↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/87

29 最後の衝突と、ソラの啓示



戦場は、瓦礫だけになっていた。


衝突の砂埃がゆっくりと散っていき、爆発の残響が空気の中へ消えていった。


影の名残をまだ引きずったまま、キアロコは意識を取り戻しはじめた。


彼を取り巻いていた影は薄れつつあった。だが身体は限界で、感覚は混乱と痛みに絡め取られていた。


立ち上がろうともがきながら、地面に倒れているソラを見た。


ひどい傷だった。


……それでも、息をしていた。


絶望に満ちたまま、キアロコは彼女のほうへ這っていった。サリコがそれを支えた。


影は完全に散り去っていた。まるでその力が、もう彼の手の中にはないかのように。


サリコが素早くソラの脇に着き、その様子を確かめはじめた。


だが目に見えて動揺していたキアロコは、まだ間に合うのかと問わずにいられなかった。


「ソラ! 行くな……行かないでくれ」


割れた声で、そう言った。


「まだ息はしてる。でも、これ以上傷つけないようにしないと」


彼を落ち着かせようとしながら、サリコが言った。


「今、無茶をしていいときじゃない」


キアロコは聞いていなかった。


その左目が、黒かった。


光ってはいなかった。何も映していなかった。井戸だった。まるでその奥に、まだ彼を放そうとしない何かが棲んでいるかのように。


「どけ」


完全には自分のものに聞こえない声で、そう言った。


「だめ、やめて、お願い」


驚いて、サリコが答えた。


「あの子は、あなたの妹でしょう……」


「全部うまくいく。……どけ」


サリコは思わず一歩下がった。


命令のせいではなかった。あの目のせいだった。



   *



まだ力に憑かれたまま、キアロコはソラへ手を伸ばした。


自分が何をしているのか、分かっていなかった。


その瞬間まで、自分にそれができるということすら、知らなかった。


ただ、手だけが動いた。彼の内側にある何か――彼よりも古い何かが、それを知っていたかのように。


影が指先から湧き出し、ゆっくりとソラの身体を覆っていった。


呼吸する黒い布のように、彼女を包み込んでいった。


サリコは凍りついた。


何が起きているのか、理解できなかった。


ただ影の下の少女と、あの目をしたキアロコが見えるだけで――ここで何かを言い間違えたら、何かが永遠に壊れてしまう、そんな気がしていた。


影が一度、脈打った。


二度。


ソラの身体の内側にある何かを、測っているかのように。


彼女が抱えている断片と、言葉を使わずに話しているかのように。


そして少しずつ、影が退きはじめた。


一気にではなかった。排水口へ下りていく水のように、ソラの足元から上へと引いていき、やがて宙の中へ完全に消えた。


発動したまま制御を失った風の光を宿していたソラの左目が、ゆっくりと消えていった。


閉じた。


そして、キアロコの知っているあの子の顔に戻った。


サリコがキアロコを見た。まだ、言葉が出なかった。


それからソラを見た。


普通だった。安定していた。静かに息をしていた。


そしてその瞬間、キアロコが膝から崩れ落ちた。


手が地面を打ち、その身体を支えた。


咳き込みはじめた。乾いた、深い咳だった。内側で何かが並び直しているかのように、胸を揺さぶる咳だった。


あの黒い井戸だった左目が、少しずつ元に戻りはじめた。澄んでいきながら――そこに棲んでいた影が、彼からも退いていくかのように。


「キアロコ……」


まだ近づく勇気を持てないまま、サリコが囁いた。


彼は答えなかった。


ただ息をしていた。うつむいたまま、地面を見つめて。


身体が震えていた。


自分が何をしたのか、分からなかった。どうやってやったのかも、分からなかった。


ただ、やったのだということだけが分かっていた。


そしてそれが、まだ名前をつけられない何かを、自分から奪ったのだということも。


二人はしばらく黙ったまま、ソラを見ていた。



   *



そのときだった。


彼女の指が、ゆっくりと動きはじめた。少しずつ、意識を取り戻していった。


ソラが、やっとのことで目を開けた。


疲れ果てた表情で、キアロコとサリコを見た。


だが口を開いたとき、それは彼女ではなかった。


声は確かに彼女の口から出ていた。だが、話していたのは別の何かだった。


もっと古い何か。


彼女が内側に抱えていて、彼女自身も、そこにあると知らなかった何か。


風の断片は、彼女が眠りへ完全に沈み込む前の、最後の意識の息を使って、言わねばならないことを言う方法を見つけた。


「『天界戦争』が……始まった……お前のせいだ……」


キアロコを見つめながら、弱々しくそう言った。


キアロコは彼女を見た。その言葉に戸惑いながら、それでもその容態を案じながら。


「ソラ……何を言ってるんだ。何があった。……お前は、誰だ」


ソラは――あるいは、彼女を通して話している何かは――その回線を開いたままにしようと闘っていた。


空を見上げ、それからもう一度、彼を見た。


その悲しみは、あの子のものではなかった。


その左目が、一瞬だけまた光った。風の光だった。


今にも消えようとする蝋燭の火のような、短い閃きだった。


「平和は……もう、ない……何もかも……壊れてしまった……戻さねばならない……すべてが崩れ落ちる前に……」


言葉が途切れた。


目の光が、揺れた。


「忘れるな……始まった戦争は……お前のせいだ」


それ以上を言う前に、光が完全に消えた。


ソラがもう一度目を閉じ、意識を手放した。


その言葉だけが、空気の中に残っていた。


キアロコひとりにではなく、これから来るすべてのものにのしかかる重さを抱えたまま。



   *



キアロコは動けずにいた。


今聞いたことを、頭の中で並べ直していた。


ソラの断片。『六天の契約』の謎。そして、始まったという戦争。


――すべてが、思っていたよりも深く繋がっていた。


苦しさが彼を喰っていた。だが同時に、急がなければならないという感覚が、彼を前へ押し出してもいた。


サリコは、横たわるソラの身体を悲しげに見つめていた。


小さく、何かを呟いた。言葉にならない何かを。


そして、痛みを声に滲ませて、言った。


「平和を取り戻すために何をしなきゃいけないんだとしても……私たちがやる。ここで全部が崩れるのを、黙って見てるわけにはいかない」


キアロコは、まだ衝撃の中にいながら、深く息を吸った。


そして決意をもって、サリコを見た。


「……ああ。このままにはしておけない」



   *



キアロコは、サリコの脇の地面に横たわるソラを見た。


傷ついていた。打ちのめされていた。その痕は、ひと目で分かるほどだった。


拳を握りしめた。


その痛みが、彼に自分自身を見下ろさせた。


そして気づいた。自分の傷に。


脚。腕。


かすり傷を負っていた頃と、同じようには塞がっていなかった。


もう一度、ソラを見た。


そして、思い出した。


『この世界は、通常の方法では君を殺せない。君も死ぬ。……だが、ほかの者たちのようにではない』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。