17 王子様がうちに来る
喧騒も過ぎ去り、生徒会室には各々が作業に向かう静かな時間が流れていた。
そろそろ夏休みに入るため、メンバー全員が揃う機会も珍しくなる。
残りの日数で、夏休み明けの仕事をまとめる必要があった。
時刻は17時50分。
今日は千代を幼稚園へ迎えに行くと約束している日だ。
「資料作りが終わったんで、今日はこのまま抜けますね」
「――私も帰るわ」
俺の言葉に続くようにして、白鷺さんも立ち上がった。
今朝、母さんから「二人で迎えにおいで」と言われたことも理由にあるのだろう。
こうして二人揃って生徒会室を抜けるのは初めてのことだ。
「了解。二人とも気をつけてね」
先輩たちに見送られてドアを出る。廊下を少し歩いたところで、背後から鶴見さんが小走りで追いかけてきた。
「2人ともごめん、言い忘れてた! 金曜日の学校最後の日に、みんなでお疲れ様会をしないかって話が出てるんだけど……二人ともどうかな?」
「なるほど……。すみません、家に帰って予定を確認してみますね。明日には返事します」
「オッケー、大地くんありがとう。華はどう?」
「……ごめんなさい、私はパスで」
その即答に、鶴見さんは「そうだよね……」と小さく呟いて引き返して言った。その横顔は、見ていて胸が痛むほど寂しそうだった。
幼稚園へと向かう夕暮れの通学路。隣を歩く白鷺さんが、ふと声をかけてきた。
「金曜日の会の件……家の事情で難しいかもしれないけれど、上原君には是非参加して欲しいわ。みんな、あなたがいると喜ぶと思うから」
「そうですかね。でも――」
白鷺さんにも来て欲しいです。
そう続けようとしたが、言葉が喉の奥で詰まった。
今の彼女にそんな言葉をぶつければ、困らせてしまうだけだと分かっていたからだ。
「――私のことはいいのよ。大勢が集まる場所も得意じゃないし……楽しめないわ」
俺の躊躇いを察したのか、先輩は自嘲気味にそう口にした。確かに、大勢で騒ぐのが得意ではないというのは、彼女の性格からして理解できる。けれど、それが本当の理由でないのはわかっている。
「……白鷺さん。たくま君のこと、生徒会の皆さんにはお話してないんですか?」
問いかけると、先輩は俯き、消え入りそうなか細い声で言った。
「……言えないわよ。あの子たちはみんな優しいから……余計な気を遣わせちゃうもの」
痛いほど、その気持ちは分かった。
生徒会の人たちは、みんな驚くほど思いやりが強い。
烏羽会長は、常にメンバーのストレスにならないよう適材適所を考えて仕事を振っている。
菊池さんは、先輩たちや生徒会全体が困っていたからこそ、俺に声をかけて引っ張り込んでくれた。
鶴見さんは、場の空気が気まずくならないよう、誰よりも明るく振る舞って周りを盛り上げている。
鳩ヶ谷さんが怒る時、それはいつも生徒会や仲間が馬鹿にされたり、軽く扱われたりした時だけだ。
まだ少しの期間しか一緒にいない俺でさえ、これだけ分かるんだ。
ずっと活動を共にしてきた白鷺さんは、俺以上にみんなの優しさを深く理解している。
だからこそ、自分の家庭事情という重荷を背負わせたくなくて、簡単には頼れないのだろう。
どうしたものかと結論が出ないまま歩みを進めていると、やがて目的の幼稚園が見えてきた。
園庭に目を向けると、砂場で見覚えのある三人――母さんと、千代と、たくま君が遊んでいた。
「「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」」
俺たちの姿に気づいた二人の子供が、元気な声を上げて駆け寄ってくる。
いつの間にか、たくま君は俺のことを「お兄ちゃん」と呼び、千代は白鷺さんのことを「お姉ちゃん」と呼んで懐くようになっていた。
「あら、二人とも学校お疲れ様」
母さんも立ち上がり、砂を払いながらこちらへやってきた。
今日園であった出来事などを白鷺さんに楽しそうに語りかける。
先輩はそれに相槌を打ちながら、自分に抱きついてきたたくま君の頭をやさしく撫でていた。
「ところで白鷺さん? この後って、2人とも時間ある?」
ふと、母さんが思い出したようにそんなことを尋ねた。
「え、あ、はい。家に帰るだけですので、特には……」
「あら、それならよかったわ!」
母さんが手を叩いて喜ぶと、足元の千代とたくま君も「やったー!」と声を上げ、嬉しそうにハイタッチを交わし始めた。
……どういうことだろうか。
状況が読めずに首を傾げる俺をよそに、たくま君が目を輝かせて口を開く。
「あのね、千代ちゃんが言ってたの! お兄ちゃんのごはん、ちょー美味しいんだって!」
「え……もしかして」
白鷺さんが何かを察したように、さっと顔を青ざめさせ、ひどく困った表情を浮かべた。
「だからね、食べてみたーいって先生に言ったら、今日おいでって言ってくれたの! だから、お姉ちゃん! 千代ちゃんのお家行こ!」
たくま君は白鷺さんの制服の裾をギュッと引っ張り、期待に満ちた声でそうねだっている。
「大地、いいわよね? 2人くらい増えても」
母さんの問いかけに、俺は少しだけ苦笑いを返した。
「俺は全然問題ないけど……」
言葉を濁しながら、隣に立つ白鷺先輩に視線を向ける。
彼女は、どう答えを出すのが正解なのか困惑した表情を浮かべていた。
学校で見せるあの凛々しい副会長の姿からは想像もつかないほどに。
「……やはり、やめておきましょう。急にお邪魔するのは、さすがにご迷惑だわ」
先輩は、たくま君を優しく諭すように言った。
他人を頼ることに慣れていない彼女なりの遠慮なのだろう。
「「え――!!」」
その直後、千代とたくま君が重なったブーイングを響かせた。
「おねえちゃん、いこーよ! おにーちゃんのごはん、すっごくおいしいんだよ!」
「そうだよ、華お姉ちゃん! いこ!」
子供たちの必死な訴えに、先輩の決意が目に見えて揺らいでいく。
「うちはちっとも迷惑じゃないわよ。ねぇ、大地?」
母さんの追い打ちのような一言に、俺も一歩踏み出すことにした。
「――白鷺さん、是非うちに来てください。みんなでご飯を食べるのは楽しいですし……俺も、先輩に来てほしいです」
俺が真っ直ぐにそう告げると、先輩はさらに困ったような表情を浮かべた。
やがて、根負けしたように小さく息を吐き出す。
「……わかったわ。それじゃあ……少しだけ、お邪魔させていただくわね」
「やった――!!」
先輩がそう結論を出した瞬間、今日一番の大きな歓声が上がった。
千代とたくま君が手を取り合って飛び跳ね、母さんも満足そうに目を細めている。
その中心で、先輩は照れくさそうに、けれど先ほどまでとは違う、肩の力が抜けたような柔らかな微笑みを浮かべていた。




