85 どんな貸しよりも賢い、ピザ屋
クダサイの街は、太陽の光を照り返して輝いていた。車はそれぞれの車線を進み、鳥たちが空を横切り、ビルのあいだを、広告の看板が浮かんで流れていった。
男は、クレーン事故があったのと同じ通りを歩いていた。交差点はまだ封鎖されていて、何人かの人たちが、アスファルトからクレーンの残骸を取り除く作業をしていた。男はしばらくそれを眺め、電話で話しながら、また歩きだした。
「ああ、近くにいる。今そっちへ向かう」
男が言った。
遠くに、エックスエフワンが見えた。この星を発とうとしている、商業用の旅客船だった。
「それでいい」
電話の向こうの男が答えた。
「俺たちは、待っているからな」
電話が切れた。
男は鞄を手に、ビルを眺めながら歩き続けた。片側を人々が行き交い、その頭上には、雑誌ユドゥ・アイセの広告が浮かんでいて、アナライの笑顔が映っていた。反対側には木々の茂る公園が広がり、飼い主たちがペットを散歩させていた。
そのとき、男は妙なことに気づいた。
何人かが、男の横を走り抜けていった。ひとりが男にぶつかり、謝りもせずに走り去った。ほかの人たちも、走りながら叫びはじめた。男には、そのわけがわからなかった。
それから、轟音が響いた。
いくつものビルの窓が、粉々に砕け散った。そして、巨大な岩が猛スピードで通りを横切り、宙に浮かぶ広告の看板をいくつも叩き割りながら、トラックに激突した。
「いったい、何が起きてるんだ?」
目の前の光景を理解しようとしながら、男が言った。
男がよく知っている恐怖に駆られて、人々は走っていた。叫び声は、もう車の騒音よりも大きく響いていた。
そして、男は見た。
二つの黒いシルエットが、恐ろしいオーラを放ちながら、通りを歩いていた。ほかの二つは、その上を飛んでいた。進みながら、ビルを次々と壊していた。
そして、男のいるほうへ向かってきていた。
「なるほど……ほかにもいるってわけか」
男はつぶやいた。
「こんな状況に出くわすとは、思ってもいなかった。ましてや、こんな場所でな」
*
一方、ビルでは、事情がまったく違っていた。
ハルコが、お茶をいれ終えるところだった。それをピザと一緒にトレーにのせ、両手の拳をぎゅっと握った。
「よし、今度こそ。準備完了。サリコさんと陛下が、わたしの持ってきたものを見たときの顔、早く見たいな」
そして、カートを押してエレベーターへ向かった。七十五階へ。
事務所では、浮遊する球体が、磁石で生まれた電気のような、あの妙な低い音を立て続けていた。午後の光が大きな窓から差しこみ、机の上に散らばった書類を照らしていた。
サリコは、写真と書類に目を通していた。とても気になる一枚の紙を手に取った。それから、何枚かの写真を見た。石、惑星、機械、建造物、倉庫。書類には、トミー・インダストリーの情報が載っていた。
「まあ、少なくとも、これであの人の居場所はつかめるね」
サリコが言った。
「いくつかのことを除いてだけど」
キアロコは、横目でサリコを見た。
「“いくつかのことを除いて”って、どういう意味だ?」
勇作が、書類の一枚を手に取った。
「いいかい。これは、トミー・インダストリーのものなんだ。この情報を手に入れるのは簡単じゃなかった……それに、人に借りを作れば、あとで代償を払うことになる。民間の企業は、ふつう社員の情報も、誰の情報も出さない。このビルと同じだよ。ただ、法律が違うだけでね。わかるかい?」
「ああ。でも、それが何の関係があるんだ?」
キアロコが言った。
「本人と話して、直接聞けばいい。そのほうが簡単じゃないか?」
勇作は、深く息を吸った。
「そうだな。だが、そう簡単にいくとは思えない。見たところ、口数の多い男じゃない。ましてや、自分の人生を語るような男じゃないだろう。一緒に一杯やりながら、人生について語り合うのとはわけが違う」
サリコとキアロコは、勇作の言ったことに少し戸惑って、顔を見合わせた。それから、横目で勇作を見た。
「どうした? 何かまずいことを言ったか?」
無視されたような気がして、勇作が尋ねた。
「でも、リュウならさっき、ピザ屋であの男と話してたぞ」
冗談めかして、キアロコが言った。
「一緒に一杯やって、笑い合ってた。リュウのことだ、きっともう、この情報は全部知ってる……いや、もしかしたら、それ以上かもな」
勇作は、動きを止めた。
「……つまり、あの男はピザ屋にもいたのか?」
耳を疑うように、勇作が言った。
「うん、お父さん。見せたかったよ」
書類を手にしたまま、サリコが言った。
「リュウ、まるであの人の友だちみたいだった」
勇作は、書類を机の上に放り出した。
「人には、それぞれ情報の引き出し方があるものだ」
降参した人のような口調で、勇作が言った。
「でも、とにかく大事なのは、あの人がまだ何も悪いことをしてないし、街を攻撃してもいないってことだよ」
サリコが言った。
「だから、キアロコの言うとおりにするのがいちばんだと思う。近づいて、話をするの」
「それも、手遅れになる前にな」
机のほうへ歩きながら、真剣な口調でキアロコが言った。
勇作とサリコは、不思議そうにキアロコを見た。
「どういう意味だ?」
勇作が尋ねた。
キアロコは、両手を机についた。
「あいつを、ほかの敵と手を組ませるわけにはいかない。俺たちに厄介ごとを持ちこむような誰かとも」
「まあ、それは君の言うとおりだ」
勇作が言った。
「あの男の目的はわからない。その力で何をするつもりなのかも、わからない。それに、もう何かの一員になっているのかどうかも、わからない」
サリコは、キアロコを見つめていた。いつもと違って見えた。まるで、学校でのアンジーニとの戦い以来、もう同じ人ではなくなったかのように。
「キアロコ……大丈夫?」
やさしい声で、サリコが尋ねた。
キアロコは左手を上げ、じっと見つめた。
「学校の一件があってから、このところ、いろいろ考えてたんだ。でも、今日はなんだか違う気がする」
ゆっくりと、その手を握った。
「それに、今……何か、予感がするんだ」
沈黙が、宙に漂った。
誰かが、扉をノックするまでは。
「ハルコです。お茶と、何か召し上がるものをお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
扉の向こうで、ハルコは、カートの上のお茶と熱々のピザを見つめていた。それから顔を上げ、大きな木の扉と、そこに彫られた龍たちと、そのシンボルを見た。
事務所の中で、全員が一瞬、顔を見合わせた。空気は張りつめていて、大きな窓から、やわらかな風が吹きこんでいた。




