69 王子様との旅行(前)
今日は華との旅行当日。
3学期はあっという間に過ぎ去り、バレンタインが終わってからはまさに一瞬だった。
新宿駅の喧騒の中、待ち合わせ場所に立っていると、大きなキャリーケースを転がしながら歩いてくる華の姿が見えた。
「おはよ、華」
「うん、おはよ!」
今日の彼女は、旅行らしく動きやすさを重視しながらも、女の子らしさを忘れない可愛らしいコーディネートだ。普段の学校生活よりも気合が入っているようで、顔を近づけると薄らとメイクをしていた。
「メイク、可愛いね。すごく似合ってる」
何気なくそう告げると、華は信じられないものを見たかのように目を丸くした。
「え、気づいてくれたの……? かなりナチュラルに仕上げたから、絶対に気づかれないと思っていたのだけど」
「そうかな? 目元のあたりとか、いつもと違っててわかりやすいと思うけど」
元々が整った顔立ちをしている彼女だ。派手なメイクはかえって素材の良さを殺してしまう。今の彼女にぴったりの繊細なメイクが、その美しさをより一層引き立てていた。
「普通の人は気づかないわよ……。もう、私のこと大好きすぎじゃない?」
華はニヤニヤと楽しそうに俺をからかってきた。きっと、いつものように俺が照れて言葉に詰まるリアクションを期待しているのだろう。
「うん、大好きだよ」
あの仲直りをした日から、俺は華に好意を直接ぶつけることを強く意識し始めた。
喧嘩をする前も伝えていたつもりだったが、心のどこかに葛藤があり、言葉が足りなかった自覚がある。
「っ……! うぅぅ……もう、行くわよ!」
それに、こうして真っ直ぐに想いを伝えた時の彼女の反応は、最高に可愛い。
『王子様』なんて呼ばれていても、やっぱり華は俺からの攻めにはとことん弱いらしい。
「ごめんって待って!」
最高に楽しみな二人の旅行が始まった。
◇ ◇ ◇
新宿から箱根まで特急で1時間半。俺たちは2人で横並びに座り、スマホを覗き込んでいた。
SNSや動画を見ながらおすすめの観光スポットをチェックし、今はこれから行く美術館の写真を見ている。
「着いたら、ここで写真撮らない?」
俺が画面を見せたのは、色鮮やかなステンドグラスに覆われた塔の写真。いわゆる「映える」スポットとして、今かなり有名らしい。
「もちろんよ。名前もいいわね……『幸せを呼ぶ』だなんて、私たちのこれからにぴったりだわ」
「綺麗な場所だから、可愛い華と一緒に撮ったらすごく映えると思うんだよね」
俺が少し照れながら言うと、華は一瞬で顔を真っ赤にし、マフラーに顔を埋めてしまった。必死に隠そうとしているが、窓の反射で表情は丸見えだ。熱くなった頬を片手で押さえながら、彼女は小さく声を漏らした。
「……なんか最近、大地が私にとって都合のいい言葉しかかけない気がする。あの漫画みたいに」
「あの漫画?」
すると彼女はマフラーから顔を出し、自身のスマホ画面を俺に見せてきた。
そこには漫画アプリが開かれており、画面には甘い雰囲気の男女――少女漫画のイラストが映っている。
「この漫画に出てくる男の子が大地に似てるって、私たちの間で話題なのよ!」
そういえば、生徒会室やチャットで先輩たちが「更新された話見た?」と盛り上がっていた気がする。
華が画面をスライドして指をさしたのは、いかにもなカッコいい男の子だった。
「……いや、どこが?」
「この男の子は『料理上手で誰よりも気が利く。バスケも上手くて運動神経も抜群』。おまけにイケメンだし、『旦那にしたいキャラクターランキング』で堂々の1位。……完全に、大地の要素しかないわよ」
納得できないまま漫画を読み進めていくと、主人公の女の子に料理を振る舞って優しい言葉をかけるシーンが出てきた。
現実でこんな完璧なやつがいるわけないだろう、と内心でツッコミを入れそうになる。
「似てるとはやっぱり思えないな」
「自分のことだからそう思うのかもね。でも、私からしたら大地はこれくらいカッコよく見えてるってことよ」
恋人は美化されて見えるというが、彼女もその例に漏れないらしい。
まあ、俺自身はこれほどのイケメンではないが、恋人にこれほど高く評価されているのは、男として素直に嬉しいものだ。
「じゃあ、次は女の子ね。この中だったら誰が一番好み?」
この『自分たちに似たキャラ探し』はまだ続くようで、次は違う漫画を見せてきた。
同じ作者の別の作品のようで、表紙には見覚えがあった。
男性向けの恋愛作品で、クラスで金井たちが読んでいたのを1巻だけ貸してもらった記憶がある。
「これ、少し読んだことあるな。うーん……この子かな」
俺が選んだのはボブカットのヒロインだった。
主人公の部活の先輩で、凛とした真面目な雰囲気だが、主人公の前でだけはデレデレになるというキャラクター。
そのギャップから読者人気は高いが、最終的には別のヒロインと結ばれたため、いわゆる『負けヒロイン』となったキャラだ。
「ふーん……」
すると華は無言でその画面をスクリーンショットし、『旧生徒会』のグループチャットに写真を送信した。
『これが大地の好みだって』
直後、スマホの画面にすぐさま3つの既読がついた。
『華さんに似てますね』
『あなたにそっくりね』
『これ知ってる。主人公に懐柔されてデロデロになる子ね』
……。俺たちの間に、形容しがたい沈黙が広がった。
1年の頃に読んだ作品なので当時は意識していなかったが、言われてみれば、容姿も性格も驚くほど華に似ている気がする。
「……結局、どこに行っても、何を見ていても。私の理想は大地で、大地の好みは私。そういうことね」
勝ち誇ったような、それでいてこの上なく幸せそうな顔で、華が俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
俺は無意識に、華に似たキャラクターを好みだと選んでいたらしい。
1年前に読んだときは、まさか自分の隣にそのモデルのような美少女が座ることになるとは思ってもみなかった。
「……否定はできないな。自覚はなかったけど、俺、やっぱり華のことが好きなんだと思う」
「っ……! もう、その不意打ちのデレ、本当にずるいわ!」
案の定、俺のストレートな言葉に華は本日何度目かわからない赤面を見せ、再びマフラーに顔を埋めて沈黙した。
絡められた腕にぎゅっと力がこもる。それだけで、彼女がいまどれほど舞い上がっているかが伝わってきた。
やがて、列車の速度がゆっくりと落ち始め、車内アナウンスが終点への到着を告げた。
「さあ、着いたわよ。私たちの『幸せを呼ぶ』1泊2日の旅、スタートね」
マフラーから顔を出した彼女は、照れを隠すようにいつもより少し強気な笑みを浮かべて立ち上がった。
大きなキャリーケースを引く彼女の手を、俺はごく自然に、そして力強く握り返した。
電車から出たときの箱根の天気は、これ以上ないほどの快晴だった。




