76 キアロコ、時が流れるなかで
リュウは、窓際のテーブルへと歩いていた。そこにはキアロコが座っている。両手には、焼きあがったばかりのピザと、オモリ・アマリージョがひとつ。
ほかの客たちは、のんびりと食事をしていた。ひと口かじるたびに生地がサクッと鳴り、皿の触れ合う音が響き、壁の隅に置かれた古いテレビからは、笛の音楽が流れていた。リュウはテーブルのあいだをゆっくりと進み、すれ違う客たちに笑顔を向けていった。
キアロコのところまで来た。
「やあ、キアロコ。元気か?」
キアロコは顔を上げ、笑顔で答えた。
「元気だよ、リュウ。そっちは?」
「元気さ。会えてうれしいぜ」
ピザをテーブルに置き、オモリ・アマリージョをその横に添えた。
「それにな、最近のお前、どこか違って見えるんだよな」
キアロコはため息をついた。
「うん。最近、いろんなことがあったんだ」
「何もかも変わっていくもんだ、息子よ」
リュウはエプロンで手を拭いた。
「時が流れるかぎり、何ひとつ同じままじゃいられねえ。何ひとつ同じままじゃ……内側も、外側もな」
「どういう意味?」
リュウは答える前に、少しのあいだ窓の外の通りを眺めた。
「物事ってのは、いつも自分の望みどおりになるとは限らねえってことさ。まわりにいる人間となりゃ、なおさらだ。人にはそれぞれのやり方があって、それがまわりにとっていちばんいいと思ってやってる……だがな、多くの場合、ある者にとっては守ることでも、相手にとっては重荷になっちまうんだ」
もう一度、キアロコを見た。
「だからって、そいつが悪い人間だってわけじゃねえ。信じちゃいけねえってわけでもねえ。ただ、二人にとって、時の流れ方が違ったってだけのことさ。だから、何ひとつ、いつまでも同じではいられねえんだ」
キアロコは、熱いピザに目を落とした。二人のあいだを、湯気がゆっくりと立ちのぼっていく。
「うん……時間が手からこぼれ落ちていったことが、何度かあったと思う」
小さな声で言った。
「そういうとき、どう向き合えばいいのか、わからなかった」
リュウは、キアロコの右肩に手を置いた。
触れた瞬間、それを感じた。あの奇妙な重さだ。まるで、この若者の内側にある何かが、リュウ自身の力を押し返してくるような。リュウは手を離さず、深く息を吸った。長いあいだ彼を知っているリュウにとって、それはもう当たり前のことだった。
「ただ、時の流れに任せりゃいい。正しい答えは、時が運んできてくれる」
軽く肩を叩いた。
「だがな、いつも時が運んでくるのを待ってりゃいいってもんでもねえ。自分から探しに出ていくやつもいる。誇りや気力を失うかもしれねえと、わかっていてもな……そういうのは、誰かのために戦う人間なんだ」
リュウは手を離し、カウンターのほうへ歩きだした。
チリン、チリン。
ドアのベルが鳴った。
リュウは入り口のほうへ顔を向けた。キアロコも目をやった。
ドアのところに、サリコが立っていた。午後の光が背後から差しこみ、その瞳を輝かせ、肌を照らし、ツインテールの輪郭を描きだしていた。
「こんにちは……元気にしてる? キアロコ」
ドアの前から動かずに言った。おずおずと。少し固まったまま。
キアロコは、何と言えばいいのかわからなかった。まさか町のこちら側で彼女に会うとは思っていなかったかのように、ただ見つめていた。
返事はしなかった。
「こんにちは、陛下!」
リュウは彼女に頭を下げた。
「ご機嫌いかがですか? こちらでお目にかかれて光栄です」
サリコは彼を見た。
「大丈夫だよ、リュウ。そんなことしなくていいから。わたしは元気だよ」
「それはよかった。よろしければ、どうぞお掛けください。すぐに何かお飲み物をお持ちします」
「ありがとう」
サリコは言った。
「喜んでお持ちしますよ」
リュウはちらりと窓のほうへ目をやり、少し声を落とした。
「キアロコとはお知り合いのようですね。お気をつけください。あいつはとても内気で、無口な子でしてね。ほとんど誰とも話さないんです。もし返事がなければ、別の席にお掛けになってもかまいませんので」
「わかりました。ご心配なく」
リュウはカウンターへと歩いていった。
サリコは、もう一度キアロコを見た。彼は同じ場所に座ったまま、オモリをひと口すすっていた。
彼女は四歩、彼のほうへ近づいた。
「こんにちは、キアロコ」
キアロコは何も言わなかった。
「こんなふうに入ってきて、ごめんね」
サリコはうつむきながら言った。
「邪魔するつもりはなかったの……ただ、あなたが大丈夫か知りたくて」
キアロコは何も言わずに、彼女を見ていた。
そのあいだにも、店の客たちは彼女に気づきはじめていた。携帯を取りだして写真を撮る者もいれば、ひそひそとささやき合う者もいた。
「見て……勇作さんの娘さんだよ」
「うん、たぶんそうだ。サリコだよ。うわあ!」
「こんなところで何してるんだろう?」
近くのテーブルでは、三人の女の子が、隠そうともせずに彼女を見ていた。
「見て、なんでサリコがあの男の子と話してるの?」
毛先が紫の金髪の子が言った。
「あの人と、何かあるのかな?」
後ろで長いポニーテールにした黒髪の子が、ピザをひと切れ口に運びながら言った。
「さあ……でも、あの男の子、見た目は悪くないよね」
白いブラウスに赤い髪の子が、ナプキンで口を拭きながら言った。
サリコは、悲しげにうつむいたまま、テーブルの前に立ちつくしていた。ピザ屋の大きな窓から差しこむ陽の光が、二人の上に降りそそいでいた。
そして、ついさっきまで穏やかだった店の空気は、彼女の存在によって、すっかり変わってしまっていた。




