42 王子様と水族館(2)
イルカショーの興奮を胸に、俺たちはトンネル型の水槽エリアへと足を踏み入れた。
頭上まで広がる360度の巨大な水槽。
天井から差し込む光が、神秘的な世界を作り出している。
大きなエイや、魚の群れ。
まるで、海中を歩いているような感覚だ。
「幻想的ね、綺麗だわ」
そう言う華に頷くことしかできなかった。
俺もまた、その光景に心を奪われていた。
すると、ふいに声をかけられた。
「あの、すみません。お写真を撮っていただくことはできますか?」
振り返ると、そこには穏やかそうな男性と、奥さんらしき女性、そして小学生くらいの女の子がいた。
どうやら家族で遊びに来ているらしい。
「勿論いいですよ」
俺は快諾してスマホを受け取り、仲睦まじく並ぶ3人の姿を何枚か撮影した。
「確認をお願いします。……こんな感じで大丈夫でしょうか」
3人が頭を突き合わせて写真を見ながら、笑顔で話し合っている。
そんな何気ない風景は、どこか温かく眩しくもあった。
「わあ、ありがとうございます! よく撮れていますよ」
「それは良かったです」
「彼女さんとの写真お撮りしましょうか?」
「え……?」
男性の言葉に、隣にいた華が「かのじょ……」と小さく呟いて顔を真っ赤にする。
俺も心臓が跳ね上がるのを感じながら、慌てて否定しようとした。
「いや、実は僕たち、付き合って――」
「すみません! お願いしてもいいでしょうか……彼氏との、写真」
華が俺の言葉を遮るように、無理やり俺の腕を掴んでお願いした。
笑いながら俺たちを絶好の撮影スポットへと案内してくれた。
「彼氏さん、すこし表情が固いので笑ってください」
そう言われるがこの雰囲気と、華の大胆さに緊張して笑顔を作ることができない。
どうすればいいか分からず戸惑っていると、華がそっと顔を寄せ、小さな声で語りかけてきた。
「ねぇ大地。私こういうところに来たの初めてなの」
彼女の家庭の事情は知っている。
両親の仲も良くなく、離婚しお母さんはいなくなってしまった。
そして今日、子供のようにはしゃいでた彼女の様子から、その言葉の意味を理解できた。
「でも、初めて来たのがあなたとで、本当に良かったわ」
華は少し照れたように、俺を見つめた。
「今度はたくまや千代ちゃん、お母様も呼んで。……みんなで、また来ましょ」
その笑顔に、俺は気づけば自分でも驚くほど自然な笑みを返していた。
一瞬、世界から音が消え、2人きりになったような――そんな感覚がした。
「撮れましたよ、とてもいい写真ですよ」
声をかけられ、俺たちは現実へと引き戻された。
見せてもらったスマホの画面には、幻想的な世界の中で、照れくさそうに見つめ合う2人がいた。
「……ありがとうございます。本当に、綺麗に撮っていただいて」
「いえいえ、被写体の2人がお似合いだっただけですよ。良い休日を!」
そう言って、幸せそうな家族連れは去っていった。
写真を見返しながら、華がどこか嬉しそうに呟く。
「彼女」と呼ばれてあんなに真っ赤になっていたのに、今はその余韻を楽しんでいるかのようだった。
「……そろそろ、夕方ね。最後にショップに寄りましょう? 千代ちゃんとたくまにお土産を買わなくちゃ」
「そうだな。千代にはカワウソのぬいぐるみでも買ってやるか」
ショップに入ると、俺は千代のためにカワウソのぬいぐるみを、華はたくま君のために水族館の生き物図鑑を手に取った。
棚を眺めていた華が、ふと足を止めて木製の写真立てを手に取る。
図鑑や他のお土産もすでにカゴに入れている。
「……そんなに買って大丈夫か? 結構な荷物になるぞ」
「大丈夫よ。お金なら、やりくりしているわ。……それに、あの人たちからは、定期的に振り込まれているしね」
少しだけ自嘲気味に、けれど淡々と彼女は言った。
経済的な支援は続いていると聞き、俺は少しだけ安堵した。
「あ、これいいわね」
彼女が次に手に取ったのは、二頭のイルカが寄り添うペアのストラップだった。
「これ、ピンクが私で、青が大地。……いいかしら?」
「えっと……ああ。ありがとう、大切にするよ」
買い物を終えて水族館を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
楽しかった時間はあっという間に過ぎ去っていく。
「……楽しかったわ。南さんには、月曜日にしっかりお礼を言わなくちゃね」
「そうだね。お土産も喜んでくれるといいけど」
俺たちは駅に向かって、ゆっくりと歩き出す。
館内では繋いでいた手も、今は自然と離れていた。
「……大地。さっき言ったこと、覚えてる? 水族館に来たのが初めてだって」
「写真撮ってもらった時のことか?」
「そう」
華は前を向いたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「実はね、たくまもこういう所に来たことがないのよ」
彼女のお母さんがいなくなったのは、たくま君が幼稚園に入ってすぐだった。
そんなことを以前母さんとの話の中で聞いたことがある。
「そうなのか」
「こういう場所には、幸せそうな人しかいないでしょう? たくまを連れてきたら、あの子もきっと……自分たちとは違う『幸せそうな家族』を見て、羨ましいと思ってしまう。そう思ったら、怖くて連れてこれなかったの」
震える声を隠すように、彼女は続ける。
「最初の方は、たくまと私は喧嘩ばかりだったわ。私だって、みんなみたいに遊びに行ったり、高校で色んな思い出を作りたいって……ずっと思ってた」
「そこからずっとギクシャクした関係がこの前まで続いてたわ。でもあなたと会って私たちは変われたわ」
「……華」
「幼稚園で初めて会った時、声をかけてくれて救われた。料理もたくまが私に『これ作って欲しい』と言ってくれたり、幼稚園のこととかを、話してくれるようになった」
「俺は……そんな大それたことをしたつもりはないよ」
「あなたにとってはそうかもだけど、私達にとっては違うの。……たくまをここに連れてきてあげたい。またここに来ましょう。今度はみんなで」
「そうだね、千代も母さんも――たくま君もきっと喜ぶと思う」
俺がそう答えると、華はそっと、俺の左手を握りしめてきた。
「そういうことだから。……これからも、よろしくね、大地」
彼女が向けてくれている好意には、気づいている。
こんなに真っ直ぐアプローチをして、わざわざ「デート」なんて言葉を使って誘ってくれる彼女の想い。
気づかないほど俺は鈍感じゃない。
今の俺に彼女が求めているのは、欠落した父性なのか、パートナーとしての愛情か。
それはまだ、俺にはわからない。
けれど、確かなことが一つだけ。
俺だって、彼女のことが好きだ。
凛々しく、学校の『王子様』としての彼女は尊敬している。
けれど、それ以上に――弱さを抱え、俺の前でだけ年相応の顔を見せる『白鷺華』という1人の少女のことを、愛おしいと思う。
いつか、この幸せな時間が終わってしまうかもしれない。
その怖さに打ち勝つ勇気を、俺はまだ持てない。
今はまだ、このままでもいいのかもしれない。
この、名前のない関係のままで。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
これにて3章が終了です。
4章からは2人の関係が更に濃いものになってきます。
それと同時にヒロインの独占欲も強く……?
ブックマークやリアクション評価ありがとうございます!
今後ともよろしくお願いいたします!




