第14話 濡れている肩、濡れたお尻
その日は朝から叩きつけるような激しい雨が王都の街並みを濡らしていた。
アドラー侯爵邸の玄関ホール。公爵夫人であるお母様とお出かけの準備を整えていたリリアーナは、窓を覗き込み、胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
(まあ……なんて激しい雨かしら。これでは街の人々もお召し物が濡れて大変ね……)
クローゼットから一番大きな長傘を引っぱり出してきたリリアーナは、テラスの屋根の下でバサリと傘を広げ、外に出る。
傘に当たる雨粒の大きな音が響く。
「マダム、雨の日に肩先を濡らさない傘の畳み方をご存じ? 屋根の下に入った瞬間に手元でこう……」
「お嬢様、テラスとはいえ急に開かれては危険で――」
マダム・ヴァレンティノが言い終えるより早く、リリアーナは一気に傘をすぼめて水滴を払おうと手首を返した。
バサバサバサッ!
次の瞬間、溜まっていた重たい水滴が弾け飛び、ドレスとマダムの顔面に容赦なく降り注いだ。
「きゃっ!?」
「あ……ごごごめんなさいマダム! すぐにお拭きしますわ!」
リリアーナは青ざめて手近なハンカチを取り出し、マダムの頬や肩についた水滴を大慌てで拭った。
(……やはり、勢いよく閉じただけでは肩が濡れてしまうのね。どうすればスマートに畳めるかしら……?)
平謝りしながら自分の濡れた肩を押さえ、リリアーナはお母様と一緒に馬車へと乗り込んだ。
♢
雨の王都を滑るように進む馬車の中。
窓の外を眺めていたリリアーナは、小窓の向こうで雨風を受けている御者トーマスの姿にハッと目を留めた。
トーマスの上着は、右肩も左肩もぐっしょりと色が変わっている。雨水を含んで重たそうだ。
(私ったら……トーマスのことに気づいていませんでしたわ……!)
リリアーナは座席にあった予備の厚手ブランケットを抱えると、小窓から外へ押し出した。
「トーマス、これを使ってちょうだい。それから……用件が済んだらすぐにお屋敷へ帰りましょう」
「お、お嬢様!?」
小窓から振り返ったトーマスが驚いて目を丸くする。
「滅相もございません、ブランケットなど私には勿体ないですし、お仕事ですから大丈夫ですよ」
「それでは私が安心できません! これ以上、あなたを雨に打たせるわけにはいきませんもの。……ブランケットがダメなら、お屋敷に帰ったら必ず温かいスープを飲んでください! 約束ですわ!」
「お嬢様……」
トーマスは一瞬呆気にとられたものの、雨に濡れた顔をほころばせ、心から嬉しそうに照れくさく笑った。
「ふふ、はい! 喜んでいただきますね。では用件が終わりましたら、すぐにお送りいたします」
手綱が握り直され、馬車が力強く進み出す。
隣に座っていたお母様が、ブランケットを抱え直したリリアーナの横顔をじっと見つめていた。
「リリアーナ」
「はい、お母様?」
お母様は優しく目を細め、リリアーナの頭をそっと撫でた。
「ふふ……本当に、優しい子に育ちましたね」
「お、お母様……! 私はただ、トーマスの肩が冷えてしまいそうだと思っただけで……」
褒められて気恥ずかしくなったリリアーナは、膝の上のブランケットに顔をうずめた。
♢
屋敷へ帰宅した直後。リリアーナは上着を脱ぐのも忘れて厨房へ向かう。
「トーマスに暖かいスープをお願いしますわ!」
料理長は何事かと考えたが、濡れたリリアーナの姿を見て思うところがあったのか、顔を綻ばせながら
「かしこまりました。お嬢様にも飲んでいただきたいのですぐに準備いたします」
「ありがとうございます。料理長のスープは心から温まりますから」
そう告げてあと中庭のテラスに向かった。
手には、自分の長傘。
「お嬢様!? お着替えが先でございます!」
「マリー、待ってちょうだい! いま試さなければ忘れてしまいますわ!」
濡れたテラスでバサッと傘を開き、濡れずに畳もうと集中する。
(斜め前へ傾けて、一気に……!)
スッと閉じようとした瞬間、すべった指先が傘の骨に挟まりかけた。
「痛っ!?」
手を離した反動で半開きになった傘がバサバサッと暴れ、溜まった冷たい雨水が顔と首筋に直撃した。
「冷たっ……! ぶはっ!」
そのまま脚を滑らせ、濡れた床に盛大に尻もちをついた。
べしゃり。
「お嬢様ーーーっ!!」
マリーが悲鳴をあげて駆け寄り、大きなバスタオルを頭からすっぽりと巻きつける。
「もう……! 一体何をなさっているのですか! 風邪をひいてしまいますよ!」
「マリー、ごめんなさいね……」
泥と水滴にまみれたまま小さく謝り、リリアーナは転がった傘を静かに拾い上げた。
♢
「お嬢様、トーマスに約束のスープを届けておきましたよ。特製の大きなパンと一緒に、とても美味しそうに召し上がっておられました」
「それはよかったですわ!」
あたたかなハーブの湯気が立ちのぼる浴室で、リリアーナはお湯をすくって冷えた肩口へパシャパシャとかけた。
湯あがり後、自室の暖炉の前でふかふかの毛布にくるまる。
マリーが差し出してくれた温かいマグカップを両手で包み込むと、甘い湯気が鼻先をかすめた。
ホットミルクをゆっくり飲み干すと、リリアーナはベッドへ移動して小さな日記帳を開いた。
『今日の発見日記』
・雨の日は傘を畳むのが難しいです。
・これからは雨の日に濡れたトーマスにスープを飲んでもらう!
日記を丁寧に閉じ、ランプの火をふっと消す。
暗闇の中、ふかふかの枕に顔をうずめながらゆっくりと目を閉じた。
(明日は……晴れるといいな……)
心地よいぬくもりに包まれながら、リリアーナはゆっくりと微睡みの中へと落ちていった。
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