64 王子様と遠藤の話
俺たちの旅行先は、結局箱根に決まった。
比較的安い値段で行けるし、交通網が発達しているため、車を持たない高校生の俺たちでも色々と観光できそうだからだ。
そんな旅行に思いを馳せているうちに、始業式から1週間が経った。
教室に入ると、珍しく後ろの席の周りに人だかりができていた。
「遠藤復活! おめでとー!」
1週間ほど休んでいた遠藤が、どうやら今日から登校を再開したらしい。
インフルエンザにかかったと聞いてから、メッセージを送っても既読がつかず、密かに心配していた。
「遠藤、もう体調はいいのか?」
俺が声をかけると、遠藤もこちらに気づいて答えた。
「まあな。余裕よ」
そう答える遠藤の笑顔が、いつもよりどこか引きつって見えたのは少し気になったが、本人が大丈夫だと言うならそうなのだろうと納得した。
クラスメイトたちとスマホをいじりながら駄弁っているうちに、予鈴が鳴った。
自分の席に戻ろうと踵を返した瞬間、遠藤に小声で呼び止められた。
「上原、あとでスマホ見ておいてくれ」
「え?あーおけ」
直接言えばよくないか?
そんな疑問を抱きながらも席に着き、机の下でこっそりスマホを開くと、遠藤から1件のメッセージが入っていた。
『今日の放課後、相談ってか愚痴?があるんだけど少しいいか?』
……これくらいなら本当に口頭で言ってくれて構わないだろ。
画面に向かって内心でツッコミを入れつつ、俺はフリック入力で返信を打った。
『了解』
送信ボタンを押し、俺はそっとスマホをカバンにしまった。
◇ ◇ ◇
「――ということで今日は、一緒に帰れそうにないんだ。ごめん」
引き継ぎ作業のために生徒会室に来ていた華にそう告げると、彼女は少し考える素振りを見せた。
「うーん……私も今日、放課後の買い物に誘おうと思っていたのよね」
「そうだったのか。ごめん」
「いいのよ。あなたの誕生日プレゼントを何にするか考えようと思っていただけだから。……遠藤くんの話が終わったら、どこかで待ち合わせしない?」
「うん、それなら大丈夫だと思う」
確かに2月6日は俺の誕生日だ。
わざわざ予定を立ててくれていたのは嬉しいし、申し訳ない気持ちもあるが、先に遠藤から誘われていたので、今日は彼の方を優先させてもらうことにした。
引き継ぎの片付けをしていると、入り口の扉がノックされた。
「「失礼しまーす」」
扉を開けて入ってきたのは、遠藤と後輩の桐原青葉だった。
遠藤が言っていた「相談」には、どうやら青葉も関わっているらしい。
俺が急いで帰りの支度を整えていると、華が青葉の前にすっと立った。
「桐原さん」
「なんですか、白鷺さん?」
「お願いだから、大地と2人きりにならないでね」
「……ふふ、大丈夫ですよ。わかってますって」
いつの間にか華と青葉は、そんな軽口を叩き合える仲になっていたようで驚かされた。
俺は準備を済ませ、遠藤と青葉を連れて生徒会室を後にした。
「久しぶりだな。こうやって3人で帰るの」
「ですねー。高校になってからは、一緒に帰れるなんて稀ですからね」
俺には生徒会の仕事や千代の迎えがあり、2人はバスケ部の練習がある。
こうして時間が合うのは本当に珍しいことだ。今日はたまたま部活が休みということで、久々に3人の時間が実現した。
遠藤のチャリに俺たちのバックを置き、後ろをついて行った。
遠藤に連れられてやってきたのは、いつもの公園だった。
すると遠藤は、バッグからおもむろにバスケットボールを取り出した。
「よっしゃ、とりあえず1on1しようぜ、上原」
「……おい。なんか相談があんじゃないのか」
「いいからいいから!」
半ば無理やりボールをパスされ、俺は適当にドリブルをつきながらシュートを決めた。
2学期から昼休みにバスケ部へ強制連行されていたおかげで、体力もかなり戻ってきている。
「お前、白鷺さんと最近どうなんだよ?」
マッチアップをしながら、遠藤が唐突に訊ねてきた。
「ん? 普通だよ」
「……いやいや、きいたぜ?全校生徒の前であんな演説しておいて『普通』はないだろ」
「わかってるなら聞くなよ。そういうお前こそどうなんだ」
遠藤がボールをキープし、シュート体勢に入る。
俺の問いに、彼はポツリと答えた。
「――俺は別れたよ、彼女と」
放たれたシュートは、虚しくゴールリングに弾かれた。
コン、コン、と寂しい音を立てて転がっていくボールを、俺も遠藤も追うことはできなかった。
「……マジかよ」
「大マジ。年明け早々にな」
転がったボールを青葉が拾い、俺たちの元へ戻ってきた。
俺はやり場のない空気の中、隣に立つ彼女に尋ねた。
「青葉、遠藤の話、聞いてたのか?」
「……相手の方から聞いていました」
青葉は複雑そうな、それでいて少し悲しげな顔をしていた。
彼女は遠藤だけでなく、相手の女子とも接点がある。
どちらの気持ちも察せられるからこそ、かける言葉が見つからないのだろう。
「やっぱり、会えない時間が長いと愛なんて冷めちゃうんだってさ。バスケばっかりで構ってくれないって……。俺だって同じ学校に行きたかったよ。部活で格好いいところ見せたくて、やっとスタメンを勝ち取って喜んでたのに」
遠藤は自嘲気味に笑いながら、ヤケクソな手つきでボールを突き始めた。
あんなに仲が良かった2人が、こんなにも呆気なく終わってしまう。
信じられない思いと同時に、俺の胸に重苦しい不安が広がっていく。
「だからさ、俺から言ったんだ。『もっといい人がいる。君に寂しい思いをさせない人が他にいるはずだ』って。そう言って、自分から別れを切り出したんだよ」
「……そっか」
その言葉の裏にある、引き裂かれるような痛みは想像に難くない。
もしも来年、大学生になった華が俺に会えない時間を寂しがり、俺よりもっとふさわしい誰かと出会ってしまったら。
俺も遠藤と同じ言葉をかけてしまうのではないか。
それは――。
「――好きなんだよ。初めての彼女で、本当に大好きで……。だから、そんな子が俺と一緒にいて寂しくて辛い思いをするくらいなら、俺よりいい人と幸せになってほしいって、思っちゃったんだ」
好きだからこその、身を引くという選択。
修学旅行の時の羨ましいという言葉も、進路に悩んでいた理由も、すべては彼女を失いたくないという一心からだったのだろう。
「わかるよ。俺だって、自分よりも華に釣り合う人は他にいると思ってるし……。実際、来年は寂しい思いをさせてしまうから」
「恋愛って難しいな。俺は、ずっと一緒にいられるものだと思ってた。高校も、大学も、社会人になっても。結局、学生の付き合いなんて、大人から見れば『お遊び』に過ぎないのかな」
遠藤の吐き出した言葉が、鋭いトゲとなって俺の心に突き刺さる。
どんなに想い合っていても、冷める時は一瞬。
物理的な距離と会えない時間は、残酷なほど簡単に2人を引き裂いてしまうのかもしれない。
やっぱり、華には俺じゃない方がいいのかもしれない……
来年、彼女が新しい世界へ羽ばたくために。
俺が彼女を繋ぎ止めていることが、彼女の足枷になってしまうのではないか。
彼女の貴重な時間を奪ってしまうのではないか。
俺たちは、そこから何を話すわけでもなくベンチで夕暮れの空を見ていることしかできなかった。




