカップが差し出された。
「キャメロン」
書類から顔を上げると、先ほど茶を淹れていた文官が立っていた。
「忘れる前に持ってきたぞ」
「あ……ありがとうございます」
シードが受け取ると、文官は満足そうに頷く。
「よし。これでお嬢様に怒られずに済む」
「ですから、リリアーナ様はそのようなことで怒ったりは……」
「分かった分かった。冷める前に飲めよ」
最後まで聞かずに戻っていく背中を、シードは少し困りながら見送った。
それでも、せっかく淹れてもらったものを冷ますのは悪い。
一口飲んでからカップを机の端へ置き、仕事へ戻る。
三枚目も問題なく終わった。
書見台は、やはり使いやすい。
書類を一枚処理するたびに顔を大きく上下させなくていいだけで、思っていた以上に楽だった。横へ帳簿を置いておけば、必要な数字にもすぐ目を移せる。
この調子なら、今日の仕事を終える頃にも首は痛くならなさそうだ。
そんなことを考えながら、シードは四枚目を手に取った。
『王宮財務局購入分・上級筆記用紙 五百束』
先ほどと同じ上級筆記用紙だった。
シードはいつも通り、請求書と納品受領書を順番に確認していく。
請求数量は五百束。
倉庫が受け取った数量も五百束。
単価も正しい。合計額にも間違いはない。
規定された確認項目には、差し戻すような箇所はひとつもなかった。
確認印へ手を伸ばしかけた、そのときだった。
「……五百束?」
数字を見た瞬間、数日前に処理した倉庫管理課の月次集計が、そのまま頭の中に浮かんだ。
財務局へ支給された上級筆記用紙は四百八十束。
中央倉庫の月末在庫はゼロ。
思い出そうとしたわけではない。一度目を通した数字が、必要になった瞬間に自然と出てきた。
シードは確認印から手を離し、もう一度請求書を見る。
五百束。
納品受領書も五百束。
それなのに、財務局へ実際に渡されたのは四百八十束。
しかも倉庫には残っていない。
「……二十束」
中央倉庫へ入った五百束のうち、二十束だけ行き先が記録されていない。
「どうした?」 隣から声がした。
先ほど茶を持ってきてくれた文官が、自分の席に座ったままこちらを見ている。
「少し数字が合わなくて」
「珍しいな。お前が計算を間違えたのか?」
「そうかもしれません」
「……いや、冗談だからな?」
本気で確認し直そうとしたシードに、文官が慌てて付け加える。
「キャメロンが計算間違いなんてしたら、俺は今日の仕事を全部やり直したくなる」
「そこまでではないと思いますが……」
「そこまでなんだよ」
近くで聞いていた別の文官まで笑っている。
シードにはいまひとつ分からなかったが、その声を聞きながらもう一度書類へ目を戻した。
もちろん、一件だけなら記載漏れの可能性もある。どこか別の部署へ回したあと、支給記録だけ残し忘れたのかもしれない。
ただ、確認せずに印を押すのは気持ちが悪い。
「室長」
「ん?」
部屋の奥で帳簿と向き合っていた室長が顔を上げた。
その手には、いつの間にか見慣れた胃薬の瓶が握られている。
「過去数ヶ月分の、王宮消耗品調達に関する記録を確認してもよろしいでしょうか」
「構わんが……何かあったのか?」
「まだ分かりません。少し、数字を確かめたいだけです」
室長はシードを見る。
それから手にした胃薬の瓶を見る。
もう一度シードを見る。
「……お前がそう言うと、嫌な予感がするんだが」
「まだ何も見つけていません」
「『まだ』って言ったぞ、今」
近くの文官が吹き出した。
「室長、気にしすぎですよ」
「お前は知らないからそんなことが言えるんだ。俺は最近、キャメロンが『確認したい』と言い出すと胃が痛むんだよ」
「それ、キャメロンのせいじゃなくて働きすぎなんじゃないですか?」
「うるさい」
笑い声がいくつか重なった。
シードは少し申し訳ない気持ちになったものの、確認するだけならそれほど時間はかからないはずだ。
席を立ち、執務室の奥にある大型の書類保管庫へ向かう。
消耗品関係の記録は月ごと、部署ごとに分けて保管されている。
必要なファイルを一冊。
もう一冊。
念のため、その前の月も。
気づけば両腕にそれなりの量を抱えることになった。
席へ戻ろうとしたところで、先ほどの文官と目が合う。
「キャメロン」
「はい」
「それ、全部見るのか?」
「そのつもりです」
「少し確認するだけじゃなかったのか?」
シードは腕の中のファイルを見る。
「室長。胃薬、飲んでおいた方がいいですよ」
「だから言っただろう!」
今度は、さっきより大きな笑いが起きた。
シード自身も、どうして皆がそこまで笑っているのか完全には分からない。
ただ、自分の席へ戻る頃には、少しだけ口元が緩んでいた。
ファイルを書見台の横へ置き、まず三ヶ月前の記録を開く。過去の書類にも担当者の承認印がきちんと押されていた。
請求書と納品受領書の数量は一致している。単価も合計金額も正しい。
ここだけを確認していれば、何も問題はない。
シードはその横へ倉庫管理課の支給記録を並べた。
最初に目に入ったのは、三ヶ月前に第一文官室が購入した上級筆記用紙だった。
請求は一千束。
納品も一千束。
支給は九百六十束。
倉庫在庫はゼロ。
「……四十束」
数字を見た瞬間、今回と同じ種類のずれだと分かった。
シードはその書類を脇へ寄せ、次の月を開く。
侍従職が購入したインク五百瓶。
納品も五百瓶。
支給は四百八十瓶。
在庫はゼロ。
「二十瓶」
ここで、シードの中では一つの共通点がほぼ見えた。
一千から四十。
五百から二十。
どちらも、全体から欠けている割合は同じだ。念のため、その次も確認する。
二文官室が購入した魔導ランプ用の蝋燭二千本。
支給されたのは千九百二十本。
在庫は残っていない。
「八十本」
三件目を見た時点で、偶然とは考えにくくなった。
今回の財務局も五百束から二十束。数字はすべて同じ割合で欠けている。
シードは手元の紙へ、四件の数字を書き並べた。
計算するためではない。
頭の中では、すでに答えが出ていた。
あとで室長へ見せるなら、数字が並んでいた方が説明しやすい。
一千束から四十束。
五百瓶から二十瓶。
二千本から八十本。
五百束から二十束。
どれも、請求数量の四パーセント。
「……四パーセント」
シードは小さく呟いた。
そして、そのまま四枚の請求書を手元へ寄せる。
一枚目。
二枚目。
三枚目。
今回の一枚。
そこでも共通しているものがあった。
すべての書類の隅に、同じ商会の刻印が押されている。
『ヴェルデ商会』
一件だけなら、記載漏れで済んだかもしれない。
けれど四件とも、違う部署で、違う物品を購入しながら、同じ割合だけ記録から消えている。
しかも納入した商会まで同じだった。
シードは机の上に並べた四件の書類を見た。
ここまで揃えば、自分一人で処理を続けるより、室長へ報告した方がいい。
そう判断するまでにも、時間はかからなかった。
「室長」
シードは四件の書類を揃え、席を立った。




