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破滅ルート回避?そんなことより推しの「モブ文官」に全力で推し活ですわ!そしたら世界最強の黒幕になっちゃいましたの!!  作者: 逢華 (最後の挑戦)


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第10話 数字が語る世界と、最初の一滴

アドラー侯爵邸の二階にある広々とした執務室。午後の柔らかな日差しが、机をあたたかく照らしている。


リリアーナは机いっぱいに広げられた何冊もの厚い羊皮紙と格闘していた。そこに並ぶのは、気の遠くなるような数字の列と、細かな注記の山だ。


「……お嬢様。そろそろ『応用財政学』の講義はこれくらいにいたしませんか? これ以上数値を追うのは明日にいたしましょう。お茶でも淹れさせますわ」


傍らに立つ家庭教師のマダム・ヴァレンティノが心配そうに声をかける。アドラー侯爵邸に勤めて長いマダムだが、貴族の令嬢に会計や財政を教える際は、いつも苦労の連続だった。本来、若い令嬢たちにとって帳簿の解読や税率の計算などは、苦行の筆頭だからだ。


しかし、リリアーナは手にした羽ペンを置こうとしなかった。むしろ、「いいえ!」と勢いよくかぶりを振る。


「いいえ、マダム! まだ止めないでくださいませ。これ……ものすごく面白いですの!」


「……え?」


マダムは丸眼鏡の位置を直し、目を丸くした。


リリアーナの瞳は、まるで珍しい宝石箱でも開けた時のように、キラキラと知的な好奇心で輝いていた。


「この北部の村の収支一覧をご覧くださいな。昨年より小麦の出荷数が落ちていますけれど、そのぶん手前の村での関税収入が増えていますわ。これはつまり、街道の手前で商人たちが小麦を買い取って、別の加工品に替えて流通させているということですのね! たった一列の数字の集まりに見えますけれど、ここを通るだけで『どれだけの人々の暮らしが動いているか』が全部見えてきますの!」


「……まあ。数字からそこまで読み解かれますか。その視点は、わたくしもまだ教えておりませんでしたのに」


マダムは感心したように目を細めると、手元の指導計画書を取り出し、そっと新しい項目を書き加えた。


「よろしいでしょう。では次は『伝票処理の重複と、その是正手順』について紐解いてまいりましょうか」


「はい、マダム! ぜひ教えてくださいませ!」


リリアーナは目を輝かせながら愛用の『推し活ノート』を開き、猛烈な勢いでペンを走らせる。


『数字は暮らしの記録! 帳簿を読み解くことで、見えない人の営みが見えてくる!』


『伝票の手間を一つ削ることが、現場で働く人々の時間を救う!』


夢中でメモを書き留めるリリアーナ。しかし、手帳の端に自分流の図解を描き加えていた手が、ふっと止まった。


テキストの端に印刷された、過酷な照合印のサンプル。その一つひとつに存在する、果てしないチェックの手間。


(あ……)


リリアーナは小さく息を呑んだ。


(数字の一つひとつを、確認する文官の方々の気が遠くなるような労力がある……。シード様は毎日、あの山のような書類の中で、この膨大な作業をこなしていらっしゃるのね……)


書類の一枚、数字の一行にかかる労力の果てしなさを知り、リリアーナの胸の中に静かな尊敬と愛おしさがこみ上げていた。



翌日の昼下がり。王宮『第三文官執務室』。


「……おい、キャメロン」


室長は愛用の胃薬の瓶を指先でコトコトと弄びながら、じっとシードを見ていた。


「はい、室長。何でしょうか」


「お前……今日の書類確認、いつもの二割増しで早くないか?それと、聞いてくれ……この数日間、喜ばしいことに俺が胃薬を飲む回数が減っているんだ」


「……胃薬ですか?」


「慣れって凄いな」


シードは書類にペンを走らせる手を止め、少し不思議そうに呟いた。自分ではまったく意識していなかった変化だった。


「早く終わらせられるのはリリアーナ様からいただいたお茶を飲み、集中力が維持できたためです」


「あのお嬢様とおまえは、いったいどういう関係なんだよ、ほんと」


室長が頭を抱えた瞬間、トコトコと軽やかな足音とともに扉が開いた。


「ご機嫌よう、シード様」


リリアーナがやってきた。


今日はクッキーの差し入れと思われる箱と、春の陽射しのような晴れやかな笑顔があった。


(今日も座ってお仕事をなされてる!)


(横顔の造形が尊いですわ……!)


「ご機嫌よう、リリアーナ様」


シードが静かに立ち上がり、頭を下げる。その視線は、ごく自然にリリアーナの瞳を捉えていた。


「シード様、私、『会計と帳簿』の勉強を始めましたの!」


「……会計、ですか」


「ええ! 数字の繋がりから、領地の動きが見えることがとっても楽しくて! でも……同時に知りましたわ。書類一枚、確認一つをこなすことが、どれほど大変な作業なのかを」


リリアーナは胸の前で小さな両手をギュッと握りしめ、シードの瞳を真っ直ぐに見つめながら、心を込めて言葉を紡いだ。


「毎日、この王国の膨大な数字を支えてくださって、本当にありがとうございます。シード様のお仕事は、とっても格好いいですわ!」


プレゼントも、特注の品もない。


ただ、自らの学びを通して得た「正当な理解と敬意」だけが届いていた。


「……っ」


シードは漆黒の瞳をわずかに見開き、静かに息を飲んだ。


「皆様、凄いお仕事をなされているのですね!クッキーを焼いてきたのでどうか小休憩のときのお茶のお供に」


嵐のように、けれど温かな風を残して去っていく十歳児。


廊下の角では、すりガラス越しに見ていた第一文官室のロベルトが冷や汗をかいていた。


(……なんだ? なぜあの男はあんな顔をしているんだ……!?)


なにか交渉が行われたのだと深読みしたロベルトは、焦りを募らせながら去っていった。



昼間の喧騒が消え去り、シードは積み上げられた最後の書類に目を通し終えると、目を閉じ静かに息を吐いた。体を包む、背もたれの確かな感覚。


手元を柔らかく照らす、魔導ランプの光。


デスクの隅には、引き出しへ戻されなかった白い紙。


胸ポケットには、小さく折り畳まれた一枚のメモ。


『シード様のお仕事は、とっても格好いいですわ!』


昼間、小さな少女が残していった言葉が、胸の奥で何度も静かに反響していた。


胸ポケットにそっと手を当て、そこにある紙の厚みを感じ取る。


シードは万年筆を取り出した。


カチ、と金属キャップを外す音が、静かな部屋に小さく響く。


万年筆を握る手に、わずかに力が入る。


一瞬の迷うような「間」のあと、シードはデスクの端に置かれた白い便箋へと視線を落とした。


ゆっくりと、慎重に、ペン先を白い紙の上へと降ろしていく。


紙の繊維に、インクが染み込んでいく。

しかし、そこから何も書くことができなかった。

真っ白な便箋に、黒い点がひとつだけ残る。


シードはその点を静かに見つめていたのだった。

今日は2話投稿なので次も続きをどうぞ、ですわ!

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