29 最後の衝突と、ソラの啓示
戦場は、瓦礫だけになっていた。
衝突の砂埃がゆっくりと散っていき、爆発の残響が空気の中へ消えていった。
影の名残をまだ引きずったまま、キアロコは意識を取り戻しはじめた。
彼を取り巻いていた影は薄れつつあった。だが身体は限界で、感覚は混乱と痛みに絡め取られていた。
立ち上がろうともがきながら、地面に倒れているソラを見た。
ひどい傷だった。
……それでも、息をしていた。
絶望に満ちたまま、キアロコは彼女のほうへ這っていった。サリコがそれを支えた。
影は完全に散り去っていた。まるでその力が、もう彼の手の中にはないかのように。
サリコが素早くソラの脇に着き、その様子を確かめはじめた。
だが目に見えて動揺していたキアロコは、まだ間に合うのかと問わずにいられなかった。
「ソラ! 行くな……行かないでくれ」
割れた声で、そう言った。
「まだ息はしてる。でも、これ以上傷つけないようにしないと」
彼を落ち着かせようとしながら、サリコが言った。
「今、無茶をしていいときじゃない」
キアロコは聞いていなかった。
その左目が、黒かった。
光ってはいなかった。何も映していなかった。井戸だった。まるでその奥に、まだ彼を放そうとしない何かが棲んでいるかのように。
「どけ」
完全には自分のものに聞こえない声で、そう言った。
「だめ、やめて、お願い」
驚いて、サリコが答えた。
「あの子は、あなたの妹でしょう……」
「全部うまくいく。……どけ」
サリコは思わず一歩下がった。
命令のせいではなかった。あの目のせいだった。
*
まだ力に憑かれたまま、キアロコはソラへ手を伸ばした。
自分が何をしているのか、分かっていなかった。
その瞬間まで、自分にそれができるということすら、知らなかった。
ただ、手だけが動いた。彼の内側にある何か――彼よりも古い何かが、それを知っていたかのように。
影が指先から湧き出し、ゆっくりとソラの身体を覆っていった。
呼吸する黒い布のように、彼女を包み込んでいった。
サリコは凍りついた。
何が起きているのか、理解できなかった。
ただ影の下の少女と、あの目をしたキアロコが見えるだけで――ここで何かを言い間違えたら、何かが永遠に壊れてしまう、そんな気がしていた。
影が一度、脈打った。
二度。
ソラの身体の内側にある何かを、測っているかのように。
彼女が抱えている断片と、言葉を使わずに話しているかのように。
そして少しずつ、影が退きはじめた。
一気にではなかった。排水口へ下りていく水のように、ソラの足元から上へと引いていき、やがて宙の中へ完全に消えた。
発動したまま制御を失った風の光を宿していたソラの左目が、ゆっくりと消えていった。
閉じた。
そして、キアロコの知っているあの子の顔に戻った。
サリコがキアロコを見た。まだ、言葉が出なかった。
それからソラを見た。
普通だった。安定していた。静かに息をしていた。
そしてその瞬間、キアロコが膝から崩れ落ちた。
手が地面を打ち、その身体を支えた。
咳き込みはじめた。乾いた、深い咳だった。内側で何かが並び直しているかのように、胸を揺さぶる咳だった。
あの黒い井戸だった左目が、少しずつ元に戻りはじめた。澄んでいきながら――そこに棲んでいた影が、彼からも退いていくかのように。
「キアロコ……」
まだ近づく勇気を持てないまま、サリコが囁いた。
彼は答えなかった。
ただ息をしていた。うつむいたまま、地面を見つめて。
身体が震えていた。
自分が何をしたのか、分からなかった。どうやってやったのかも、分からなかった。
ただ、やったのだということだけが分かっていた。
そしてそれが、まだ名前をつけられない何かを、自分から奪ったのだということも。
二人はしばらく黙ったまま、ソラを見ていた。
*
そのときだった。
彼女の指が、ゆっくりと動きはじめた。少しずつ、意識を取り戻していった。
ソラが、やっとのことで目を開けた。
疲れ果てた表情で、キアロコとサリコを見た。
だが口を開いたとき、それは彼女ではなかった。
声は確かに彼女の口から出ていた。だが、話していたのは別の何かだった。
もっと古い何か。
彼女が内側に抱えていて、彼女自身も、そこにあると知らなかった何か。
風の断片は、彼女が眠りへ完全に沈み込む前の、最後の意識の息を使って、言わねばならないことを言う方法を見つけた。
「『天界戦争』が……始まった……お前のせいだ……」
キアロコを見つめながら、弱々しくそう言った。
キアロコは彼女を見た。その言葉に戸惑いながら、それでもその容態を案じながら。
「ソラ……何を言ってるんだ。何があった。……お前は、誰だ」
ソラは――あるいは、彼女を通して話している何かは――その回線を開いたままにしようと闘っていた。
空を見上げ、それからもう一度、彼を見た。
その悲しみは、あの子のものではなかった。
その左目が、一瞬だけまた光った。風の光だった。
今にも消えようとする蝋燭の火のような、短い閃きだった。
「平和は……もう、ない……何もかも……壊れてしまった……戻さねばならない……すべてが崩れ落ちる前に……」
言葉が途切れた。
目の光が、揺れた。
「忘れるな……始まった戦争は……お前のせいだ」
それ以上を言う前に、光が完全に消えた。
ソラがもう一度目を閉じ、意識を手放した。
その言葉だけが、空気の中に残っていた。
キアロコひとりにではなく、これから来るすべてのものにのしかかる重さを抱えたまま。
*
キアロコは動けずにいた。
今聞いたことを、頭の中で並べ直していた。
ソラの断片。『六天の契約』の謎。そして、始まったという戦争。
――すべてが、思っていたよりも深く繋がっていた。
苦しさが彼を喰っていた。だが同時に、急がなければならないという感覚が、彼を前へ押し出してもいた。
サリコは、横たわるソラの身体を悲しげに見つめていた。
小さく、何かを呟いた。言葉にならない何かを。
そして、痛みを声に滲ませて、言った。
「平和を取り戻すために何をしなきゃいけないんだとしても……私たちがやる。ここで全部が崩れるのを、黙って見てるわけにはいかない」
キアロコは、まだ衝撃の中にいながら、深く息を吸った。
そして決意をもって、サリコを見た。
「……ああ。このままにはしておけない」
*
キアロコは、サリコの脇の地面に横たわるソラを見た。
傷ついていた。打ちのめされていた。その痕は、ひと目で分かるほどだった。
拳を握りしめた。
その痛みが、彼に自分自身を見下ろさせた。
そして気づいた。自分の傷に。
脚。腕。
かすり傷を負っていた頃と、同じようには塞がっていなかった。
もう一度、ソラを見た。
そして、思い出した。
『この世界は、通常の方法では君を殺せない。君も死ぬ。……だが、ほかの者たちのようにではない』




