46 王子様と清算(2)
ひとしきり涙が落ち着いたのか、和香が隣の青葉に視線を向けた。
「……青葉は、いいの? あんた、大地のことが好きだったんでしょ」
不意に振られた問いに、青葉は少し困ったような顔で微笑んだ。
「私の『好き』は、和香さんみたいなものじゃなかったんだって……今、気づきました。バスケ選手としての、部活の先輩としての憧れだったんです、きっと」
「ふーん……。それなのに、追いかけて同じ高校まで行ったんだ」
「自分でもよく分からなかったんです。でも、和香さんや……今、大地先輩の隣にいる『あの人』を見ていたら、私じゃ到底敵わないなって、分かっちゃいましたから」
「……大地の好きな人って、そんなに凄いの?」
「はい。家族ぐるみの付き合いですし、SNSでも……なんて言うか、これ見よがしに『匂わせ』てますよ」
「へぇ。……会ってみたいわね。どっちがより大地を好きか、勝負してみたいわ」
和香が冗談めかして笑う。
それは彼女なりの強がりのように見えた。
そんな2人の会話を、俺はただ黙って聞いていることしかできなかった。
街に夕暮れを告げるチャイムが鳴り響いた。
「……みんな、俺、そろそろ行くよ。遠藤、こういう場を作ってくれてありがとう」
「気にするな。お前の誤解が解けて、俺もホッとしたよ。親友として、またいつでも頼れよな」
遠藤の力強い言葉に、少しだけ救われた気がした。
「みんなわざわざ来てくれてありがとう。……また話せて、本当に良かった」
俺はそれだけ告げると、4人に背を向けて歩き出した。
数歩進んだところで、後ろから2人の女の子の押し殺したような、泣き声が聞こえてきた。
――振り返ることなんて、できなかった。
振り返ってはいけない。
重い足取りで公園を抜け、学校へと続く道を少し歩いた時だった。
前方から、見覚えのある制服を着た女子たちが、必死の形相で走ってくるのが見えた。
その先頭を走る少女の目には、涙が浮かんでいる。
「……大地――っ!!」
聞き間違えるはずのない、愛しい声。
華が、ものすごい勢いで俺の胸に飛び込んできた。
そのまま、俺の体に腕を回して泣きじゃくる。
「えっ!? 華……っ、なんで、ここに――」
背後を振り返ると、そこには気まずそうな顔をした生徒会メンバーと、南先輩が立っていた。
「……ごめんなさい。遠藤君から『大地君を迎えに行ってあげてほしい』って頼まれて」
「私も彼に、『大地君が中学の頃の知り合いと会うから、華ちゃんを連れてきてほしい』って言われたのよ」
菊池さんと南先輩が、申し訳なさそうに事情を説明してくれた。
どうやら遠藤は、俺の未練と後悔が晴れる瞬間を生徒会の皆にも見せたかったらしい。
――あいつなりの不器用な気遣いなのだろう。
鶴見さん、鳩ヶ谷さん、鳥羽さんの3人も、心配そうに俺を見つめている。
「その……大丈夫だったの?」
鶴見さんが、気を遣いながら声をかけてくれる。
「……はい。誤解はすべて解けました。ご心配をおかけしてすみません」
「そ、そう。それは良かったのだけど……」
鶴見さんの視線の先には、俺にしがみついたまま大泣きしている華がいる。
あまりに目立ってしまうため、俺たちは近くの小さな公園へ移動し、華をベンチに座らせた。
「えっと……じゃあ何があったか説明いいですか?」
俺が尋ねると、みんな一斉に視線を逸らした。
みんな俺と顔を合わせようとしない。気まずそうにしている。
「……わざとじゃないのよ。遠藤君に言われた時間に行ったら、女の子の泣き声が聞こえて……。それで急いで駆けつけたら、その……」
鳥羽さんがそう言うと、みんなが謝ってきた
遠藤はもしかしたら俺達の様子を生徒会の人たちに見せたかったのかもしれない。
俺の未練と後悔が晴れるところを。
「いえ、先輩達がそう言う人たちじゃないことはわかっています。俺の親友が気を回してくれただけなので」
「でもごめんなさい。デリケートな話を聞いてしまって」
「大丈夫ですよ。俺もあいつらに背中を押してもらえたので頑張れそうです」
俺がそう告げると、先輩たちは少しだけ安堵の表情を見せた。――1人を除いて。
「えっとそれで華は?」
「……聞いちゃったから。あんなに大地君のことを好きな女の子がいるって。その子のことまた好きになっちゃうんじゃないかって思って」
「――なるほどそう言うことですか」
俺は隣で大粒の涙を流し、両手で顔を隠している華に向き合った。
「華? ……こっち向いて」
俺が優しく声をかけると、彼女は観念したように手を下ろした。
そこには、真っ赤に腫れた目と、絶望に染まった表情の少女がいた。俺は彼女の目線に合わせて屈み込み、その震える手を握る。
「……ごめんなさい。私、あなたが悩んでたこと葛藤していたこともしらないで。勝手に舞い上がってた……。好き勝手に好意をぶつけて、あなたを困らせてばかり。……本当は、迷惑だったんでしょ? 鬱陶しかったんでしょ?」
絞り出すような彼女の声に、胸が痛む。
「そんなことないよ。俺も、華が好きだよ」
「嘘よ……っ! あんなに素敵な人がいるのに、私を好きになってくれるわけない! あの人の方がずっと大地のことを考えていて、私よりずっと長く一緒にいた……。私の知らないあなたを、あの人はたくさん知っているはずだもの!」
華は激しく首を振り、本音を漏らしていく。
「それに……それに、私には……あの父親の血が流れているのよ……っ! 誰かを好きになる資格なんてないの。きっと誰かを……大地を、傷つけてしまう。いつか失望させてしまうわ……!」
彼女の悲鳴のような本音。
華を縛っていたのは、周囲が作り上げた『王子様』という偶像だけじゃなかった。
もっと本質的で、逃れられない呪縛――『血』と『家族』。
水族館の帰り道に彼女が漏らした、『幸せな家族』への憧れ。
俺が感じていた「彼女はどこかで父性を求めているんじゃないか」という予感は、この絶望から来ていたのか。
俺が和香やバスケ部のみんなに抱いていた罪悪感と同じ。
いや、それ以上に。
彼女もまた、暗い淵で大きな不安と戦っていたのだ。
「……華。華が自分のことをそこまで否定したら、君が大切にしているたくま君のことも、否定することになっちゃうよ」
「……っ」
「華が『王子様』という期待に応えようとしていること。『生徒会副会長』として学校のために必死に頑張っていること。そして、たくま君にとっての幸せな『家族』であろうとしていること。俺は全部、知ってるよ」
俺は彼女の目線に合わせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ごめん。華の両親のことは、俺には正直分かってあげられない。……でも、俺が好きになったのは『華』なんだ。王子様でも、副会長でも、白鷺の家系でもない。俺の前で泣いて、笑って、たまに無茶苦茶な華自身なんだよ」
俺はそっと手を伸ばし、彼女の頬を伝う涙を指先で拭った。
「だから、そんなに自分を責めないで。……好きな人が泣いているところは見ていたくないな」
「……だい、ち……っ」
名前を呼ぶ声は震え、途切れ途切れだった。
俺の胸に顔を埋めるように、もたれかかりながらまた泣き出してしまう。
その勢いに押され、俺は思わず地面に尻餅をついた。
ぐすぐすと俺の肩口で泣き続ける彼女の、柔らかな髪をそっと撫でてあげる。
「もっど……なででぇ……っ」
「……ああ、もちろん」
「わ、わたしのこと……すき……っ?」
縋り付くような、消え入りそうな問いかけ。
俺はもう一度、今度は耳元で、はっきりと彼女に届くように告げる。
「好きだよ。……華」
「……だい、ち……っ。また、こくはく、してくれる……?」
上目遣いで、縋り付くように。
震える声で紡がれたその言葉は、彼女が勇気を振り絞って差し出した、最後の救いへの手だった。
「……ああ。約束するよ。大丈夫、もうどこにも行かないから」
俺がはっきりと答えると、華はまた「う、うゔぅ……」と声を漏らして、俺の胸に顔を埋めた。
ふと周りを見渡すと、先輩達や菊池さんたちまでもが、ハンカチで目元を拭っていた。
……きっと、俺たちは似ていたんだ。
「家族のため」という言葉を盾にして、周りと一線を引き、自分を納得させて……一人で立ち上がることを強いていた。
でも、今ならわかる。
こうして俺たちのために一緒に泣いてくれる、素敵な人たちがそばにいてくれる。
一人で背負わなくていいんだと、教えてくれている。
「……だい、ち……だいすき……っ」
俺のシャツを握りしめ、肩口で泣きじゃくるこの女の子が、今はたまらなく愛おしい。




