29 王子様と新学期
夏休みが終わった。
短いようで、あまりに濃密な1ヶ月。
『王子様』の意外な素顔を知ったのは、俺の人生において最大の事件と言ってもいい。
しかし、新学期の初日。
教室へと続く廊下には、不穏な人だかりができていた。
20人近い男女が、こちらを凝視している。
その中の1人が俺を見つけるなり、大きな声を上げた。
「いたぞ! 君、上原君だよね!?」
体育祭期間中に華と一緒にいたことで、あらぬ疑いをかけられたトラウマが蘇る。
また面倒なことに巻き込まれるのかと身構えたが、彼らの反応は予想とは違っていた。
「君、青葉と一緒にストバスやってたよね!? あの有村のバカをボコボコにしてさ!」
「え、なんでそれを……」
差し出されたスマホの画面には、インタビューを受ける青葉と、それに続いて俺たちが有村先輩を圧倒している試合動画が流れていた。
そういえばあの時、誰かに撮影の許可を求められて適当に頷いた記憶がある。
「……ああ、確かに俺ですけど」
肯定した瞬間、周囲の温度が跳ね上がった。
「やっぱり! 俺たちバスケ部なんだ。上原君、もし良かったらウチに入部してくれないか!?」
「僕たち、あの動画を見て君のプレーに惚れ込んだんだ!」
熱烈な勧誘にたじろいでいると、廊下の奥から聞き覚えのある、凛とした声が響いた。
「――ちょっと。その子は生徒会の『庶務』なんだから、勝手に連れて行かないでもらえるかしら」
人だかりが割れ、そこには生徒会の役員たちが揃い踏みしていた。
先頭に立つのは、かつてバスケ部に所属していたという鶴見先輩だ。
「鶴見先輩! お疲れ様です!」
バスケ部員たちが一斉に直立不動で頭を下げる。体育会系の上下関係は健在らしい。
「みんな、廊下で騒ぐと他の生徒の迷惑よ。1回落ち着きなさい」
「大地君は生徒会の仕事があるから、部活に入るのは難しいわ。ね、会長?」
鶴見先輩に振られ、烏羽さんが付け加えた。
「ええ。彼の放課後の時間は生徒会活動をしているので部活に参加するのは厳しいです。……まぁでも、昼休みくらいの自由時間なら、少しは相手をしてもいいんじゃない?」
「いいのか!? やったぁ!」
「上原君、あとで体育館で待ってるから!」
鶴見先輩と烏羽さんの提案に、バスケ部員たちは満足げに散っていった。
ちなみに俺は一言もいいなんて言ってない。
「ありがとうございます助かりました、皆さん。どうしてここが分かったんですか?」
「南さんが教えてくれたの。『ナイトくん』がバスケ部に囲まれてピンチだって」
鶴見先輩が笑いながら俺の肩をバシバシと叩く。その様子を少し離れた場所から、華――白鷺さんが静かに見つめていた。
「私たちも教室に戻るわ。じゃあ、また後でね。……『上原君』」
「はい。……また後で、白鷺さん」
華は優雅に翻り、他の役員たちと共に去って行った。
学校では下の名前呼びは禁止。
お互いに『上原君』と『白鷺さん』で通そうという、夏休み中に約束した。
俺の隣で「大地」と呼んで甘えていた少女と、今目の前を歩く気高き「王子様」。
自分だけが知っている彼女の「素」の顔を思い出しながら、俺は心の中で小さく呟いた。
(……なんか、これ。ものすごく『秘密の関係』っぽくて、心臓に悪いな)
2学期の幕開け。
静かだった廊下で、俺の鼓動だけがやけに騒がしく鳴り響いていた。
「その感じだと、昼休みは体育館に連行されたかしら?」
放課後の生徒会室。
頬杖をついていた会長の烏羽さんに声をかけられた。
「すみません、やっぱり汗臭かったですか?ジャージあるんで着替えてきます」
俺は慌てて自分の制服の匂いを嗅ぐ。
結局、お昼休みはバスケ部員たちが教室に来たことで、体育館のミニゲームに出る羽目になったのだ。
九月の体育館はまだ蒸し風呂のようで、制服のままバスケをするには流石に限界があった。
「違う違う。匂いじゃなくて、髪の毛。いつもよりボサボサよ?」
烏羽さんがクスクスと笑いながら指摘する。
俺は手櫛で慌てて髪を整えるが、その様子を横で見ていた華は、表情一つ変えずに資料をめくっていた。
「さあ――新学期早々だけど、会議を始めましょうか」
烏羽会長の号令で、ソファーに座っていた先輩たちもデスクに向き直る。
今期は学園祭という最大の難所が控えている。
予算案の精査、近隣住民への挨拶回り、各クラスの集計、出展団体の管理……やるべきことは山積みだ。
「これだけ仕事量が多いと、個人の負担が大きすぎるわ。だから、2組ずつのペアを作ってカバーし合う体制で行こうと思うのだけど……どう分けるのが効率的かしら?」
烏羽さんの提案に、菊池さんが真っ先に手を挙げた。
「私と大地君は同じ2年生ですから、一緒じゃない方がいいと思います。3年生の先輩に付いて教わる形にするのが一番だと思います」
「確かにそうね。後輩2人で固めるより、経験のある3年生が一人ずつ入る方が合理的だわ」
烏羽さんが頷く。もっともな意見だ。
となると、烏羽さんと華ペアで、
会計の2人と2年生2人がそれぞれペアを組む感じだと分かった。
ところが俺の予想は大きく外れた。
「なら――私と上原君をペアにしてほしいわ」
静かだが、断固とした声だった。
副会長である華の突然の指名に、室内が「えっ!?」という驚きの声で満たされる。
「は、華ちゃん、珍しいわね。どうして?」
烏羽さんが驚いたように目を見る。
学校では名前呼びや敬語の徹底をするよう言ってきたのは、他ならぬ華自身だったはずだ。
俺も驚きで固まったが、彼女は平然とした顔で続けた。
「体育祭の時も私の実務を手伝ってもらって、一番連携が取れているからよ。上原君も私のやり方には慣れているでしょうし、今から別の誰かが一から教える手間を省くのが、一番効率的だと思うわ」
華は淡々と、事務的な口調で伝える。
烏羽会長を見据える。
「それに、私とヒヨリはもう大学の推薦が決まっている。そして楓は次期会長候補。
彼女には、会長であるヒヨリの隣で、より全体を見渡す仕事を学んでもらうのがベストだと思うの。……どうかしら?」
ぐうの音も出ないほどの正論。
その完璧な副会長としての進言。
「……なるほど。確かにそう言われればそうね。」
「私と楓。鏡花と茜。それで――華ちゃんと大地くん。それでいいかしら?」
周りからも異論はなく、そのままペアが決定した。
会議の後、俺は周りに悟られないよう、こっそりと華にメッセージを送った。
『学校ではあまり関わらないって約束じゃなかったの?』
すぐに既読がつく。
『これくらいなら、業務上の判断として何もおかしくないわ』
『うーん、そうかな……?』
『そうよ。気にしすぎ。……あと、今日の夜、あなたの家でご飯食べるわ。よろしくね』
不意打ちの一言に、俺は思わず驚きで椅子を蹴り上げて立ち上がってしまった。
ガタッ、と大きな音が響き、室内の視線が一斉に俺に集まる。
「大くん、大丈夫?」
「あ、だい、大丈夫です! ちょっとぼーっとしていて、足に力が入りすぎました……」
「もー、気をつけてね」
烏羽さんたちに笑われながら、俺は冷や汗を拭う。
(元はといえば、華が急にそんなことを言うから……!)
恨めしそうに彼女の方を見ると、そこには先ほどまでの表情はなかった。
ほんの少しだけ口角を上げ、楽しそうに表情を崩すと、口元に人差し指を当てて――
いたずらっぽく「しーっ」と合図を送ってきた。




