56 消えていく影
ソラは、まだ炎の届いていない一本の木の下に倒れていた。
傷ついていたが、気を失ってはいなかった。そこから、数メートル先の地面に倒れている兄を見ていた。
炎の少年は、まだ無傷のまま立っていた。二人が浴びせたものなど、何ひとつ効いていないかのように。顔は憎しみに満ち、両腕からは絶え間なく炎が噴き出していた。
キアロコが、荒い息をつきながら、ゆっくりと地面から身を起こした。咳をするたびに、口から血がこぼれた。
(なんなんだよ……。こんなの、おかしい)
そう思った。
(それに、もういいかげん鬱陶しい。こんな人生、送るつもりじゃなかった……。でも、気を散らすわけにもいかない。今ここで、俺まであいつみたいになったら……どうなるか分からない)
まわりの影を見た。目の前の炎の大きさを前に、影はどんどん弱々しくなっていた。
*
少年が走り込んできて、腹へ拳を放った。
影が割り込み、その一撃を止めた。
少年は足の上で身を翻し、もう片方の手を振り上げ、拳を握って顔を狙った。キアロコはぎりぎりで身を屈めた。拳が、髪をかすめて通り過ぎた。
少年が動きを止め、ほとんど足もとにしゃがみ込んだキアロコを見下ろした。もう一度殴ろうと、拳を握った。
だが、キアロコのほうが速かった。真上へ、蹴りを放った。
少年の身体が何メートルも宙に浮き、遠くの地面へ落ちた。
炎の少年は、また立ち上がろうとした。まだ食らい足りないとでも言うように。
*
キアロコは、その姿を見ていた。
そして、あることに気づいた。
少年の身体が、壊れはじめていた。
脚にも腕にも、筋が走っていた。内側から赤く光る、細いひび割れ。まるで皮膚が消えかけていて、その下に残っているのが炎だけであるかのように。
キアロコは、自分の目で見ていた。
――断片は、制御できない保持者を、こうやって殺すのだ。
木の下から、ソラもそれを見ていた。少年の足がひび割れて欠けていき、炎が全身に燃える線を刻んでいくのを。
*
キアロコが構えをとった。影が、すばやく彼のまわりに立ち上がった。
(今ここで終わらせなきゃいけない。これ以上、ひどくなる前に)
「ただ……その場にいてやれなかったことだけは、悔やんでる」
冷たく、乾いた目で少年を見据えて、キアロコは言った。
「お前を守ってやれなかったことだけは」
その声に、悲しみはなかった。
だが、早く止めなければならないことは分かっていた。
*
少年が、激昂した。
力が膨れ上がった。腕の炎がさらに強くなり、右手の一部まで覆いはじめた。
あたり一帯の熱が上がった。木々の葉がひとりでに焦げ、なかには木ごと燃え上がるものもあった。
キアロコは集中できなかった。熱で、頭がくらくらした。
木の下で、ソラは汗を止められずにいた。その顔が、病人のように色を失いはじめていた。
少年が、また炎を放った。
絡み合った蛇の群れのように、身をよじりながら迫ってくる。通り過ぎた地面が焼け焦げるほどの勢いだった。
キアロコは影でできるかぎり身を守った。だが、熱が凄まじすぎた。
炎の柱が、容赦ない力で真上から叩きつけられた。
*
キアロコは後ろへ転がった。
影のひとつが震え、今にも消えそうになった。別のひとつは、完全に消えた。
熱は耐えがたかった。肌を焼くだけではなかった。胸の中の空気まで、焼いていた。
その一撃のあと、キアロコは力を使い果たしていた。熱で身体の平衡を失い、彼を守っていた影も、そばで消えはじめていた。
(くそ……動けない。この熱じゃ、息をするのも重い。肺が焼けてるみたいだ……)
今にも意識を失いそうだった。
少年が、目の前に現れた。
燃える拳が、彼を捉えた。
キアロコは吹き飛び、校舎の壁に叩きつけられた。
*
地面に倒れたまま、血を流し、火傷を負ったソラは、起き上がろうとした。だが、脚がもう言うことを聞かなかった。
「キアロコ……!」
叫んだ。だがその声は、ほとんど聞こえないほどだった。
姿が見えなかった。煙の幕がすべてを覆い隠し、熱のせいで目の焦点も合わなかった。
炎の少年が、煙のほうへ歩いていった。
*
だが――キアロコが、煙の中からミサイルのように飛び出してきた。怒りに満ちて。
全速力で殴りかかった。少年は、ほとんど力も使わずに、横へ一歩ずれただけだった。
キアロコは片足を地面について、頭へ蹴りを放った。少年はすばやく身を屈め、腹への一撃で返した。
キアロコの息が抜けた。口から血が溢れた。身体を折り、下を向いたまま、炎の少年と顔を突き合わせる形になった。
よろめきながら、それでも反応しようとした。
足もとの影が、弱々しく火花を散らしていた。どんどん細くなっていった。
最後の一撃を、放とうとした。
――だが、遅すぎた。
*
少年が正面から彼を捕らえ、胸に凄まじい一撃を叩き込んだ。
それから、顔に。
ドォン!
キアロコはうつ伏せに倒れた。血を吐いた。動けなかった。
少年が近づいてきた。
片手だけで、彼を地面から持ち上げた。
首を掴んで。
そして初めて、その口から出てきたのは、唸り声ではなかった。
「……久しぶりだな」
囁くように、そう言った。
「どうやら、もう特別でもなんでもないらしい。……まあ、いい。おかげで、お前を殺す楽しみを存分に味わえる」
そして、笑った。
歪んだ笑み。どんな少年のものでもない笑みだった。
*
キアロコは、答えようとした。
だが、もう声が残っていなかった。
足が宙にぶら下がっていた。その下の影は、地面の上の一本の細い線にまで縮んでいた。
少年のもう片方の手で、炎が大きくなっていった。どんどん大きく、どんどん白く。
一瞬、すべてが静まり返った。
炎のはぜる音も。遠くのサイレンも。通りから届く悲鳴も。何もかもが、消えたように思えた。
木の下で、ソラは見ていた。動くこともできずに。叫ぶこともできずに。
まるで時間そのものが、二人の死を待ちかまえているかのように。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
キアロコも、ソラも……二人とも、絶体絶命です。
そして、あの少年の口からこぼれた「久しぶりだな」という言葉。
――それは、いったい誰の声だったのか。
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次回、二人の運命は――。




