73 クダサイの、曇った夕暮れ
キアロコは、男が遠ざかっていくのを見ていた。
同時に、ひび割れたアスファルトの上に横たわるクレーンを見つめていた。金属はまだ時おり軋んでいた。もう立っていないことを、受け入れられずにいるかのように。土煙が、ようやく落ち着こうとしていた。サイレンが、どんどん近づいてくる。
キアロコは、しばらくその場に立ち尽くしていた。あの男を追うべきか……それとも、行かせるべきか。
それから、あることに思い当たった。
そしてその瞬間、ただ、顔を横に向けた。
見えた。信号機のカメラ。いくつかのビルの角にあるカメラ。小さな黒いレンズが、じっと動かずに、あらゆる角度から大通りを見ていた。
そして一台が、まっすぐ彼を見つめていた。
キアロコには、すぐに分かった。向こうも、すべてを見ていたのだ。
うつむいた。
そして、カメラの前で消えた。
*
街の反対側にあるビルの上で、クダサイの空は雲に覆われ始めていた。灰色の重い雲が、地平線からゆっくりと押し寄せてくる。午後の日差しは、そのあいだからかろうじて漏れるだけで、大きな窓ガラスをくすんだオレンジに染めていた。
事務所の中では、モニターのかすかなうなりだけが聞こえていた。
勇作とサリコは、茶を飲みながら画面を見ていた。テーブルの上には書類や開いたままのファイルが広がり、鉛筆があちこちに転がっている。今かかえている仕事の重さが伝わってきた。それでも、そのどれひとつとして、さっき街で起きたことから二人の気をそらしはしなかった。
二人は見ていた。アスファルトから岩の柱が突き出すのを。それがクレーンを支えるのを。鉄の腕が地面に横たわり、すべてがまた静けさに戻るのを。
そして、キアロコがまっすぐカメラを見て……何も言わずに去っていくのを。
「何かしなきゃ、お父さん」
片手で書類を動かしながら、サリコが言った。もう片方の手には、茶のカップを持っている。
勇作は、深く息を吸った。
「分かっている。だが、簡単なことじゃない」
茶をひと口すする。
「それに、正直なところ、私たちには何もできないと思う」
「呼んでみればいいじゃない」
サリコは食い下がった。
「起きたことについて、話しに来る気があるか聞いてみるの」
「彼が自分から来ないのに、こちらから呼べば、気を悪くするだけだ」
モニターから目を離さずに、勇作が言った。
「私たちが何もかも見ていることは、彼も分かっている。これ以上、追いつめられていると感じさせたくない」
「じゃあ、ここからただ見てるだけってこと?」
声を荒げて、サリコが言った。
「じゃあ、何ができるんだ、サリコ?」
勇作が手を乱暴に動かし、テーブルの書類が後ろへすべっていった。
「ただ探しに出ていくわけにも、呼びつけるわけにもいかないんだ。まるで彼が、街の機関の人間か、どこかの組織が率いる集団の一員みたいに」
沈黙が、宙に残った。
サリコは父を見た。そして、分かった。父も、前のように二人と話したいのだ。ただ、どうすればいいのか分からないだけなのだと。
「分かった、お父さん」
声を落として、サリコが言った。
「お父さんの言うとおり。そんなやり方じゃ、きっと気を悪くさせるだけだよね」
しばらく、二人とも何も言わなかった。外では、雲がわずかに残った日の光をすっかり覆い隠そうとしていた。
勇作は、うつむいた。
「それに、ソラのことは……もう何週間も、何も分かっていない」
「うん」
サリコが言った。
「どの情報機関も、あの子を見つけられてない。服すら見つかってないの」
「完全に消えてしまった。学校での一件のあとの、マユモと同じように」
勇作は、自分のカップを見つめていた。
「もう二度と、あの子のことは何も分からないのかもしれない。手がかりひとつ、つかめないまま。考えたくはないが……ただ、無事でいてくれることを願うばかりだ」
「わたしもだよ、お父さん」
サリコが言った。
「本当に、もう一度会いたい」
「待つしかない。私たちには、何もできない」
サリコは、もう一度画面を見た。録画を巻き戻し、また再生する。柱、クレーン、そしてカメラの前で消えるキアロコ。彼の顔のところで、ちょうど一時停止した。
「キアロコは、ソラのことを何か知ってると思う?」
モニターに止まった彼の顔から目を離さずに、サリコが聞いた。
「分からない」
勇作が言った。
「それに、キアロコがよくいた場所でも、もうあまり姿を見なくなった。きっと、私たちを避けようとしているんだろう」
「うん。動き回るときも、同じことしてるし」
「誰かをそばにつけて、見張らせていると思っているんだろうな」
勇作は、ため息をついた。
「だが、そうは思っていてほしくない。そんなことはしていないのに、見張られていると感じてほしくはない。完全には隠れていられないと知った今、これ以上、気を悪くさせたくないんだ」
「うん、正直、それは危ないかもね」
サリコが言った。
「この国を出ていきたいって思わせちゃうかもしれない。そうなったら、大問題だよ」
「そのとおりだ。だから、誰にも彼を見張らせていない。ましてや、彼の行く道に首を突っこむつもりもない」
「うん、分かってる。それだけは、いちばん起きてほしくないことだもんね」
サリコは、テーブルから離れた。
「とにかく、ちょっと用事があるの、お父さん。またあとでね」
事務所の中を、歩き出す。
勇作は、遠ざかっていく彼女を見ながら、顔に手をやった。ため息をつく。
「分かった。ただ、あとで後悔するようなことだけはするなよ」
サリコは最後のひと口の茶を飲み、立ち止まりもせずに、カップを別のテーブルに置いた。そして、龍の彫られた木の扉から出ていった。父を、あとに残して。
扉の向こうで、サリコは振り返って扉を見た。彫られた龍のあいだに、いくつかの印が木に刻まれていた。それを一瞬見つめ、そのうちの二つに触れた。
それから廊下を進み、薄暗い明かりのあいだに消えていって、エレベーターに乗りこんだ。
扉が、閉まった。
外では、灰色の夕暮れが、クダサイの上で消えていこうとしていた。




