49 闇をさらった風の戦い
キアロコは、ソラの上達を誇らしく思っていた。
それでも、胸の内で小さな対抗心が燃えるのを、抑えられなかった。
彼女は成長していた。速く――速すぎるほどに。
長いあいだ影を背負ってきた自分としては、ほんの少しでいいから、まだ自分にも力があるのだと示したくなっていた。
「公園に行こう」
片方の口の端だけで笑って、キアロコが言った。手袋を地面に投げつけるように。
「お前の風が、俺の影を押し返せるか見てみたい」
ソラが彼を見た。見間違えようのない光を目に宿して。身体じゅうに、力が駆けめぐっていた。
「受けて立つ! でも、負けても泣かないでよね、キアロコ!」
一緒に来ていた勇作とサリコが顔を見合わせ、笑った。
「これは見ものだな」
勇作が言った。頭の中では、もうポップコーンの用意を始めていた。
*
着いたころには、午後がゆっくりと暮れかけていた。
空はまだ晴れていて、地平線のあたりが橙色に染まっていた。
夜が、街の上にゆっくりと降りてきていた。まるで夜もまた、これから起きることを待っているかのように。
同じ公園だった。
根を空にさらした木々が、まだ地面に倒れていた。ひっくり返ったベンチも、風が置いていった場所にそのまま残っていた。
勇作は、すぐにその場所に気づいた。
その日の午後、図面を手にして立っていた、まさにその場所だった。
何も言わなかった。
*
公園の真ん中で、キアロコとソラは向かい合った。
キアロコが影を呼び寄せた。影が、黒い蛇のように彼のまわりで踊りはじめた。
ソラが深く息を吸った。やさしいそよ風が彼女を包みはじめ、鼓動のたびに速くなっていった。
「準備はいいか」
キアロコが言った。
「風が闇を消せるかどうか、見せてもらおう」
何の前触れもなく、ソラが凄まじい突風を放ち、空気を引き裂いた。
キアロコは跳んで躱した。風が、土埃の尾を残して通り過ぎていった。
着地し、後ろへ跳び――そしてすぐに、ソラへ向かって走り出した。
ソラは、その一歩一歩を目で追っていた。
*
ソラは次々に突風を放った。ひとつ、またひとつ。
だが、どれも彼に届かなかった。
一瞬、苛立ちが彼女の顔を横切った。
――その一瞬で、キアロコが消えた。
近くの木の影に溶け込み、彼女の真後ろに現れた。
「集中が足りないぞ、ソラ」
背中に一撃を入れる寸前、そう囁いた。
だがソラは、優雅に身を翻し、小さな空気の壁を立ち上げた。
間一髪で、それが彼女を守った。
「兄さんこそ、風をなめてるでしょ」
いたずらっぽく笑って、そう返した。
*
決闘は続いた。打撃と、風と、影と、あり得ない動きとの、ひとつの交響曲のように。
二人とも、限界ぎりぎりで遊んでいた。憎しみはなかった。だが、魂を焦がすほどの激しさがあった。
影が、黒い帳のように広がった。
風が、目に見えない刃のように切り裂いた。
*
サリコと勇作は、身じろぎもせず、黙ってその戦いを見ていた。
呆然としていた。
自分たちが当たり前だと思ってきた日常が、目の前で崩れていった。
二人の人間が、自分たちにとって何ひとつ理屈の通らないことをやっていた。
契約のことも、断片のことも、知ってはいた。
だがずっと、それを伝説として見てきた。疑わしさに満ちた何かとして。
――今、人生がもう一度、目の前でひっくり返っていた。
*
フィールドでは、ソラが突風を放ちつづけ、キアロコはそれを何でもないように躱しつづけていた。
そのとき、キアロコが全速力で彼女へ走り込み、胴に何発も拳を入れた。続けざまに。
ソラは、それを予想していなかった。
サリコがベンチから立ち上がった。止めに入りたかった。
だが勇作が、その手を取って引きとめた。
サリコは何も言わず、また腰を下ろした。
キアロコの拳は止まらなかった。どんどん、多くなっていった。
そして、もう一度、正確に腹を狙ったとき――
ソラが、片足で回りはじめた。
まわりから風が噴き出し、すべてを払いのけた。
キアロコは後ろへ吹き飛ばされ、ゴミ箱のように地面を転がった。
止まり、身を起こし、構えをとった。
ソラも構えをとった。片手は、まだ腹に当てたままだった。
*
キアロコが、蛇の形をした影を何本も彼女へ放った。
勇作とサリコは、影が立ちのぼってソラへ向かっていくのを、じりじりと見ていた。
一撃は速かった。避けようがなかった。
煙の幕が残り、何も見えなくなった。
サリコが、弾かれたように立ち上がった。
ソラは、叫ばなかった。
キアロコは少し不安になった。こんなことになるとは思っていなかった。
目を凝らしたが、煙で何も見えなかった。だから、彼女のほうへ歩き出した。
*
そのとき、強い風が煙を払いはじめた。
全員が、手で顔を覆った。
――そして、そこにソラがいた。フィールドの真ん中に。
風の領域が、彼女を包んでいた。少し不安定だったが、目に見えた。
攻撃は、彼女に何ひとつ届いていなかった。
まわりの地面は穴だらけだった。だが、彼女は無傷だった。
無事な彼女を見て、全員が驚いていた。
そしてそのとき、ソラは何かを感じた。
何か、それ以上のものを。これまで一度も感じたことのない何かを。
キアロコを見て、微笑んだ。
*
迷いのない動きで、両腕を広げた。
風が、従った。
はじめは、そよ風。それから、荒々しい流れ。そしてついに――旋風。
まわりのすべてを飲み込みはじめる、巨大な渦だった。
葉も、落ちた枝も、すでにひっくり返っていたベンチまでもが、地面から浮き上がった。
「ソラ、やめろ!」
影を盾にしようとしながら、キアロコが叫んだ。
――遅すぎた。
旋風は、容赦なく、まっすぐ彼へ向かった。
キアロコは踏みとどまれなかった。風で、前を見ることさえできなかった。
旋風が彼にぶつかり、その中心に閉じ込めた。
そして彼は弾丸のように撃ち出され、地面に、木々に、跳ね返りながら飛んでいった。
一瞬、その場所の大地が震えた。
ドォン! ガシャァン!
土埃。破壊。静寂。
*
ソラが、我に返った。
「キアロコ!」
そう叫び、胸が張り裂けそうになりながら、彼のもとへ駆け出した。
サリコと勇作は、今見たものをほとんど呑み込めずにいた。
土埃まみれのキアロコが、やっとのことで立ち上がった。
生きていた。だが、身体よりもプライドのほうが、ひどく打ちのめされていた。
「うわ……今のは、やりすぎだろ……」
髪の埃を払いながら、息を切らして言った。
「ごめん! あんなに強くなると思わなかった」
ソラが、青ざめて言った。声は震えていた。だがその目は、もう何が起きたのかを理解しようとしていた。
「気にするな」
歪んだ笑みを浮かべて立ち上がりながら、彼が答えた。
「どうやら、風を甘く見てたらしい。……それと、自分の影を買いかぶってた」
*
「まだ、うまく制御できないの」
うつむいて、ソラが言った。
「俺もだ」
正直に、彼が言った。
「今日で分かったな。本当の力は、何ができるかだけじゃない。……それをどう制御するか、なんだ」
まだ興奮の冷めない勇作が、近づいてきた。
「たいした見世物だったぞ、二人とも! さあ、私のビルへ行こう。もう全部用意してある……ごちそう付きだ」
「やったぁ!」
一気に元気を取り戻して、ソラが叫んだ。
「お魚、あるだけ全部食べたい!」
みんなが笑った。
「ソラ、お前、自分で自分を超えたな!」
まだ呆気にとられたまま、キアロコが声を上げた。そして手で、彼女の髪をくしゃくしゃにした。
*
サリコが、荒れ果てた公園を見回しながら、そっと近づいてきた。
「心配しないで、キアロコ……。一緒に練習していけば、きっとキアロコももっと強くなるし、もっとうまく制御できるようになるよ」
勇作は何も言わなかった。
公園がどうなったかを見ていた。
これがどれほど危険なものになり得るのかを、考えていた。――今、自分の目で見てしまったからこそ。
サリコがソラのほうを向いた。いたずらっぽく聞こえるように、努めながら。
「ソラ、大丈夫? これ……めちゃくちゃだよ」
ソラは頷いた。見るからに、くたくただった。
「大丈夫だよ、サリコ。ただ……風にこんなことができるなんて、ちょっとびっくりしてるだけ」
目の前に上げた自分の手を見ながら、そう言った。
*
四人は、数秒のあいだ黙っていた。
公園は廃墟になっていた。
だがその破壊のただ中で、四人のあいだの何かが強くなっていた。
分かち合った決意。前よりも固い、絆。
キアロコがソラのほうを向いた。さっきまで自分を焦がしていた苛立ちを、置き去りにして。
「なあ、ソラ……。悔しいけど、俺はお前から、たくさん学べるのかもしれない」
ソラは微笑み、決意に満ちた構えをとった。
「わたしも、兄さんから。――これは、まだ始まりだよ」
*
四人は、公園を出ようと歩き出した。ビルへ向かって。
サリコと勇作とキアロコが前を行き、話しながら歩いていた。
ソラは、その後ろを歩いていた。
一度、足を止めた。
公園を振り返った。どうなってしまったのかを。
拳を握りしめた。
自分のことを考えていた。もっと強くならなきゃ。もっと、ちゃんと制御できるようにならなきゃ。
また歩き出し、みんなに追いつこうとした。
だが、足もとがふらついていた。
――不意に、地面に倒れた。
みんなのところへ行こうとしたまま、袋のように、その場に転がった。
*
その音を聞いて、キアロコが一瞬で駆け戻った。
勇作は、それがこの世でいちばん当たり前のことであるかのように、一度だけ振り返って――そのまま歩きつづけた。
「大丈夫、ソラ?」
サリコが訊いた。
「うん……ちょっと、へとへとなだけ」
半分だけ笑って、ソラが答えた。
キアロコが彼女を起こし、背中に負ぶった。
ソラは、抗う力もなく、彼の肩に頭をのせた。
車へ歩いていく二人の姿を見て、サリコは微笑んでいた。
勇作は、もう車の中で待っていた。
バックミラー越しに近づいてくる彼らを見ながら、自分の考えに沈んでいた。
*
戦いは終わった。
勝者はいなかった。
いたのは、自分自身について大切なことを学んだ、二人の戦士だけだった。
そしてその日、公園の真ん中で――風と影は、強くなった。
一緒に。




