62 残された日々
ビルが、だんだん近づいてくる。最後の通りを渡り、入口まで歩いた。ロビーは、温かな明かりと夜の静けさで三人を迎えた。そのままエレベーターへ向かう。
上がっていくあいだ、三人は金属の扉に映った互いの姿を見た。灰、血、破れた服。
「とりあえず、生きて帰れたね」
サリコが言った。
「生きてはいるけど、ぼろぼろだ」
キアロコがうなった。
「それに、わたしには魚が必要」
ソラが言った。
「死にかけたあとは、炭水化物をたっぷりとらないと」
エレベーターの扉が開いた。廊下を歩いて、龍の彫られた大きな木の扉まで行くと、サリコがそれを開けた。
勇作は窓のそばの壁にもたれ、夜が街を暗く染めきっていくのを眺めていた。はるか下では、通りの明かりが、灯った小さな点の海のように広がっていた。
入ってくる音に、振り返る。三人を上から下まで眺めて、片眉を上げた。
「まあ……近くに店があってよかった」
三人がまとってきた惨状を見て、勇作は言った。
「軍隊とでも戦ってきたのか?」
「もっとひどいもんだ……」
キアロコが答えた。
勇作は、ゆっくりとうなずいた。
「なるほど。つらい出来事だったのは、分かっている」
「こんなこと、俺には全部初めてだ」
キアロコが言った。
「こんなものを見ることになるなんて、思ってもみなかった」
「うん」
ソラが言った。
「能力持ちのセクシーな変な女で、蹴りは新幹線並み、うぬぼれは天まで届いてる。しかも、もう少しでわたしたちを殺すところだった」
「何もかも、めちゃくちゃだった」
キアロコが、声を落として言った。
「あの少年は、わけも分からないまま死んだ。きっと、自分で望んだわけでもない戦争の中で」
「本当に、そうだよね……」
ソラはうつむいた。
「わたしたちだって、なんで生きてるのか分からない。あの人も、わたしたちを殺すつもりだった」
拳を握りしめる。
沈黙が、みんなのあいだに残った。
サリコが笑顔で、空気を変えようとした。
「さあ、手当てして、何か食べよう。続きは、それからにしよう」
「風呂場を燃やさないでくれよ」
勇作が笑った。
「わたしが一番ね」
ソラが宣言した。
「焼いた服みたいなにおいがする」
キアロコはソラに近づいて、においをかいだ。
「濡れた炭のにおいだぞ、ソラ」
「君はどうだ?」
勇作が言った。
「何時間も海にいたように見えるが。ははは」
「もっとひどいもんだ……」
キアロコが言った。
「じゃあ、ソラ……一緒にお風呂入ろっか」
サリコがからかった。
「髪の毛、焦げたスパゲッティみたいになってるよ」
「ええっ!? うそでしょ! まだそれ言ってるの?」
勇作は笑っていた。三人はぶつぶつ言ったり笑ったりしながら扉をくぐり、廊下の奥へ消えていった。ほんのひととき、張りつめていたものがゆるんだ。
*
勇作は、事務所にひとり残った。
部屋の隅に、ホログラムの画面が淡い青い光を放って浮かんでいた。そこには、炎の少年の写真が映っていた。その隣には、アンジーニの写真。
勇作は動かず、それをじっと見つめた。
それからテーブルへ歩き、茶を少し注いで、カップを両手で包んだまま窓辺へ向かった。湯気がゆっくりと立ちのぼり、ガラスにぶつかって消えていく。
ちょうどそのとき、サリコとソラとキアロコが、同じ扉から戻ってきた。さっぱりとして、軽い服に着替えている。ソラはまだ、タオルで髪を拭いていた。
「よし、今度こそ、ごはん!」
キアロコの隣を歩きながら、ソラが言った。
そのとき、二人の内側で、何かが脈打った。
サリコの目の前で、二人は踏み出しかけた足のまま、凍りついたように動かなくなった。それから、膝をついた。
そして、床に倒れた。二人いっしょに、身動きひとつできずに。
「キアロコ! ソラ!」
サリコが叫んだ。
駆け寄ってしゃがみこみ、二人を見つめる。まずひとり、それからもうひとりと、二人の髪に手をすべらせた。
勇作は落ち着いた足取りで近づき、サリコの肩に手を置いた。
「サリコ、茶でも飲みなさい。今日は、みんなにとって大変な一日だった」
そう言って、立ち上がる彼女に手を貸した。
サリコはテーブルまで歩き、茶を注いだ。そのあいだに、画面を見た。父がずっと見ていたのと、同じ写真。炎の少年。アンジーニ。
カップを両手で握りしめる。画面から視線を引きはがし、床に倒れたキアロコとソラに目を戻した。
勇作は、まだ二人のそばに立っていた。深く息を吸う。
「手遅れでないことを、願うばかりだ」
勇作は言った。
「二人が、やり遂げられるように」
「そうなると思う? お父さん」
「ああ。二人がそれを理解できなければ、その命は、もう長くはない」
少し間を置いて、続けた。
「そして、最初に命を落とすのは……ソラだ」
サリコは黙りこんだ。外には涙を見せなかった。だが、床に倒れた二人を見て、胸の内では、心が泣いていた。
「困ったことに、どう手を貸せばいいのか分からない」
勇作は続けた。
「これがどういう仕組みなのかも、私には分からない。手遅れになる前に、二人が自分で見つけてくれることを願うだけだ」
茶を、もう一口すする。明かりをひとつ消すと、事務所は薄暗くなり、街の灯と画面の青い光だけが部屋を照らした。
扉のひとつへ歩き、それを開けた。
「休みなさい、サリコ」
そして、扉の向こうへ消えた。
サリコは、床に倒れたソラとキアロコを見つめていた。それから、もう一度画面を見た。炎の少年の写真の隣の、アンジーニ。
別のモニターの隅で、映像が音もなく流れていた。
学校での戦いだった。




