第16話 手元から始まる変化と、減った書類
リリアーナから第三文官室の全員へ、手入れ済みの羽ペンと速乾インクが配られてから数日が経過した。
王宮の地下『第三文官室』の光景は、一変していた。
「キャメロン、前工程の確認が終わったぞ! この案件、頼む!」
午前中の早い段階で、同僚からスムーズに書類が手渡される。
「ありがとうございます。すぐ確認に入ります」
シードは即座に書類を受け取り、胸ポケットから取り出した愛用の万年筆を滑らせた。
以前なら「前工程が終わっていないので待ち状態」が続き、夕方になってから一気に書類の山が押し寄せていた。しかし今や、全員の処理速度が底上げされたことで書類が滞留することなく、流れるプールのように綺麗な循環が生まれていた。
「おいキャメロン、次の案件だ——って、あれ?」
午後遅く、同僚が書類を回そうとして、シードのデスクの前でピタリと足を止めた。
いつもなら、夕方になればシードの席に高く積まれていたはずの未処理書類が、綺麗に片付いていたのだ。
「……前工程の滞りがなくなったおかげで、無駄な待ち時間も、夕方の一括処理もなくなりました」
シードは万年筆にそっと手を触れ、活き活きと働く同僚たちの姿を見渡した。
(リリアーナ様は……僕だけに何かを贈るのではなく、この部屋全体の「滞り」を解消されたんだ。結果として、僕の残業も無駄な負荷も綺麗になくなっている……)
個人を特別扱いして甘やかすのではなく、環境と構造そのものを良くして救う。その鮮やかで温かな思いやりに、シードの胸の奥は痛いほど熱くなっていた。
♢
「シード様、ご機嫌よう。……お仕事の調子はいかがですか?」
夕刻、ハーブティーとスコーンの差し入れとともに訪れたリリアーナに、シードは深々と頭を下げた。
「リリアーナ様。……おかげさまで前工程の滞りが消え、僕の待ち時間や夕方の残業も驚くほど減りました。皆様へのお心遣い、本当にありがとうございます」
(よかった……。これならシード様も、少しは早く帰れそうですわ)
心の中でほっと安堵の息をつきつつも、リリアーナはすまし顔で優しく微笑んだ。
「ふふ、皆様がお仕事しやすくなったのなら何よりですわ。シード様のお仕事が減ったのも、部署全体の成果ですね」
「……はい」
「お仕事が早く終わった日は、どうぞお体に無理をせず、暖かくしてお休みくださいね」
「……あ、ありがとうございます」
決して自分の手柄を誇らず、「皆様が楽になってよかった」と微笑むリリアーナ。
ご機嫌な足取りで帰路に就く彼女の背中を、シードは感謝と尊敬の入り混じった温かな眼差しで、静かに見送り続けたのだった。




