第12話 侍女の手と、日頃の感謝
マリーが退室した後の静寂の中で、リリアーナは自室のドレッサーの前に立っていた。
鏡に映る自分の手を見る。白く、柔らかく、毎晩手入れされた傷一つない侯爵令嬢の手だ。
(……私は、シード様のお指のことばかり心配していましたわ。けれど、毎日私のすぐ傍で世話をしてくれているマリーの手は、あんなにも硬くなっていたなんて……)
冷たい水での水仕事や毎日の掃除。「侍女の手など、みんなこのようなものですから」と寂しげに笑ったマリーの顔が、胸に小さく引っかかっていた。
(推しを慈しむ気持ちと同じくらい、私を支えてくれる人たちの苦労にも目を向けなくっちゃですわ……)
♢
翌朝、リリアーナは朝食を終えると、屋敷に出入りしているお抱えの薬師のもとへ向かった。
「……肌の保護、でございますか?」
老薬師は不思議そうに首をかしげた。
「ええ。……昔読んだ本で、油脂と蜜蝋を混ぜて肌の水分を閉じ込め、カモミールの油で炎症を抑える練り薬の記述を見た記憶がありますの。うちの水仕事をする侍女たちに使わせてあげたいのですが、作れませんかしら?」
リリアーナの発想に薬師は感心したように頷き、専門家としての助言を添えた。
「なるほど、それは理にかなった配合です。では、ベタつきを抑えるために練り込む割合を調整してみましょう」
リリアーナの知識と薬師の確かな技術が合わさり、数日後、ハーブのやさしい香りが漂う肌なじみの良い『練り膏薬』が完成した。
リリアーナはそれを小さな磁器の容器に分け、まずマリーへと手渡した。
♢
「マリー!毎日屋敷を綺麗にしてくれてありがとう。お仕事の後に、その指先に塗ってみてほしいの!」
手渡された小箱に、マリーは驚いて目を見開いた。
「お、お嬢様……! 私のような侍女に、このようなものを……!」
「マリーだけではありませんのよ。水仕事をする皆さんにもお渡ししてあります。貴女たちの手が守られてこそ、この屋敷の美しさが保たれるのですから」
マリーの目がじわじわと涙で潤んでいく。彼女は小箱を胸に抱きしめ、深々と頭を下げた。
「……感謝いたします、リリアーナ様。大切に使わせていただきます!」
数日後、その膏薬によって侍女たちの手荒れは次第に和らいでいった。何より「自分たちの労働を気遣ってくれた」という喜びが、屋敷の雰囲気をどこか温かいものに変えていた。
♢
そして、いつものように王宮へと向かう馬車の中。
隣に座るマリーが、手元をいとおしそうに撫でながら微笑んでいた。
「お嬢様、見てくださいませ。おかげさまで、手がずいぶんと楽になりました」
「ふふ、本当ね。綺麗になってよかったわ」
「はい! これなら、リリアーナ様にお出しするお茶のトレイも、より一層気持ちよくお持ちできます!」
嬉しそうに話すマリーを見て、リリアーナは静かに胸を撫でおろした。
(身近な人たちが健やかに過ごせていること。それができてこそ、推しへのサポートも胸を張ってできるというものね)
マリーの手をもう一度見て、リリアーナは満足そうに頷いた。
そこで、ふと思い出す。
毎日、何百枚もの紙をめくっている細く長い指。
(……あら?)
リリアーナはぱちりと瞬いた。
(これ、シード様にも必要なのではなくて!?)
マリーの晴れやかな笑顔に送られながら、リリアーナはこれから向かう第三文官室へ思いを馳せるのだった。




