18 王子様とハンバーグ
急遽、白鷺姉弟を招待することになり、俺たちは帰り道にあるスーパーへと立ち寄った。
今夜の夜ご飯は、たくま君のリクエストでハンバーグに決定。
ひき肉や玉ねぎをカゴに入れていると、千代とたくま君が手を繋いでやってきた。
片手にお菓子を持ってキラキラした目でねだるようにその箱をいれてきた。
「ちょっと、たくま! ごめんなさい上原君、これは私が払うから」
慌ててカゴから取り出そうとする白鷺さんを、俺は苦笑いで制した。
「大丈夫ですよ。全部まとめて買っちゃいますから」
「でも……さすがにそこまで甘えるわけには……」
「いいんです。今日はうちが招待したんですから」
結局、押し問答の末に俺が彼女を説得し、レジへと向かった。
会計の間も、先輩はどこかソワソワと落ち着かない様子で周囲を気にしている。
学校では隙のない彼女が、こうして家庭的な空間で揺れ動いている姿は、なんだかとても新鮮だった。
「千代、たくま君、帰ったらまず手を洗うんだぞ」
「「はーい!」」
家に着くなり、元気な返事をして洗面所へ駆けていく二人を見送り、俺は買い物袋をキッチンに置いた。
ふと振り返ると、玄関で白鷺さんが彫像のように固まっている。
その緊張した面持ちは、俺が生徒会室のドアを初めて叩いた時を見ているようだった。
「……先輩、遠慮せずに上がってください」
「う、うん。……お邪魔、するわね」
先輩は顔を耳の先まで真っ赤にしながら、ようやく靴を脱いだ。
「白鷺さん、顔赤いですけど大丈夫ですか? 」
「え、ええ……大丈夫よ。ごめんなさい、少しぼーっとしてしまって」
なんとか先輩を居間のソファに座らせ、俺はエプロンを締めて調理を開始した。
たくま君は料理に興味があるのか、踏み台を持ってきて俺の隣でじっと手元を覗き込んでいる。
時計の針が十九時半を回る頃、こんがりと焼き上がったハンバーグが完成した。
「さあ、出来たぞ。食べてくれ」
「「いただきます!」」
二人の子供が元気よく声を合わせ、食卓を囲む賑やかな時間が始まった。
そんな中、一人だけ箸を止めたまま、目の前のハンバーグをじっと見つめて動かない人物がいた。
「白鷺さん? どうぞ冷めないうちに食べてください」
「……ええ。……いただきます」
覚悟を決めたように、先輩は箸を使って小さく切り分けた肉を口に運んだ。
その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「……っ! 上原君、これ、とっても美味しいわ!」
あふれんばかりの満面の笑み。
学校での完璧な微笑みとは違う、心からの興奮が伝わってくる。
「お兄ちゃん、美味しいー!」
たくま君も口いっぱいに頬張りながら笑顔を見せてくれる。
いつも千代に作る時も喜んでくれるが、こうして2人からのリアクションをもらうのは、温かい気持ちになれた。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
食卓に四人の声が重なり、賑やかだった夕食の時間が幕を閉じる。
食器を片付け、シンクで洗い物を始めると、たくま君がトコトコとやってきて俺の隣に立った。
「お兄ちゃん、僕も手伝う!」
「お、偉いな。じゃあ、このお皿を拭くのをお願いしてもいいか?」
「うん!」
小さな手で一生懸命に布巾を動かす彼の姿を見て、俺は思わず目を細めた。
この子の優しさは、きっとお姉さん譲りなのだろう。
「久々に、こんなに美味しいご飯食べた! お腹いっぱい!」
満足げにお腹をさするたくま君に、俺は手を動かしながら何気なく尋ねた。
「それはよかった。……たくま君、いつもはお家でどんなの食べてるの?」
「うーん……カップラーメンとか、コンビニのパンとか? あとはスーパーのお惣菜とか、レトルトのカレーが多いかな!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の指先が止まった。
洗っていた箸とスポンジが、重い音を立ててシンクの中に落ちる。
「……白鷺さん。さすがに、それは?」
リビングで千代と一緒にテレビを見ていた白鷺先輩を振り返ると、彼女はひどく狼狽した様子であたふたとし始めた。
「い、いや、上原君、それはね……。わ、私が作る料理は、その……あんまり美味しくなくて、いつも残っちゃうから! そ、それなら既製品の方が美味しいし、たくまも喜ぶからって思って……!」
普段の冷静沈着な姿からは考えられないほどの早口。
顔を真っ赤にして必死に言い訳を並べる彼女の姿が、なんだか無性に可笑しかった。
俺は思わず大きな声で笑ってしまった。
「な、何よ。失礼ね……っ」
不満そうに唇を尖らせて睨んでくるけれど、その瞳にはいつもの鋭さはない。
出会った頃の自分に教えてやりたい。
あの白鷺先輩と、こんな風に笑い合いながら冗談を言い合える日が来るなんて、誰が想像できただろうか。
誰が、どのような意図で彼女を『王子様』と呼び始めたのかは知らない。
学園の生徒たちは彼女を崇拝し、どこか遠い存在として扱っている。
自分たちとは違う、完璧な存在——そう決めつけて、無意識に壁を作っているんだ。
けれど、本当の彼女はこうして美味しいものに目を輝かせ、図星を突かれれば焦って誤魔化しもする、ごく普通の、等身大の少女だ。
「……でも先輩、二人とも育ち盛りなんですから。毎晩そんな食事じゃ体に悪いですよ」
「……わかっているわよ。でも、料理教室とかに行くような時間はないし、そもそも何から学べばいいのかすら……わからないのよ」
先輩は視線を落とし白状した。
家事に弟の世話、それに生徒会や受験もある。
たった一人で背負ってきた彼女には、余裕なんてなかったのだろう。
「それなら――俺が教えますよ。今度、時間がある時にでも」
俺がそう言うと、先輩は弾かれたように顔を上げた。
「え……? でも、そんなのさすがに悪いわ。これ以上、上原君の迷惑に――」
「悪くないですよ。それに迷惑じゃありません」
食い気味に、けれど努めて穏やかに言葉を被せる。
「俺が教えたいんです。……それに、何よりたくま君と白鷺さんのためですから」
そう言って、俺は足元で皿を拭いているたくま君に視線を送った。
先輩は何かを言いかけ、そのまま唇を噤んで考え込んでしまった。数秒の沈黙の後、ようやく憑き物が落ちたような顔で「……お願いするわ」と小さく零した。
『悪い』――それが、彼女の長所でもあり悪癖でもあるのだろう。
誰かに頼ることを負い目に感じてしまう。
そんな彼女の頑なな心を、真っ向から否定せず、俺からの「提案」という形にすり替える。
それが、今の彼女の罪悪感を軽くするための、俺なりの作戦だった。
『王子様』――ではない
誰よりも優しくて、天邪鬼な彼女との距離が一歩縮まった気がする。




