第二章 主VS妹【3】
朝食を食べ終えて、僕は制服に着替えた。
使徒になったと言っても、学校には行かないと。
あまり休み過ぎると、海外に居る両親、ではなく、どうしてか響子の方へと連絡が行ってしまうのだ。
わざわざ僕の学校にやってきて、私が保護者ですから、なんて言って、担任に連絡先を渡していた去年の春先が思い浮かぶ。
先生もびっくりしてたよな、伊浪の妹さんとは思えないって。
……あれ、今思い返してみれば、僕あのときバカにされてたのかな? まぁいいや。
着替えを終えて、鞄を持って居間に向かうと、アリーシアがテレビをじーっと見ていた。
「なにか面白い番組でもやってる?」
「恭平……箱の中に人がいる……この人たちは箱の中に閉じ込められているの?」
テレビの中であの政治家はダメだ、とか、日本を立て直すにはこうするしかない、とか持論を展開するコメンテーターと引きつり顔でそれを聞く司会者が映し出されたテレビを見ながらアリーシアが訊ねた。
パソコンのことも知らなかったアリーシアだけど、まさかテレビのことまでも知らないとは。
「これはテレビって言ってね、家の屋根に取り付けたアンテナで、発信されている電波を受信して、それを流し出す機械なんだ」
「電波……そういえば、さっきからなにかの電波を感じるとは思っていたけど、これのことだったのね」
「アリーシアってそんなこともわかるの?」
「一応、『雷』を司る妖魔だから」
テレビを見ながら答えるアリーシア。
見たこともない文明の利器に釘付けになるアリーシアの姿は可愛い。
後ろから抱きしめたくなる。
でもそうすればおそらく僕は電流制裁の刑を受けてしまうだろう。
……諦めよう。
いつか、再びこの手にアリーシアを。
その誓いを胸に抱いて、今日は諦めることに。
「っと、そうじゃなかった。アリーシア、僕は学校に行ってくるから」
「学校? 恭平は学校に通っているの?」
「うん。現役の高校二年生だよ」
どうやら学校については知っているらしく、僕の姿をまじまじと見つめている。
僕が着ているのは学校指定の制服だ。
黒のブレザーに、下も黒のズボン。どこにでもあるような、普通の制服だ。
「かっこいい?」
両腕を広げて、冗談混じりに訊いてみる。
「そこそこ」
「ははっ、手厳しいね」
素っ気なく答えたアリーシアは、すぐにテレビへと視線を戻してしまう。
どうやら、現在のアリーシアの関心事はテレビらしい。
まさかテレビに負ける日が来るとは思わなかったなぁ。
そうしている間に、家を出る時間が訪れていた。
「アリーシア、お昼はどうする? 必要ならお金を渡しておくけど」
「いらない」
その代わり、とアリーシアがソファから降りて、僕のところまでやってくる。
「屈んで」
「ん?」
疑問に思いながらも、言葉通りに屈む。
ちょうどアリーシアと同じ頭の高さになって、おもむろに彼女は僕のネクタイを緩ませ、ブレザーのボタンを、そしてその中のカッターシャツのボタンを上からひとつふたつ外す。
な、なに? このちょっとどきどきな展開。
そして近づく、アリーシアの顔。
ちょっと待って。
僕にはまだ心の準備が――
「っ!」
アリーシアの牙が、首筋に突き刺さる。
そして抜かれていく血。
今度は抵抗することもできたけど、そうはしなかった。
おそらく、これは僕の役目だから。
アリーシアの使徒たる僕の。
一分にも満たない吸血を終えて、アリーシアは僕から離れた。
「吸うなら吸うって言って欲しかったよ」
言いながら、ティッシュを何枚か手に取り、首筋に当てて、漏れ出た血を拭う。
おかげで僕の心臓はばっくばくで、今にも飛び出してしまいそうになっている。いやほんとに。
「気にしない。これだけ吸えば、たぶんお昼は抜きでも大丈夫。わたしたち吸血鬼の食事の主体はやっぱり血だから」
「そう? それはいいんだけど、大丈夫なの?」
「なにが?」
「僕の血を吸って、だよ。また『否定』の力を受けるんじゃないの?」
「それは大丈夫。すでにわたしの中にはあなたの力に対する抗体が作られているから、『否定』の力を無力化して、血だけを得ることができる」
そうなんだ、と僕。
そういえば、アリーシアは僕の『否定』の力は弱いって言ってたしね。
「ん? だったらどうして小さいままなの?」
「抗体はあくまで『否定』の干渉を受けないようにするだけ。すでに起きてしまった事象に関しては効果が働かないの。こればっかりは、地道に力を取り戻していくしかない」
うーん、すぐにでもアリーシアの元の姿を見たかったんだけどな。
今の姿も悪くはないんだけど、いささか子供っぽさが強過ぎる。
やっぱり、僕としては今よりもいろいろなところが成長していらっしゃるご主人さまのほうがなにかと……。
「恭平、目がいやらしい」
「おっと失礼」
欲望が目に現れてしまっていたらしい、これは危ない。
っと、そろそろ時間がまずい。
乱れた服装を正して、鞄を持つ。
「それじゃ、アリーシア。行ってくるね」
「うん」
「家にだれかが来ても、対応しなくていいから。放っておいて。それと、外に出るのなら、テーブルに置いてある鍵で戸締りをしてね。四時過ぎには帰るから、それまでに帰ってきてくれてると助かる」
家の鍵はふたつ。
ひとつは僕が持っている鍵。これはアリーシアのために置いていく。
もうひとつはここにはない。響子が持っているからだ。
だから僕はアリーシアが家に居てくれないと、玄関の前で待ちぼうけをくらうことになる。
「わかった」
と、アリーシアは頷いて答え、ソファに戻る。
「それじゃ、行ってきます」
「……恭平」
「ん?」
「行ってらっしゃい」
「……うん」
響子が家を出てからなくなっていたこのやりとりが、少しだけ懐かしかった。




