55 影が防ぎきれなかった炎
キアロコは、ソラをそっと地面に下ろした。
一本の木の幹にもたせかけ、その頭を注意深く支えてやった。
それから立ち上がり、炎の少年のほうへ歩き出した。
ソラが、わずかに残った力で、手を上げた。
「気をつけて……兄さん」
口から血が流れていた。息は、かろうじて一本の糸のようだった。
*
炎の少年が構えをとり、キアロコへ火の玉を放った。
地面から影が立ち上がり、彼の前に壁をつくった。
炎がそれにぶつかり、火花になって砕け散った。
煙の向こうで――キアロコは、初めて本当に、少年を見た。
そして、見えた。
うつろな目。どこでもないところへ迷い込んだ視線。獣のような息。
断片に支配されていたときのソラと、同じ目だった。
――この少年は、そこにいない。
胸の中で、怒りが冷えていった。
*
「こんなこと、したくない」
少年を見つめたまま、キアロコが言った。
「まだ、助けられる。……お前が、そうさせてくれるなら」
だが炎の少年は、もう何も聞いていなかった。
もう一発、火の玉を放った。
どこからともなく影が現れ、それを弾き返した。ただのボールでも払うように。
別の影が少年の右腕を捕らえ、校舎の壁へ投げつけた。
少年は壁を突き破り、建物の中へ消えた。
土埃が晴れはじめた。
少年が、同じ穴から、ゆっくりと出てきた。
その目の前で、影が黒い渦のように、キアロコのまわりを回っていた。
*
少年の目が、白くなった。
うつろで、怒りに満ちた白に。
炎が、応えるように噴き出した。
キアロコは身を守った。――だが、衝撃は本物だった。
打たれたのが、分かった。
炎は影にぶつかっていた。それなのに、影の向こう側から焼かれていくのを感じた。
この少年は、もっと悪くなる。それが分かっていた。
急がなければならない。それも、分かっていた。
もう、一言も口にしなかった。
キアロコが、攻めた。
*
一気に距離を詰め、何発も打撃を入れた。腹に。顔に。それから蹴り。
少年は後ずさった。だがすぐに、キアロコへ向かって走り出し、猛烈な速さで攻めてきた。
キアロコは両腕で身を守った。打撃は防いでいた。それでも、その一発一発が、肌を焼いた。
不意に、少年がキアロコのまわりを走りはじめた。どんどん速く。
離れていくその姿に、キアロコは目を見張った。
――そして瞬きひとつのあいだに、少年はまた目の前にいて、顔に蹴りを叩き込んでいた。
キアロコは後ろへ吹き飛んだ。
木の下から、ソラはその戦いを見ていた。何もできずに。
*
少年が唸った。身体の炎が、さらに強くなった。
反撃が始まった。炎を次々に放った。怒りは、どんどん膨れ上がっていった。
キアロコの影が、その熱の前で消えていった。
それから、火の玉が来た。ひとつ、またひとつ。
キアロコは校庭を走って躱した。
焼けた木々が、また燃え上がった。炎が校舎のあちこちに届いた。一歩ごとに、地面が弾けた。
何もかもが、手のつけられない混沌だった。
火の玉のひとつが、足もとを捉えた。
少年がもう一発放った。
キアロコは影を上げて身を守った。できるかぎり耐えた。――だが、焼けていくのを感じていた。
*
(何かがおかしい)
そう思った。
(触れてもいないのに、あいつの攻撃が効いてる)
少年は火の玉を放ちつづけた。
キアロコは影に助けられて動きながら、それを躱した。
近づき、少年の身体のあちこちに打撃を入れ、すぐに離れた。まわりを包む、息の詰まるような熱から逃れるために。
キアロコは、少年の目を見ていた。白く、うつろな目を。
(それに……あいつに殴られてから、身体が焼けていくみたいだ。手が燃えるように痛い。……毒みたいに)
*
そのとき、少年が走り込んできて、腹に一撃を入れた。
キアロコの口から、血が溢れた。
息ができないまま、地面を見つめて動けなくなった。
(どうやって……あんなに速く……)
少年が宙で身を翻し、その頭を蹴り抜いた。
キアロコは何度も後ろへ回転しながら校庭を転がり――
やがて、地面に伸びたまま動かなくなった。
日向に干された、濡れた洗濯物のように。




