53 断片があなたを喰らい尽くすまで
学校の校庭は、もう校庭には見えなかった。
ベンチに木陰を落としていた木々は、黒い幹になっていた。灰と化し、枝は焼け焦げた指のようにねじれていた。
地面は小さなクレーターだらけで、そのいくつかはまだ煙を上げていた。
校舎の窓は割れ、壁にはひびと穴が開いていた。炎の少年が通り抜けたところだった。まるで何かが、内側からコンクリートを突き破ったかのように。
*
校舎の向こう側から、走る足音が聞こえていた。大勢が、一斉に。
先生たちが声を張り上げて指示を出しながら、正面の出口から生徒たちを外へ出していた。
「こっちよ! 止まらないで! そのまま歩いて!」
ときおり、校庭から衝撃音が響いてきた。まだ割れずに残っていた窓ガラスが、そのたびに震えた。
生徒たちは走りながら、振り返った。
「何なの?」
「今の、何?」
だが、誰も立ち止まらなかった。
押し合いながら走りつづけ――やがて、通りへ出ていった。
*
校庭で、ソラは拳を握りしめた。
怒りが、胸の奥から込み上げてきた。
戦いを楽しむ者の怒りではなかった。誰も傷つけたくないのに、もうほかに道がない者の怒りだった。
少年の顔を見た。
(こんなの、間違ってる……。でも、このまま終わらせるわけにはいかない)
両手を上げ、怒りをこめて風を放った。
目の前で、空気が回りはじめた。はじめは速く、それから荒々しく。
そして、旋風になった。
焼けた木々が地面から引き抜かれ、灰と、石と、ベンチの残骸と一緒に、渦の中を回りはじめた。
風が校庭じゅうを揺さぶり、校舎の壁に唸りを叩きつけ、煙を螺旋に巻き込んでいった。
ソラが、目を見開いた。
――そして、容赦なく、それを少年へ放った。
*
少年は動かなかった。
左腕を上げた。
炎の壁が、目の前の地面から噴き上がった。生きた壁のように、固く。
旋風が、炎にぶつかった。
――そして、炎がそれを喰らった。
炎は風を飲み込み、風とともに膨れ上がり、さっきよりも激しく唸りを上げた。
「そんな……」
胸が締めつけられるのを感じながら、ソラは呟いた。
*
そのとき、少年が突っ込んできた。
自分の炎の壁を、止まりもせずに突き抜けて。服を焦がし、コンクリートに黒い足跡を残しながら。
ドンッ!
燃える拳が、ソラの腹にめり込んだ。
一気に息が抜けた。口から、一筋の血が流れた。
立ち直る暇もなく、顎に、まともに蹴りが入った。
頭が後ろへのけぞり、髪が鞭のように跳ね、身体が吹き飛ばされた。
土埃と燠を巻き上げながら校庭を引きずられ――ようやく、止まった。
痛み。
炎。
決意。
*
ソラは熱い地面に両手をつき、身を起こした。
脚には火傷の痕がいくつもあった。腕は擦りむけ、服はあちこち破れていた。
勝てない。
――でも、耐えることはできる。
そして、ひとつ気づきはじめていたことがあった。
戦えば戦うほど、少年は不安定になっていく。
腕の炎が、もうじっとしていなかった。跳ね上がり、消え、また勝手に燃え上がる。
肌から湯気が立ちのぼっていた。唸るような息をしていた。触れてもいないのに、足もとの芝が燃え上がった。
一秒ごとに、彼は削られていった。
一撃ごとに、限界へ近づいていった。
そしてソラは、傷ついていても――止まるつもりはなかった。
*
風の突風が、螺旋を描いて飛んだ。
火の玉が、空気を引き裂いた。
まわりで、地面が弾けた。
ソラは、下から風に支えられて、宙へ舞い上がった。
「倒せないなら……断片があなたを喰らい尽くすまで、止めてみせる!」
両手を伸ばし、風の盾をつくった。
――だが今度は、自分のまわりではなかった。彼のまわりだった。
目に見えない牢獄が、少年を囲んで閉じた。
圧縮された空気の壁。あまりに濃くて、光までゆがんで見えた。
*
一瞬、彼は中で動かなくなった。
それから、うつむいた。
前髪の陰が、その目を覆った。
――そして、身体から炎が噴き出した。
ピシッ!
牢獄の全面に、ひびが走った。内側から叩かれたガラスのように。
ピシッ! ピシィッ!
そして、粉々に砕けた。
衝撃波が、宙にいたソラを激しく後ろへ弾き飛ばした。
(まずい……)
体勢を立て直しながら、そう思った。
(どうして、盾が破られたの。……もう一回、やらなきゃ)
*
もう一度、手を伸ばした。
――だが、不意に咳が込み上げてきた。
口を手で覆った。
手を離すと、指のあいだに血がついていた。
それでも、彼女は少年を見上げた。
「逃がさない……。もう、誰も傷つけさせない」
もう一度、盾をつくろうとした。
風が回りはじめた。だが弱々しく、ほつれていた。
力が、消えかけていた。
*
下で、少年が腕を後ろへ引き――巨大な炎を放った。
炎は、校庭の焼けた木々のあいだをうねりながら進んだ。燃える鱗をまとった蛇のように宙を波打ち、まっすぐ彼女へ。
ソラは瞬きをした。
迫ってくる炎が、目の前でぼやけた。
(わたし、どうしちゃったの……。ちゃんと見えない……)
炎が、彼女を捉えた。
ドォン!
爆発が、彼女をすっぽりと包み込んだ。
ソラは回りながら、宙から落ちた。服から煙を上げて。
*
炎の少年は、もう彼女へ向かって走っていた。
拳。炎。蹴り。
ソラはできるかぎり躱した。地面を転がり、立ち上がり、後ずさった。
だんだん遅くなっていった。だんだん、息が続かなくなっていった。
少年は叫びもしなかった。何も言わなかった。
ただ唸り、襲いかかり、また襲いかかった。――もう止まり方を知らない獣のように。
腹への乾いた一撃が、ソラの息を奪った。
身体が折れた。
倒れる前に、少年がその首を掴み、地面から持ち上げた。
*
ソラは足をばたつかせ、両手で彼の手首を掴んで振りほどこうとした。
その指の熱が、肌を焼いた。
振りほどけなかった。
少年が、もう片方の手を上げた。
手のひらで、炎が燃えていた。どんどん大きく、どんどん白く。
――断片を、引き剥がすつもりだった。
――彼女を、殺すつもりだった。
*
すべてが、止まった。
まるで、風そのものが消えてしまったかのように。




