30 王子様とお泊り
「お兄! 今日、たくま君とお泊まりしたい!」
幼稚園に迎えに行くやいなや、千代がそんな爆弾発言を投下した。
隣にいるたくま君も、口には出さないものの、期待に満ちた瞳をこちらに向けてくる。
華から夕食を食べたいという話は聞いていたが、まさかお泊まりにまで発展するとは聞いていない。
「……母さん、大丈夫なの?」
不安になって隣の母親に視線を送ると、彼女は全く問題ないとばかりに、指で大きく『丸』を作って見せた。
「華、大丈夫? たくま君、泊まらせちゃっても」
「大地の家なら問題ないわ。信頼しているから」
華がそう答えると、母さんが不思議そうな、それでいて少し含みのある顔をして尋ねてきた。
「あら、だったら華ちゃんも泊まっていったらいいじゃない。」
「「えっ?」」
俺と華の声が綺麗に重なる。
いくらなんでも、それは――
そんな俺の気持ちをよそに、華は一瞬の沈黙の後、意を決したように深く頭を下げた。
「お母様、よろしければ……私も泊まらせてください」
学校で見せるような、凛々しい口調。
けれどその耳たぶは、夕陽のせいだけではなく赤く染まっている。
母さんが快諾すると、華は俺たちの視線を避けるようにして、小さくガッツポーズをした。
(……俺の意思はどこに行ったんだ。)
「一度、準備をしに戻るわね!」
いつになくハイテンションな二人は、弾むような足取りで一度家へと戻っていった。
「たくま君も華お姉ちゃんも、すっごく嬉しそうだったね」
手を繋ぎながら笑顔で言う千代に、俺は苦笑いを返すことしかできなかった。
「「お邪魔しまーす!」」
大きなバッグに荷物を詰め込んだ白鷺姉弟が、再び我が家を訪れた。
夏休みの間に何度か遊びに来ているせいか、2人とも慣れた足取りで居間へと向かっていく。
「みんな、夕飯は何が食べたい?」
「「お兄ちゃんのだったら、なんでもいいー!」」
ちびっ子2人はテレビに夢中で、返事も生返事だ。
正直、料理担当にとって『なんでもいい』が一番の難題なのだが。
「華、何かリクエストあるか?」
「そうね……生姜焼きとか、どうかしら?」
「了解。それなら材料も揃ってるし、すぐに作れるな」
エプロンを締めてキッチンに立つと、いつの間にか制服の袖を捲った華が隣に立っていた。
「私も何か手伝えることはあるかしら?」
たくまの誕生日に特訓した甲斐もあり、彼女の手つきもそれなりに上達してきている。とはいえ、まだメインを任せるのは少し不安だ。
「じゃあ、付け合わせのキャベツを千切りにしてくれるか?」
「わかった、任せて」
包丁を握る彼女と肩を並べて作業を始める。
夏休み何度も繰り返してきた光景。
ただ、これから一晩を共にすると思うと、どうにも落ち着かない。
学園祭の準備について小声で相談しながら料理を進めていると、たくまと千代がキッチンに乱入してきた。
「2人とも、どうしたの?」
華が尋ねると、たくま君が彼女のスマホを差し出してきた。
「お姉ちゃん、写真撮っていい?」
「いいわよ。ちょっと待ってね」
華がスマホのロックを解除して手渡す。
どうやら先日コンビニで写真を現像したのがよほど嬉しかったらしい。
たくま君はこうやってスマホを借りて色んなものを撮影しているらしい。
千代を撮った後、たくま君は俺たちの方へレンズを向けた。
「お兄ちゃんも撮っていい?」
「ん? おう、いいぞ」
俺がピースサインを作ると、たくまは満足げにシャッターを切った。
「お兄ちゃんでよければ、いつでも撮っていいからな」
「本当!? お姉ちゃんも?」
「ええ、私も構わないわよ」
「やったー!」
2人のちびっ子カメラマンは、俺たちが並んで生姜焼きを作っている姿を、楽しそうに次々と記録していった。
そうして賑やかな夕食を終えた頃、母さんが風呂の準備を整えて戻ってきた。
「お風呂、誰から入る?」
「僕、お兄ちゃんと入りたい!」
「なら、私はお姉ちゃんと入る!」
自然な流れで、俺とたくま、華と千代のペアに分かれることになった。
「お兄ちゃん、急にお泊まりしてごめんなさい」
浴室でたくまの頭を洗ってやっていると、彼がふいに申し訳なさそうな声を上げた。
我が家に馴染みすぎて忘れていた。
このこも、根本的な部分は姉と似ている。
優しすぎるがゆえに、周りに気を使いすぎてしまうのだ。
「大丈夫だよ。母さんも千代も、たくま君がいると楽しいって言ってるし。またいつでも泊まりに来てくれ」
「え、本当にいいの?」
「もちろんだ」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
そう言って千代たちと入れ替わるように俺たちはお風呂をでた。
2人で幼稚園の話などをしながら、髪を乾かしてあげる。
そうしているうちに女性陣2人も出てきた。
いつも制服の華のパジャマ姿。
夏休みに何度か私服姿を見たがそれ以上になぜかドキドキする。
「何じっと見て?」
「い、嫌なんでもない」
「大地のえっち」
冗談めかして言われ、俺は顔を熱くしながら視線を泳がせた。
風呂上がりの熱気のせいか、それともパジャマ姿の彼女のせいか。
誤魔化すように千代に声をかける。
「千代、髪乾かすからこっちおいで」
「はーい!」
千代が弾むような足取りでやってきて、俺の膝の間に器用に収まった。
まずはタオルで髪を包み、優しく叩くようにして水気を取っていく。千代の髪は細くて長い。
雑に扱うとすぐに絡まってしまうから、慎重に手櫛で髪を整えていく。
「これ母さんが使ってる千代が好きな匂いのやつ。使っていいって」
「わぁ、やった!」
先日、テレビで紹介されていたヘアケアの手順を真似してみたところ、千代にはすこぶる好評だった。
そこから千代の風呂上がりの係は俺になった。
手のひらでオイルを毛先まで入念に馴染ませ、手櫛で大まかに解きながらドライヤーの温風を当てていく。
「はい、おしまい。さらさらになったぞ」
「お兄ちゃん、ありがとう!」
膝の上にいた千代は、満足そうに自分の髪を揺らしながらテレビの前へと走っていった。
やっぱり千代には、いつまでも綺麗でいてほしい。
そんな兄としての満足感に浸っていると、ふいに背中に突き刺さるような視線を感じた。
「……」
振り返ると、そこには不機嫌そうに唇を尖らせた華が立っていた。
俺を射殺さんばかりの鋭い、けれどどこか切なげな視線がこちらを捉えている。
「あ……ごめん。次、ドライヤー使う?」
「……」
返事はない。彼女は無言のまま、とてとてと歩み寄ってくると、俺の目の前でぴたりと立ち止まった。
「……私もやって」
「え?」
「私の髪も、千代ちゃんみたいにやってよ」
上目遣いで、ぽつりと。
「流石にまずいよ。それに華だってこだわりあるでしょ?」
「いいからやって」
そう言って俺の前に腰を下ろす。
(……『とことん甘える』って、こういうことかよ)
俺は観念して、ドライヤーを握り直した。
彼女の髪は、世に言うミディアムヘアだ。
千代ほど長くはない分、手間はかからないかもしれない。
「触るけど、いい?」
「ええ……お願い」
まずはタオルで包み、トントンと叩くようにして丁寧に水気を取っていく。
「なんか痛いとかはないか?」
「全く。むしろ、すごく気持ちいい……」
彼女の吐息が混じった声が、ドライヤーの準備をする俺の耳をくすぐる。
次に、彼女が自宅から持参したヘアオイルを手に取った。毛先を中心に軽く馴染ませ、ドライヤーのスイッチを入れる。
「……なんか、すごく慣れているわね。よく千代ちゃんにやってあげてるの?」
「そうだな。一回やってあげたら好評で、ここ最近はすっかり俺の係」
「ふーーん」
華はどこか不満そうな口ぶりで前を向き直した。
? 何か気に触るようなことを言っただろうか。
俺は首を傾げながらも、指先から伝わる彼女の髪のケアに集中した。
やがて髪が完全に乾ききる。
「華、終わったよ。どう?」
近くにあった手鏡を渡すと、彼女は自分の髪を指でなぞり、満足そうに何度も頷いた。




