31 王子様と寝起き
満足そうに鏡を覗き込む華の横顔を見て、俺はようやく肩の力を抜いた。
「……よかった。気に入ってもらえたみたいで」
俺がドライヤーのコードを巻き始めると、華は名残惜しそうに自分の毛先を指でなぞった。
「ええ、さらさら。……大地、ありがとう」
そう言って微笑む彼女の目は、少しだけ熱を帯びているように見えた。
「あ、ずるい! お姉ちゃんばっかり、お兄ちゃんに構ってもらって!」
テレビの前から、千代が不満げな声を上げた。隣に座るたくま君も、少し眠そうに目をこすりながらこちらをじっと見ている。
「千代だって、さっきやってもらったでしょ。……ほら、たくま君も眠そうだし、そろそろ寝る準備しようか」
俺が促すと、タイミングよく母さんが部屋に入ってきた。
「はいはい、子供たちはこっちの部屋ね。布団、もう敷いてあるから」
母さんの言葉に、千代が不満そうに頬を膨らませる。
「お兄ちゃんお姉ちゃんとも一緒に寝たい!」
俺と華は、後で生徒会の仕事について話す約束をしていた。そのため、母さんに2人のことを頼もうとしていたのだが。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんはやらないといけないことがあるからダメよ」
そう諭されても納得がいかないようで、駄々をこね始めた2人。
「わかったわ。せっかくだから一緒に寝ましょう」
華が根負けしたように頷いた。
俺のスマホには、彼女から『二人を寝かしつけてから話しましょう』というチャットが飛んできていた。
「わかった。俺も行くから、ほら、準備して」
そう言うと、二人は大喜びで寝室に向かっていった。ちなみに母さんは見たいドラマがあるとのことで、俺たち2人が弟妹を寝かしつける形になった。
「お兄ちゃんはここ! 華お姉ちゃんはここ!」
千代に指をさされて左から
左から俺、千代、たくま君、華の順での順番で川の字で横になる。
最初の方は幼稚園やアニメの話をしていたが、眠気が限界に来たのか、2人の口数は次第に少なくなっていった。
「……静かになったわね」
華がぽつりと呟いた。
さっきまでの賑やかさが嘘のように、空間が急に広く、そしてひどく密接に感じられた。
「……華も、疲れてない?今日はいろいろ急だったし」
「全然。むしろ、すごく楽しかったわ。こうやって大地の家で、家族みたいに過ごすの」
真っ暗な部屋の中、天井を見上げながら小声で言葉を交わす。
「……ねぇ、大地。今日の昼間、生徒会室でのこと、怒ってる?」
生徒会でのペア決め。
彼女がほぼ独断で俺を指名した件だ。
「怒ってはいないよ。ただ、びっくりしただけ。学校ではあんまり関わらないようにするって言ってたからな」
「そうね、言ったわ。でも――大地と一緒にいたかったの」
華がいたずらっぽく言ってくる。
学校では決して見せない、声で。
「学園祭の準備、大変になると思うけれど……ずっと隣にいてもらうわ。いいわよね?」
「もちろん。こちらこそ、迷惑をかけるかもしれないけどよろしく」
有無を言わせぬ口調。
そして、かすかな独占欲が混じったような声。
部屋が暗くて本当によかったと思う。
この顔は、とても見せられたものじゃない。
「そういえば、一緒に買ったコップ、使ってないの?」
唐突な問いに、俺は言葉を詰まらせた。
「あー、あれは……」
夏休み、たくま君のプレゼントを買いに出かけた際にお揃いで買ったマグカップ。
使いたい気持ちは山々だったが、大切にしたいあまり、箱から出せずにいたのだ。
「せっかくだから、学校に持っていこうと思ってさ。役員室に俺のコップ、まだ置いてないし」
「……あれを使っているあなたの姿、見たいわ」
消え入りそうな声で、彼女はそう言った。
その囁きを最後に、会話は途切れた。
静まり返った部屋に、千代とたくま君の規則正しい寝息だけが響く。
「……華?」
返事はない。
少しして、隣からすうすうと小さな寝息が聞こえてきた。どうやら、先に夢の中へ落ちてしまったらしい。
彼女が俺の家で寝ている。
それを意識しないように天井を見つめていたが、俺の意識も次第に薄れて行く。
顔に当たる温かな光で、俺は目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋の中を白く照らしている。
(……体が、重い)
妙な圧迫感に眉を寄せ、視線を落とす。
そこには、いつもの姿からは想像もつかない光景が広がっていた。
「……んぅ……」
華だった。
彼女はいつの間にか俺の布団へ侵入し、俺の腕を抱き枕のようにしてしがみついている。
右足は千代とたくま君のお腹のあたりに乗っかっており、ひどい寝相を晒していた。
間に千代とたくま君が挟まっているのに、どうしたらこうなるのか。。
「……おにーちゃん、おはよ……」
俺の隣で、たくま君と千代が眠そうに目をこすりながら起き上がった。
自分達のお腹に乗っている華の足を不思議そうに見つめ、それから俺と顔を見合わせる。
「華お姉ちゃん、すごいね」
「……ああ。そうだな。家でもこんな感じ?」
「お姉ちゃんいつも布団から出てる」
苦笑いしながら、俺は眠り姫の肩を揺らした。
「おい、華。朝だぞ、起きろ」
「……むにゃ……あと、5分……」
華は俺の腕に顔を埋め、さらに強くしがみついてくる。
「華おねえちゃん! 起きて! 朝ごはん食べるよ!」
たくま君も加勢して、華の背中をぽんぽんと叩く。
それでも彼女は「んー……」と唸るだけで、一向に目を開ける気配がない。
「華、このままだと母さんが部屋に入ってくるぞ。……いいのか? こんな姿見られて」
その言葉が効いたのか、華の肩がびくりと跳ねた。
彼女はゆっくりと、しかし重そうにまぶたを持ち上げる。
「…………だ、いち?」
焦点の定まっていない瞳が、間近にある俺の顔を捉えた。
数秒の沈黙。
それから、彼女は自分が俺にしがみついてる現状を理解したらしい。
「っ……!? ご、ごめんなさい……!」
顔を真っ赤にして跳ね起きる華。
しかし、寝起き特有の気怠さに勝てなかったのか、彼女はそのままフラフラと俺の胸元に倒れ込んできた。
「……だめ。まだ、頭が働かないわ……」
「……わかったから。とりあえず、落ち着いて」
結局、彼女が完全に覚醒するまで、俺たちはしばらくそのままで過ごす羽目になった。
学校では絶対に見られない彼女の「弱点」がまた1つ見つかった。
少しだけ誇らしい朝だった。




