第二章 主VS妹【1】
目の前に、アリーシアの寝顔があった。
さて、ここで選択肢の登場だ。
いち、愛らしい寝顔を抱きしめる。
に、天使のような寝顔を抱きしめる。
さん、抱きしめる。
ここでの僕の選択肢はもちろん、そう――
「抱きしめ、ひぎゃあああああああああああああ!」
抱きしめようとした瞬間、全身に電気が走った。
これは本当にヤバいんじゃないの? と死なないと言われながらも、本気で自分の命を心配してしまうほどの電流が身体を走るっていた。
これが漫画やアニメの世界であれば、僕の骨が浮かび上がって、スケルトンマン状態かもしれない。
電流は数秒程度で終わりを告げ、僕は麻痺というバッドステータスを受け、動けなくなっていた。
びりびりする……。
しかしそれも一分程度で回復した。
動けるようになって、初めにアリーシアから離れるために、彼女の身体に触れないようにベッドから降りる。
おそらく、というか間違いなく電流の発信源は彼女だろう。
昨日は抱きしめても大丈夫だったのに、今日はダメなのか。
いや、もしかしたら、僕の邪な気持ちを気取られてしまったのかもしれない。
本能的に危機を感じて、電流を放った……。
自分の中で答えを導き出して、とりあえず、アリーシアを放って、僕は居間へと向かった。
呼びかけて起こしてもよかったけど、昨日のことで疲れているのなら、起こしてあげるのは可哀想だ。
断じて、電流が怖いわけではない。
むしろもう一度受けたいくらい……というのは冗談だけど。
居間からキッチンに移動して、冷蔵庫の中身を見る。
買いだめはしないので、冷蔵庫の中にはあまり食材は入っていない。
そもそも、僕は料理がそれほど得意じゃないし、作ることができるのは目玉焼きとか卵焼きとか、簡単なものくらいだ。
食事はたいていバイト先のコンビニや商店街のスーパーでお惣菜を買ったりしている。
妹が家を出てからはそんな感じだ。
時計に目をやる。
六時過ぎ。
学校まではあと二時間ある。
シャワーを浴びて、朝食を作る。
それでいいか。
僕ひとりだけなら、別に朝食を抜いても構わないのだが、今日からはそうもいかない。
いつまでになるかはわからないけど、少なくとも、アリーシアの方針が定まるまではここにいることになるだろうし、それまでは朝食を作ることを心掛けないと。
アリーシアは僕の主だ。
主に不自由な思いをさせるわけにはいかない。
シャワーを浴びてすっきりしたところで、朝食作りに取りかかる。
買い置きの食パンを二枚、トースターの中に入れて、ダイヤルを回す。
冷蔵庫からはウインナーと卵を取り出し、二台のコンロを使って、ウインナーを焼き、卵は目玉焼きにする。
目玉焼きは、アリーシアの好みがわからないので、半熟に留めておく。
それらの調理を終えるとほぼ同時に、トースターから焼けた合図が聞こえる。
出来たものを皿に盛り合わせ、テーブルに置く。
サラダなんて優雅なものはうちにはないので、簡素な朝食だけど、仕方がない。
明日からがんばろう。
時計を見たところ、まだ時間はだいぶある。
だけど、朝食は出来てしまっているし、冷めてからでは美味しくはないだろう。
僕はアリーシアを起こすために、自分の部屋へと向かった。
一応、ノックをしてみる。
自分の部屋なのにノックをするのは少しおかしな気分だ。
でも、もしこの中でアリーシアが着替えているとか、そういうラッキースケベ的なイベントが発生するという恐れを鑑みれば、この行動も仕方がない。
特に、あの電流を受けてからは、あまり下手なことは出来ない。
一度のミスが、電流を誘発するかもしれないのだから。
ノックをしてから少し待ったが、返事はなかった。
まだ寝ているのかもしれない。
「入るよ」
部屋の外から断りを入れて、中に入る。
「……」
アリーシアは起きていた。
ベッドの外に脚を出して、座っている。
でも、どこか寝ぼけているように見える。金色の繊維ような長髪は爆発したように乱れていて、目は半開き。
「起きた?」
「……うん」
「ご飯を作ったんだけど、食べる?」
「……うん」
ちゃんと答えているものの、やはりどこか寝ぼけている様子に苦笑を漏らしつつ、アリーシアの手を引いて、そのまま居間へと向かう。
椅子を引いて、そこにアリーシアを座らせる。
「飲み物はどうする?」
「……牛乳」
「うん。わかった」
冷蔵庫から牛乳を取り出し、それをコップに注いでアリーシアの前に置く。
紅茶とか言われそうで内心どきどきだったんだよな。
なんとなくだけど、アリーシアからは気品を感じるし、そういう人が飲むのは紅茶だ、というちょっとした偏見が僕の中にはあったのだ。
牛乳が入ったコップを見つめながらも、なかなか動かないアリーシア。
朝は弱いタイプなのかもしれないな。
これからのために覚えておこう。
すぐにでも朝食を食べても良かったけど、僕はそうせず、昨日使ってから置きっぱなしにしてあった櫛を持って、アリーシアの後ろに回った。
昨日そうしたように、アリーシアの髪を梳いていく。
「よしっと」
やっぱり綺麗だな。
さわり心地もそうだけど、見ているだけで一日は潰せそうなほど飽きさせない魅力が、彼女の髪にはある。
なんか、いいな、こういうの。
妹がいるときは、よくこうして梳いてあげたっけ。
僕の双子の妹、伊浪響子は家にいない。
彼女は僕とは違う、全寮制の女子高に通っている。
僕が通う高校とは同じ市内にあるのだけど、それでもやはり家から通うには少し遠い。
希望を出せば、自宅から通うことも許されるのだけど、響子は家を出て行くという道を選んだ。
――兄さんに襲われそうで怖いです――
そんな言葉を残して。
我ながら恐ろしい妹だ。
僕が血の繋がった妹をどうして襲わなければならないのか。
ただ、髪を梳いているときに匂いを嗅いだり、一緒にお風呂に入ろうとしたりと、あくまで兄妹間のスキンシップをはかっている間に、気が付けば変態扱いされ、家まで出て行かれる始末。
両親不在の伊浪家の調理係りに出て行かれてしまうというのは、主に僕の食生活において大ダメージを与えた。
そのせいで冷蔵庫の中にはほとんど入っていないし、食事だってお惣菜中心。
帰ってきて欲しいという思いはあるけど、響子をそうさせたのは僕のせいみたいだし、仕方がない。
自業自得と思って、耐え忍ぶしかない。
それに、今はいなくて良かったと思える。
もしアリーシアを家に連れて帰ったことを響子に知られれば、間違いなく彼女は警察に通報するだろう。
兄が女の子を誘拐してきました、と。
響子なら間違いなくする。
そういう確信が僕の中にあるだけに、恐ろしい妹だ。
そういう意味でも、現在の響子不在の環境は助かる。
「恭平」
「……えっ?」
「どうかしたの?」
いつのまにか、アリーシアが僕のほうを見ていた。
僕はというと、櫛を持ったままで固まっていた。
「なんでもないよ。ちょっと考え事をしてただけだから」
答えてから、僕はアリーシアの対面に座った。
「考え事って、なに?」
「ん、なんでもないから、気にしないで」
響子のことは、別にアリーシアに話す必要もない。
どうせ響子が家に帰ってくるのは卒業してからのはず。
長期休暇には帰る、なんて言っていたのに、夏休みも冬休みも、春休みも帰ってこなかった。
電話すら寄越さない。
本格的に嫌われているんじゃないか、なんて疑いたくなってしまう仕打ちだ。
だから、アリーシアに響子のことを伝える必要はない。
響子が卒業して、家に帰ってくる頃には、僕たちはもういないかもしれないんだし。
「言って」
「ん?」
アリーシアは押しが強かった。
本気で心配するような目で、僕を見つめている。
思わず抱きしめそうになるのを堪えて、僕は訊ねる。
「どうしたの、急に?」
「……これからは一緒にやっていくんだし、その、言い辛いこととかも、ちゃんと言って欲しい、から」
詰まりながら、アリーシアはそう言った。
なるほど。
アリーシアは、僕がアリーシアになにかを言いたいけど、言えないんだと思っているんだ。
考えていたのは響子のことなんだけど、おそらく、誤魔化したところで、アリーシアは信用しないだろう。
それに、これからの関係を友好に、より親密にするためにも、ここで互いの間に不信感を持つのは避けたい。
しかし、アリーシアに言いたいこと、か。
……そうだ、今朝のことを訊ねてみよう。
「それじゃ、少し訊きたいことがあるんだけど。いいかな?」
「なに?」
「アリーシアって電気を扱えたりする?」
「うん……でも、どうして知ってるの?」
今朝のことを説明してみる。もちろん、僕がアリーシアに抱きつこうとしたということは割愛してだが。
「使徒を持つ妖魔は、使徒を従えるために、その身体に制裁を与えることが出来る。でも、それが無意識の間に行われたということは、恭平がわたしになにかをしようとした可能性がある」
「ごめんなさい!」
即座に土下座。
「誤魔化さないんだ……」
「いやぁ、おまえのいいところはバカ正直に素直なところだって評判なんだ」
「それ、たぶんバカにされていると思う」
うん、自分でもなんとなく気づいてました。
「なんていうかね、アリーシアの可愛い寝顔を見ていたら、こう、なんだろう。わからない? 僕のこの気持ち」
「それで伝わると思ってるの?」
「以心伝心、電波送信中。どう?」
「無理だから」
残念、と肩を竦める。
「恭平はバカなのか変態なのか、それとも両方なのか、どれ?」
「残念ながらぜんぶよく言われるワードだよ」
僕はそう思ってはいないけど。
「少し主従の在り方を考えた方がいいかも……」
「僕、調教されちゃうの?」
「躾は大事よね?」
「ですよねー」
……。
「本気?」
「割と」
ちょっとぞくぞくしてきた。
生命の危機的な意味で。




