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75 サリコ、肩書き未定




サリコは車を降りて、通りを渡った。


サンケッチは、サルダキとは匂いが違った。ガラスやオフィスの匂いは薄く、もっと通りの、パンの、人の匂いがした。午後のあいだずっと街を覆っていた雲が切れ始め、そのすき間から金色の光が差しこんで、建物の正面を染めていた。やわらかなそよ風が、歩道の木々の葉を揺らしていた。


サリコは、ある建物のそばで立ち止まった。トミー・ピザが見える、ちょうどその角だった。


そっと、顔をのぞかせる。


ピザ屋の大きな窓越しに、テーブルをひとつひとつ探していく……そして、見つけた。


キアロコがいた。窓際の、いつもの席に座っている。雲をぼんやりと見上げていた。物思いにふけるように。あの上に、雲の上にいたらどんな感じだろうと考えているかのように。


サリコは、ぱっと建物の角の陰に隠れた。


「やっぱり、いる」


拳を握りしめて、小声で言った。


深く息を吸う。


「ちょっと、あんた、キアロコ! いったいなんで事務所に戻ってこないのよ? このあいだ、ずっと待ってたんだから! それとも、来る道を忘れちゃった? なんなら、ホロホに迎えに行かせるけど」


沈黙。


誰も答えなかった。彼女の前には、誰もいなかったからだ。建物の壁があるだけだった。


サリコは息を吐いて、壁に背中をぺたりとつけた。


「こんな言い方、できるわけない……部下じゃないんだから」


少しのあいだ、考えこむ。それから表情を変え、目を伏せて、両手を組んだ。


「ねえ、キアロコ……どうしたの? もう何週間も、会いに来てくれないじゃない。もう、わたしのこと好きじゃないの? わたし、何もしてないのに……それとも、わたしに飽きちゃった?」


頭の中では、完璧な場面だった。窓際の椅子に座るキアロコ。その隣で、瞳を輝かせながら、そう伝える自分。


サリコは、はっと目を見開き、真っ赤になった。


「ちがう、ちがう、ちがう! 何言ってるの、わたし! 恋人じゃないんだから!」


ぶんぶんと頭を振った。ツインテールが頬を打つ。自分の顔を、ぺちぺちと叩いた。


そのとき、目がぱっと輝いた。


「そうだ。『ねえ、リュウ、今日いちばんおいしいピザを持ってきて。作れるいちばん大きいやつ』。それを受け取って、キアロコの隣に座って一緒にピザを食べて、気に入ったか聞いて……なんなら、口に運んで食べさせてあげたり……」


言いかけたまま、固まった。


「いや……何言ってるの? あの人がどのピザが好きかも知らないのに。どうやって口に運んで食べさせるのよ? 子どもじゃないんだから!」


両手で頭を抱える。


「っていうか、子どもなんていないしぃぃぃ!」


叫び声が、通りに響き渡った。


周りの木の一本から、驚いた鳥が一羽、枝のあいだで羽をばたつかせながら飛び立った。


サリコは口を手でふさいだ。左右を見回す。誰にも見られていない……と、思いたかった。


もっとゆっくり、息をする。一回。二回。


「上司か、彼女か、お母さんか」


指を折りながら、サリコは呟いた。


「もう……どれにすればいいのか、分からない。自分が何なのかすら、決められない」


「大丈夫かい、お嬢さん?」


サリコは、飛び上がった。


数歩先、建物の入口のそばに、白髪の老婆がいた。小柄で腰が曲がっていて、杖に寄りかかっている。ずっとそこにいたかのように、穏やかな目でサリコを見つめていた。


サリコは、三本の指を立てたままの手を、ゆっくりと下ろした。耳まで真っ赤になっていた。


「は、はい……大丈夫です」


老婆は、微笑んだ。


「あのねえ、あんたの叫び声が、どうしても耳に入っちまってね」


急ぐこともなく、二、三歩、サリコのほうへ近づいてくる。


「いちばんいいのは、自分の心に従うことさ。今のあんたのままでね。間違いや、背負っている気まずいことを解決したいなら、自分を変えることじゃない。自分のままでいることなんだよ。だってね、結局、自分のあり方を変えてどうにかしようとしたって、問題は片づかないどころか……もう傷ついてしまったものを、もっと悪くしちまうかもしれないからね」


サリコは、黙りこんだ。自分の指を見つめる。それから、通りの向こうのピザ屋を見た。


「本当に、そうですね」


小さな声で、サリコが言った。


「結局、わたし、あの人と話しに来ただけなんです……お説教しに来たんじゃなくて」


老婆に、小さく頭を下げる。老婆は微笑みを返し、杖に寄りかかりながら、ゆっくりとした足取りで去っていった。


サリコは、手を下ろした。


「よし……ピザ屋に入って、普通に挨拶しよう。普通にしてれば、逃げたりしないかもしれないし」


拳を握りしめ、顔の前に掲げる。


「うん。そうする」


建物の陰から出て、角まで歩いた。信号の前で立ち止まり、赤が青に変わるのを待つ。車が次々と、目の前を通り過ぎていく。風が木々のあいだを吹き抜け、午後の金色の光の下で、葉がやわらかな囁きのような音を立てて揺れていた。


サリコは、通りの向こうのピザ屋を見つめた。


信号が、青に変わった。

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