第10新卒:『パラレル女番長』その2
【夢咲いちご】
歩く。
炎天下の街。
アタシの着ている黒色の服は、一般の素材なら日光に弱いはずが、意外にも抜群の通気性だった。
さっきまで、この服はただのワンピースか喪服のように思っていたが、これは魔法のローブでもあるらしい。殺し合いの最中は、ただ単に着替える物が必要だったからとさりげなく拾って調達したものだけど、大正解だ。
――一応、ちゃんと説明しておこう。
これは、どこかの世界の魔法が成した「マジカルアイテム」の一つだ。アタシたちの殺し合いは、あらゆるパラレルワールドに存在していた魔法少女を選定して行われている。「魔法少女」を無差別に集めて殺し合わせる事が目的だったのだ。だから、魔法とはまた違う趣の童話的、あるいはRPG的な「魔法」が、アタシの手にも渡ったのだ。
その一つが、このファンタジーな効力を持つローブだ。
着用部分は思いのほかひんやりとして、ほとんど猛暑を感じずに歩く事ができる。
……なんだか、それを着てみると、世界の歩き方が以前までと違っていた。周囲全員と、アタシの体感するモノは違うし、持っているモノも違いすぎる。
そうか。
これまでのように魔法を手にした普通の少女なのではなく、アタシはもう、異世界からの訪問者なのだ。
いわば、魔法少女研究家の東田先生の分類の上で考えるなら、「魔女っ子」にあたるわけだ。少し変則的だが、魔法のある異世界から来てしまった魔法使いと解釈する事だってできる。
……いや、しかし、考えてみると、それならば、魔女っ子という可愛らしい言葉よりは、「魔女」と言ってしまった方が適切かもしれない。
「――」
歩く。
今の居場所はわかっている。道のりもわかっている。全部覚えている。何も変わらない。かつての平和の延長の世界が続いている。
この世界は、七月二十六日にアタシのいた世界と少し分岐しただけで、建物の配置も数日前までの出来事もすべてアタシの知る通りだ。
三日分だけ別の生き方をしたアタシが、何も知らないまま、アタシの帰る先にいるはずだ。
それを倒せば、アタシの中の長い戦いは終結する。
「――」
だが、知っている街を歩いていても、足取りは、重い。
想像以上の足枷をつけたまま歩いているようだった。
三日間、この手がどれだけの敵を殺してしまったかは忘れていないし、それがあった以上後戻りは難しいのかもしれないが――アタシは、まだ、躊躇の中にいる。
罪悪感と、不安とが常に渦巻く。
殺人という拭えない過去と、後悔していて尚、これからの目的にそれを置いている事。
背後から誰かがついてくるような幻聴。知っているはずの街が、想像以上に歪んで見える。まだ命を狙われているような不安。通りすがる人間を簡単に殺してしまえそうな錯覚。
『人殺し――』
一人で歩いていると、頭の中で自分を責めて来る言葉が飛び交う。
何人もの女の子たちを殺してしまった、と。
そして、同時にそれを正当化する言葉ですぐに塗り替える。
それには、仲間を助けるという事情があった、と。そう、アタシなりの事情がある。どんな手を使っても自分の仲間を決して見捨てたくはないから……。
……いや、でも余計な事を考えるのはやめよう。
全部終わる。だから、最後に報いが来なければならないのだ。
まさしく、アタシ自身に。
「あれ? 番長さん」
と、不意に、思考の海にいたアタシの目の前に、また現れたのは夏の幻だ――。それは、しっかりと、自転車を漕ぐ緑川綾香の姿だった。
白いラッフルスリーブに緑のスカート、麦わら帽子。
殺し合いの最中で見た委員長の姿とは大きく異なった、普段通りの清楚を体現している委員長だ。
「――番長さん? こんにちは」
「あ、ああ、久しぶり……」
アタシの反応は、大きく遅れた。
そして、その言葉に、委員長は首を傾げた。
「どうしたんですか? そこまで久しぶりでも……」
「――」
「だって、つい一昨日も、本を返しにちょっと会いましたよね?」
ミウと同じく、自転車から滑らかに降りた委員長は、怪訝そうな顔。
アタシが自分の知る夢咲いちごと別の人間であるのを、どこかできっちりと認識しているのかもしれない。
厳密には、共にいる夢咲いちごとは別の行先を辿っている夢咲いちご、と言うべきかもしれないが。
しかし、アタシは、息を飲んだ。
ミウが生身で生きている事もそうだが――あの殺し合いで、アタシはついぞ委員長とは言葉を交わす事さえなかった。
思い出す――。
『――委員長! 答えてくれ! アタシだ、マジカル女番長、夢咲いちごだ!
目を覚ませ、早く戻ってくれ!』
――声を枯らすほどの決死の呼びかけと、その返答の冷たい目、鋭利な刃。
それは鮮明に思い出せるほど直近の出来事だ。
今もアタシのへその横には、魔法の日本刀で切り付けられた痕跡が残っている。
暗黒の洗脳魔術にかかり、マシーンのように生気のない瞳で、ひたすらにアタシに斬りかかり続けたあの委員長は、返事ひとつ残す事はなかった。最後まで別人の如く。
そして、委員長の攻撃をかわして……奪い取ったなぎなたがその胸を……。
……アタシの手は、その時の感触をまだ正確に思い出す事が出来る。手先が震える。
「――あの、大丈夫ですか?」
我に返る。
呆けている間に、委員長の距離はとても近づいている。顔が、かなり間近くにあった。
驚きつつも、俯いた。生きた親友の瞳がこちらを不思議そうに見ている。――本当に不思議な心境にあるのは、アタシの方だというのに。
「なんでもない……ただ、ちょっと」
「ああ、暑いですからね。
私は、図書館に本を借りに行こうとしてたんですが、正直後悔してます……」
……そうか、やはり、委員長は平和に生きている。
きっと、アタシの世界の委員長が読む事のできなかった本なのだろう、と思う。
ミウも、委員長も、アタシも……この世界では平和なのだ。
「良ければ、一緒に行きます?」
「いや、いい……アタシも行く場所があるから」
「そうですか」
これから行くのは、当然、アタシの家だ。
アタシがいる場所に、これからアタシを殺しに行く。
流石にそこまでの事は、委員長も読み取れなかったようだ。
「じゃあ、ごめんなさい。今日は失礼します。
……あっ、でも、今度、予定を合わせて遊びに行きません? そろそろ何か計画を立ててどこかへ行って見たりもしたいですし――」
「――」
「……でも、とにかく、その辺りは全部LINEで伝えますね。
立ち話をするにはちょっと暑すぎます……。
水分補給、気を付けて」
そう言って、すれ違うようにして、委員長はアタシの前を去ろうとした。
異様な空気は感じつつも、触れずに、何も知らないまま図書館に向かおうとしている。
これから彼女が一息、本を読んでいる間に、アタシは手慣れた手つきで、彼女たちの知るアタシを殺しているのかもしれない。
「――ねえ、委員長」
呼び止めた。
このままではいけない、かもしれない。
それに――アタシ自身が、少しだけ納得できない。
訊きたい事が、あった。
「……何か?」
委員長は、まだ自転車には乗っていなかった。
呼び止めると、すぐにアタシは委員長に、悪戯な言葉を放った。
「実は、今日、眠っている時に夢を見たんだけど……。
委員長が、敵の悪魔に取りつかれて、人間を傷つける夢を見たんだ……。
夢の中で、アタシは、委員長を倒したよ……」
全部、言葉を少し変えただけの事実だ。
「――」
「いや、倒したっていうか、一言で言うと、殺したんだ」
突然に、アタシはそれを言いたくなった。
あの委員長と、ある時まで同じ生き方をしている――それが彼女だ。
ここにいる彼女は、決してアタシが殺した委員長ではないけれど、それでも自分がトドメを刺した委員長と、まったく同じ返答が出来る相手になる。
彼女の返答は、アタシへの救いにも、追及にもなりうる。しかし、それを訊いておく事は義務だった。
そう、出来るのなら、今のうちにそうしたい。
委員長は眉を顰めた。
「――それで? その話をして何を知りたいんです?」
「そんな時、委員長はアタシを許してくれるのかなって……。
色々理由はあったけど、委員長自身が悪魔になるのを望まないと思って、倒したんだ。
勿論、どうあっても見捨てたくなかったけど、夢の中のアタシは――」
「……もしかして、そんな夢だけで、さっきから浮かない顔をしていたんですか?」
「ああ」
「やっぱり。
……でも、夢なんて、テロップの出ないだけでフィクションじゃないですか。
この暑さだと悪夢を見るのも仕方ないような気がしますけど、仮定の話をしたって、仕方がありません」
違うんだ、夢じゃない。
この世界では夢かもしれないけど――アタシの中では実際にあった事なんだ。
そう言いたいけれど、言えない。言っても仕方がない。口を噤む。
「とはいえ、なんでしょうね……。
私たちの場合になると、ちょっと、夢では済まないところもありますしね……。
実際、私は以前に、生きるか死ぬかの選択を問われた事もありますし……」
「……うん」
非情の殺し屋クロック・ボーガンとかいう敵の時だ。
今となっては誰も死なずに済んだ良い思い出かもしれないが――その先にはご都合主義とハッピーエンドが許されなかった。
それがアタシたちの世界だ。
委員長は続けた。
「――それなら、やっぱり、その時と同じ事です。
私は、心だけは最後まで、私のままありたい。
それは、本当にそんな状況になっても変わらないと思います」
「……」
「だとすると、夢の中の番長さんは、ちゃんと私の望む通りの模範解答を示した。
それだけの話だと思います」
そう言われ、心のどこかで、微かにだけほっとした。
アタシは、あの時、委員長を殺して正解だったのか――と。
アタシの手の感触は、そうは言わないけど。
反面、本人に直接確認を取るように聞いても、それでもまだどこか釈然とはしないものもあった。
委員長は、続けた。
「――ただ、もし……もしです。
お互いが逆だったら……修羅に落ちるのが貴女なら、私も同じ事をするかもしれません」
「……そうか」
「構いませんか?
これは、言質を取るつもりでもないし、きっと本当にその時になれば、私は手を尽くす……そう想定していますけど」
「ああ。アタシも同じだよ。――約束する」
「……わかりました。縁起でもない話ですけどね……」
しかし、この世界で彼女たちが安穏と暮らしていけるのは偶然だ。
三日前に誰かが殺し合いを始めたならば、こういう平和な日々には至らない。
アタシたちの世界は、異世界から干渉した悪趣味な誰かによって、ふと何の前触れもなく平和を崩されて凄惨な世界へとその色を変えた。
極悪帝国よりはるかに質の悪い残虐な存在たちに……。
「――いちごくん」
ひょこっと、委員長の肩掛けの鞄から、ワニの妖精が頭を出した。
ワニワニン……凄く久しぶりに見た。彼は、あの殺し合いにもいなかったので、アタシにとっては元の世界ぶりだ。
「どうしたんだい? 突然、そんな事を訊いて」
「いたのか、ワニワニン」
「うん。……いちごくん?」
アタシの様子を察したのかもしれない。――が、何とはわかっていないらしい。
アタシは返事をしなかった。
「ありがとう、委員長、ワニワニン。もういちど言葉を交わせただけで嬉しかった」
「え?」
「……さよなら」
ミウと同じように、その言葉を告げる。
アタシは、最期に会った委員長と言葉を交わす事さえ叶わなかった。だから、すらすらと喋る事のできる委員長の、委員長らしい言葉を聞く事が出来ただけでも嬉しかった。
だが……。
少し、それだけではやはり、物足りなかった。こうして目の前にいるのなら――。
「いや、やっぱり、言葉を交わすより――」
ミウと同じように、委員長とも抱擁する。
委員長は、アタシの突然の行動に呆然とする。
「番長さん、一体――」
彼女たちは、この世界では、ちゃんと生きている――その事実を背負って、アタシはアタシを殺しに行く。
この世界の三人の関係も、今日崩される。
だけど、アタシは往く。
修羅の面を被りながら。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【夢咲いちご】
……って、暑いよ……。
夏がアタシを殺しに来てる。
語彙が消滅する。
暑い以外の感情すべてがない。
それくらい暑い。
「あー、もう暑いですわね。なんでワタクシたち出かけているんでしたっけ。
こんな日に出かけるなんて、気が狂っていますわ……」
ウチワを仰ぎつつも、姿勢の悪いゾンビのように歩いているクリス。
今にも溶けそうだ。
というか、顔つきは崩れていて、女の子が見せて良いのか怪しいレベルでのでろでろの表情で進んでいる。
「だって、クリスが誘ったんだろ……」
「一番狂っているのは太陽ですわ……なんでこんなに暑いんですの……」
と、クリスは言う。
「クリス、ファッションチェック」
アタシは、隣を歩くクリスに目をやって、思わずそう言った。
クリスの服装を一度チェックすれば、彼女がアタシより暑がっている理由はすぐわかる。
膝上までの短いジーパン。
ヒール付きの黒いサンダル。
白いストローハットと、額にかけたセレブっぽいサングラス。
「I am Phantom Rady!!」と印字された白地のTシャツ。
そして、ファーのついた金ぴかの冬用ジャンパー。
「この中に、一つだけ、いらないものがある」
「正直全部いりませんわ……」
「一つだけ、いらないものがある」
「水着同然の恰好で歩けるラムちゃんが羨ましいですわ……」
「回りくどい言い方でごめん……。
率直に言うと、そのモコモコのついた冬用のジャンパーを脱いでほしい」
なんでこんな暑そうな物を平然と着て歩こうと思ったんだ……。
見ている方が暑くなるくらいだ。
「――しかし、これを脱いだらダサすぎ晋作の長州奇兵隊ですわ」
「この際、ファッションなんて拘らなくても……」
「そうは言っても、上に着るモノがこれ以外全部洗濯中!
脱げば、ネタのようなクソダサTシャツ!
どう考えたって、このワタクシのような人間のすべき恰好ではありませんわ!」
こう言う当のクリスこそが、普段、クソダサTシャツをコレクションするかの如く買いまくっているのは理解できない。
ちなみに、アタシは赤のブラウスに、下は長いジーンズだ。ブラウスは薄手の素材で、わりと通気性が良い。まかり間違っても、冬用ジャンパーなんて着たくない。
「でも、やっぱり暑いですわ~……日本の夏は狂ってますわ……。
自由な時に自由な服を着られない世の中……POISON……」
「うーん」
でも、確かに海外育ちに、日本のこの夏はいろいろときついのかもしれない。
どう対処するかっていうと、やっぱり水分くらいしかないけど。
そう言って、後ろにも引けないので、とにかく前に歩く。
小さな電気屋が目に入った。それで気づく。
「……あっ」
「どうしましたの?」
「道間違えた」
ふと思ったんだけど、なんか道を一本間違えた気がする。
ここにある電気屋は、アタシの行きたい秋声駅の途中にはない。
どうでもいい会話に集中しすぎたところ、気が抜けて秋声駅までの道を間違えたみたいだ。わりと自信満々な足取りで。……こういう事もある。
「もしや迷子ですの?」
「いや、道はわかる。わかるんだけど、本屋は結構遠いかも。ごめん」
「軌道修正できます……?」
「うん。だけど、いま逆方向に向かってた……」
あー、そうだ、五つくらい前の曲がり角を左に行かなきゃならなかったんだ。
間違って右に行ってしまった。本当にうっかりしてた。土地勘はある筈なのに、もう……。暑すぎて勘が鈍ってる。
いや、それにしても、疲れていて暑い中で歩行距離を誤った事の方が最悪だ。
エネルギーをなるべく無駄に消費したくないのに。
めんどくさいなぁ……。やっちゃった……。
あーあ、どうしよっかなぁ。
「あれ? 番長、また会ったね」
と、突然、真後ろから声がかかった。
この声――ミウだ。アイスキャンディーを食べながら、こっちを見ている。
恰好は、派手な金具のベルトを巻いた白のショートパンツに、上は青のノースリーブ……うん。涼しい恰好だ。見ていて安心する。
「ん? クリスもいるじゃん。
ってか、番長、着替えたの? さっきまで黒い服着てたよね?
それに、さっき黒いリュック持ってなかった……?
何? 一回帰ったの?」
なんだ、この違和感。
ミウが何を言っているのかさっぱりわからない。訊かれる事が多いのもそうだけど、すべての質問を冷静に訊いてみても、全部答えられなかった。
「何言ってるんだ? ミウ。アタシたち、別に今日はミウに会ってないぞ」
「え? そっちこそ何言ってんの?
さっき、ちゃんといたじゃん。駅に。つーか、話したじゃん」
「いや、ずっと家にいたよ。ねえ、クリス」
横を見ると、クリスがどうでもよさそうな顔で、ウンウン頷いた。
たぶん、「そのまま家にいればよかった」と思っているのだろう。
まあ、クリスはいいや。ミウはまだどこか疑って笑ったように、訊く。
「いやいや。嘘でしょ、だって会ったもん」
「会ってないし。クリスっていうアリバイがある」
「ちょっち待って。冷静に思い出して。嘘つかないで。
嘘ついたらハリセンボン飲ます。……会ったよね?」
「いや、実際会ってないし……」
「会ってないとしたら、さっき会ったのは何?
嘘でもいいから会ったって言って」
「それは知らないけど……ただのよく似た人じゃないか?」
「いや! よく似た人とかいう次元じゃないし!
つーか、だって、ウチ喋ってるもん。黄色い手袋もしてないし、目も吊り上がってないし」
ミウにしてはニセモノのイメージが古いような……まあいいや。
「じゃあ、何? ドッペルゲンガーってやつ……?
え、何、マジなら超怖いんだけど。
いや、やっぱ会ったよ、番長の記憶が間違ってる!」
何で頑なに譲らないんだろう。
果てしなくどうでもいい事なんだけど、なんだか言われてみると不気味だ。
アタシの偽物のような存在が現れたのか、それとも、ミウが嘘を言っていたり、寝ぼけていたりするのか……。
……いや、この暑さだ。寝ぼけていても仕方ない。ミウは元々どっか抜けてるし。
「――つーか、どっちにしても二人で何してんの?」
「秋声駅の本屋に行って、ちょっと買い物を……」
「あれ? 本屋あったっけ?」
「あるだろ、名井書店が」
「え、あれ、この前潰れて美容院になってたけど」
「――嘘だろっ!?」
えっ、嘘だ! そんな、信じない!
ミウはアタシを騙そうとしている!
「マジだよ……」
マジなのか……。
偽物とかそんなの正直どうでもいいけど、この殺人的猛暑の中でここまで歩いて、挙句道に迷って、果ては行こうとしていた場所はもうない……。
クリスを見た。今の一言で砂になって崩れ落ちていた。アタシも泣きたい。
ミウはあっけからんとして続けている。
「出版不況って大変だよねぇ……ウチも花男とか君届買ってたから残念」
「でも、仮に出版不況だとしても、よりによって潰さないでくれよ名井書店を!
ミウ、それこそ正直に言ってくれ……名井書店がないわけがない!
アタシたち、その為に今日、幸せで平和な場所を去って、この地獄を歩いてきたのに!」
「いや、だってウチ、今日その美容院で髪切ってきたワケだし……」
そう言われてよく見ると、確かにちょっとだけ、ミウの髪は短くなっているような気がする。いや、ほんのちょっとだけど……。
なんというか、それが、結局アタシたちへのトドメだった。
ミウが嘘ついても仕方ないし、それはまさしく証拠だ。
「――ああ! ワタクシたちに与えられた試練はかくも重いですわ……。
命をかけて手に入れようとしたものが消え去るなんて……。
なんだか不吉な予感がしてはいましたけれど、まさかこんな……」
クリスは半泣きだった。
今のアタシたちにとって、これ以上の鬱エンドがあるだろうか。
帰るのも心底面倒だし、想像以上に疲れたし、このまま溶けてなくなってしまって死にたい。
……あ、でも、夜、焼肉だ。死にたくない。
「まあ、心中お察しだけど、折角会ったんだし、そこらでのんびりする?」
ふと、ミウが言った。
アタシとクリスはとりあえず顔を見合わせる。
あんまり頭が回らないけど、良い提案かもしれない。
「そうだなぁ。クーラーの効いたお店で、コーヒーでも飲んで落ち着こうか……」
……確かに、来た道を無駄にはしたくない。
どこかでのんびりしたいし、今日出かけた事にゴロゴロする以上の意味を見出したい。
クリスからも、同じ答えが出た。
「そうですわね……。出来るならドクターペッパーがあるお店が良いですが……」
「ないよ」
まあいいや。そうしよう。
今日はのんびりしたい。
それにしても、こんな些細な事で鬱だとか死にたいだとか、割と平和な毎日だなぁ……。
極悪帝国とかも現れず、一日一日がのんびり続けば良いんだけど……。
「ニャー」
と、路地の向こうを見ていたら、黒猫が横切るように歩いていた。
……思い出した頃に、また不吉の兆候が現れて、なんだか妙に、今日一日の平和への警鐘を鳴らされているような気がする。
……なんだろう。
平和に一日が終わりそうな予感があるのに、妙に暗い影を落としてくるこの感覚。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆




