鬼人と獣
俺はモウラとリザ、そしてティナと闘技場の確認に来ただけだ。
ただ、それだけのはずだった。
ガイナスの一件以降、出入りは気をつけているつもりだった。
街のことも、嫁達のことも順調で、気が緩んでいたのかもしれない。
異常事態に気がつくまで時間がかかった。
先に異変を察知したモウラが吹き飛ばされた。
リザが受け止めなければ、壁まで叩きつけられていただろう。
一緒にいたティナは、観覧席に隠れてるな。
それでいい、出てくるなよ。
そいつは悠然と歩く。
闘技場に刺さる鉄塊に手をかける。
おおよそ人が使うものではない大剣。
握り手が付いただけとも思える鉄塊をそれは軽々と抜いた。
人の往来は多い。だが、ガイナスの件以降気を配っていたはずだ。
そう、招かざる客は獣化したガイナスに似ていた。
だが細い。他の獣人と大差はないかもしれない。
冒険者や旅人のような服装に体毛は隠れている。
顔と体が狼なのに、足は人間でしかも裸足だ。
人狼と呼ぶべき存在かもしれない。
人のふりをした獣がまた、立ちはだかる。
人狼はあの鉄塊を木の棒のように振り回す。
レンが以前やっていた動きに似ている。
その場にいち早く辿り着いたのは、アヤネだった。
俺を守るように、獣の前に立ちはだかる。
ただの侵入者では済まないのは、モウラを見ればわかる。
だがそれ以上にアヤネの汗が尋常ではないことを物語る。
「君は見たことあるな。いや違うかな?東の人の顔は覚えづらくてね」
「貴様っ」
アヤネの眼光が鋭くなり、薙刀を握り直す。
「ん?やはりダメだな。俺には扱いづらい。そもそも臭すぎる」
人狼は地面に大剣を刺す。
「さて、君には興味はないけど、もう少し小さいのがいただろ」
人狼の言葉に、アヤネの足が一歩滑らせるように動く。
だが、人狼は気にせず続ける。
「食べ残しはいけないよな」
その言葉が終わる前に、アヤネの薙刀が人狼の頭上を襲う。
だがそこに人狼はもういない。
アヤネの背中側、そしてアヤネを見てもいない。
俺を見ている?
「セトだったかな。君がここの主人なんだろ?」
人狼は俺を見る。
アヤネが斬りかかるが、人狼は振り向きもせずにその刃を掴む。
「やだね武器って、便利だけど金物臭くてさ」
振り向き様に人狼の蹴りがアヤネに放たれる。
腹部にあたり、アヤネが膝をつく。
「ちょっと待てしててくれるかな。犬みたいにさ……ああ、俺が言うことじゃないか」
狼の頭が首を傾げる。その仕草が酷く人間くさい。
「君、知ってるかい?」
俺は首を動かさず、横目でティナを確認する。
震えながらも隠れている。俺を見るティナは、いつもの憎たらしい子供ではない。
怯えている。
俺は人狼を見据える。
鉄扇を握る。
「君も鉄くさいが、そもそも戦えないだろ」
人狼が口を開ける。笑っているのか、威嚇なのかわからない。
ただ不気味に舌を出す。
「出来損ないが、出来損ないを壊した話も興味はあるんだが」
何を言っている。だが時間を稼ぎたい。レンが来れば状況が変わるかもしれない。
「なんだ、その出来損ないってのは?」
「こないだ来たろ。まぁそっちのスケルトンにコテンパンにされた」
「ガイナスのことか」
「そうそうガイナス君ね。いやぁ人間の頃はいけすかない奴だったけど、いいよね彼」
「何が良いんだ?」
「元勇者様が獣感むき出しでさ。出来損ないだけど、まだまだ使い道があると思うんだよね」
俺の鼓動が早くなっている。
考えたいのに考えがまとめられない。
今こいつは何て言った。
「できれば、ガイナス君も連れて帰りたかったんだけどね。今どこか知ってる?」
あれの預かりはアレクだ。少なくとも、こいつはアレクの手先じゃない。
「クライブの手先か」
俺の言葉に人狼は鼻を鳴らす。
「あんなお坊ちゃん何ができるのかね」
何か面白くなさそうに吐き捨てる。
だが面識はある。クライブは有名だから知っているのは当然か。
だが、それだけで嫌悪感を見せないだろう。
三度、アヤネが斬りつける。
それを人狼の手が、いや爪が弾く。
そしてその爪がアヤネの腹に深々と刺さる。
鮮血が闘技場の地面を濡らす。
「ぐぅはぁっ」
アヤネの呻きと共に口からも血が垂れる。
「アヤネ」
ティナが泣き顔を隠しもせず飛び出そうとする。
俺の手がかろうじてティナを止めることに間に合う。
俺の手をティナが噛む。
いつもの甘噛みじゃない。
手から血が出るが俺は離さない。
腹に爪を立てられながらも、アヤネは人狼の腕を掴む。
その目は逃げろと言っている。
「マジで興味ないんだよね」
人狼の蹴りがアヤネを吹き飛ばし、爪を舐める。
人狼の足が地面を確かめる。
さっきまでは人の足に見えたそれが、獣の足へと変化する。
そして、それは最短距離を駆ける。
その時、俺の視界の隅に白い布が駆ける。
それは、人狼よりも早く。俺たちの前に立ちはだかる。
白く煌めくマントが視界を塞ぐ。
知らない背中、だが知っている匂い。
白黒縞々の尻尾と。少し丸みを帯びた白銀の獣耳。
細身の剣士が、人狼の爪を弾き、そのまま連撃と蹴りを放つ。
瞬く間に、人狼は闘技場の真ん中まで押し戻される。
マントが横に靡く。薄い刃のロングソードが日の光を反射して、少女を煌めかせる。
ビキニアーマーに似た、白銀の衣装に身を包む。
振り向いた少女が叫ぶ。
「セト、アヤネを!早く」
少女がケモ耳と尻尾を揺らす……白虎の獣人モナが俺を見る。




