52 泣く断片
床が震えた。まるで地の底で、何かが目を覚ましたかのように。
窓が弾け飛んだ。
ガラスの雨が机の上に降りそそぎ、一斉に悲鳴が上がった。
生徒たちは走り、廊下で転んだ。先生たちは指示を叫んだが、誰の耳にも届かなかった。
パニックが、煙よりも速く広がっていった。
*
――だが、ソラは動かなかった。
あの爆発には、何か違うものがあった。
何か、生きているもの。知っているもの……どうして知っているのかは、思い出せないのに。
黙って立ち上がり、階段を下りていった。みんなが反対の方向へ逃げていくなかを。
肩にぶつかり、放り出されたリュックをよけ、流れに逆らって下りつづけた。
空気が、どんどん重くなっていった。灰を含んで。
明かりが明滅していた。
壁にはひびが走っていた。まるで何かの力が、内側から叩き壊したかのように。
*
そして、彼女は見た。
自分と同じくらいの歳の少年だった。
――あるいは、少なくとも、その少年の残りだった。
左腕が、炎に包まれていた。燃えているのに、皮膚は焼けていなかった。
だが、その目はうつろだった。どこかへ迷い込んでいた。
断片が、彼を奪ったのだ。
「何を……したの」
もう遅いと分かっていながら、ソラは囁いた。
少年が、顔を上げた。
その目は、炎だった。
*
ソラは、そっと片手を上げた。
「聞いて……。こんなこと、しなくていいの。まだ間に合う。わたしが、助けてあげる」
だが、それはもう彼ではなかった。
瞳は燠火だった。吐く息は、湯気だった。
断片が彼の内側で燃え、残っていた魂を喰らい尽くそうとしていた。
何の前触れもなく、少年が弧を描く炎を放った。
炎が、飢えた獣のように唸った。
ソラはとっさに風の壁を立ち上げた。空気が渦を巻き、彼女をすっぽりと包み込んだ。
ドォン!
衝撃が、彼女を壁に叩きつけた。
埃と瓦礫のなかに、ソラは倒れた。
*
そのあいだに、少年は砕けた窓から跳び出した。まっすぐ校庭へ。炎の尾を引きながら。
ソラは立ち上がろうとした。追いかけるつもりで。
――そして、一秒だけ止まった。
自分の手を見た。腕を。服を。
火傷ひとつ、なかった。盾が、守ってくれたのだ。
窓まで走った。
下の校庭で、少年がベンチの残骸と庭の木々のあいだを走っていた。通ったあとの芝を、黒く焦がしながら。
「負けない……」
ソラは囁いた。
そして、窓から跳んだ。
*
落ちなかった。
宙に浮いていた。風に支えられて。髪とスカートが、まわりではためいていた。
両手を伸ばし、二つの突風を放った。
突風は少年の目の前に叩きつけられ、その行く手に土埃の雲を巻き上げた。
少年が足を止めた。
顔を向け――校庭の上に浮かぶ彼女を見た。
その顔が、怒りに歪んだ。
腕の炎が大きくなった。もっと高く、もっと荒々しく。
一秒ごとに、彼の怒りは募っていった。
もう、どうにもならなかった。少年は自分自身の力のなかに迷い込んでいた。断片の手に、落ちていた。
*
校庭が、戦場に変わった。
風と炎が交差した。荒々しいエネルギーのぶつかり合いだった。
ソラは、球の形をした突風をいくつも放った。
炎の少年は両腕で身を守った。球は校庭の地面に叩きつけられ、コンクリートに小さなクレーターを穿っていった。
突風が、やんだ。
彼は、まだそこに立っていた。
憎しみを込めて、ソラを見た。
それから、左の拳を握りしめ――彼女に向けて、炎を放った。
*
その大きさに、ソラは息を呑んだ。
すばやく片手を上げ、風の旋風をつくり出した。
旋風が、炎と真正面からぶつかった。
炎が風と混ざり合い――すべてが、爆ぜた。
衝撃波が、二人を後ろへ吹き飛ばした。
ソラは地面に倒れた。少年は校庭を何メートルも転がった。
だが、先に立ち上がったのは彼だった。
構えをとり、全速力でソラへ走ってきた。
*
胴に拳を、次から次へと叩き込んできた。蹴りと拳を織り交ぜて。
一撃一撃が、ソラには重かった。
触れられたところが、ひとつ残らず焼けついた。
最後に、顔への蹴り。
ソラは校庭を転がった。
焼けた地面に両手をついて、身を起こそうとした。
――そして、気づいた。
身体のあちこちに、火傷があった。腕に。脚に。脇腹に。
まだ燃えているかのように、痛んだ。
炎の少年は、そこに立って、見下すように彼女を見ていた。
灰が、黒い雪のように舞っていた。
地面は、ひび割れだらけだった。
*
ソラは歯を食いしばり、彼へ飛びかかった。
風の一部を使って身を軽くし、ほとんど地面に触れずに、炎の少年に何発も打撃を入れた。
彼も打ち返してきた。
胴に。顔に。脚に。二人は殴り合った。どちらも、一歩も引かずに。
――そして、二人の拳が、同時に互いの顔を捉えた。
二人とも、後ろへ吹き飛んだ。
炎の少年は、足を引きずって踏みとどまった。コンクリートに、火花を散らしながら。
ソラは地面を転がった。そして転がりきったところで、その勢いのまま跳ね起き、構えをとった。
*
それから上へ跳び、もう一度、風の球の雨を降らせはじめた。
今度は、少年は校庭じゅうを動き回り、ひとつ、またひとつと躱していった。
そして球が減ってきたところで――片手から、いくつもの火の玉を放った。
いくつかは、最後の風の球とぶつかって、宙で弾けた。
だが三つが、煙を突き抜けてきた。
――そして、ソラを捉えた。
彼女は地面に落ちた。
痛みをこらえて立ち上がり、構えをとって、炎の少年を見た。
*
何も、分からなかった。
分かっているのは、ただひとつ。――何か手を打たなければ、この戦いで命を落とす、ということだけだった。
(身体じゅうが痛い……。あちこち火傷してる)
そう思った。
(近づくのは、まずい気がする。でも上から攻撃しても、すぐに躱される……。どうすればいいの?)
炎の少年は、そこで待っていた。
彼女が風で踏み出す一歩一歩に、打ち返す構えで。
灰の匂いがした。
学校の校庭は、戦いの混沌と化していた。




