28 憎しみと愛
開けた野の上で、空が突然に暗くなった。
土地を囲む木々が軋み、不自然な風の力に傾いでいった。
正面から向かい合ったまま、キアロコとソラは互いを見ていた。
その張りつめた空気は、刃のように場を切り裂いていた。
二人の力が、沈黙の中でぶつかり合っていた。世界が息を止めたかのように。
「なんでこんなことをする、ソラ」
揺るぎない、それでいて痛みを孕んだ声で、キアロコが訊いた。
「お前が俺を襲ってくるなんて、信じられない」
ソラは冷ややかに彼を見た。
その左目が、人のものではないエメラルドの光を放っていた。彼女を憑いている断片の刻印だった。
声は遠く、よそよそしく響いた。
「千年ぶりだ……お前に会うのは」
「この時間、俺たちが何をしてきたか分からないのか」
キアロコは目を細めた。
まわりの風が、野の獣のように荒れ狂うのを感じながら。
分かっていた。あれはソラではない。完全には。
「ソラ! 自分が誰なのか思い出せ! それはお前じゃない。断片だ。……耐えろ!」
ソラの目が、さらに強く閃いた。
その内側で、断片の力が咆哮していた。
「戦争を持ち込んだのはお前だ! すべてを解き放ったのはお前だろう!」
凄まじい風の奔流を放った。
木々が紙人形のように薙ぎ倒された。
キアロコはかろうじて躱し、地面を転がり、息を切らした。
一撃が腕をかすめていた。筋肉を貫く熱さが走った。
「そんなはずがない!」
息を整えながら、彼が言った。
「耐えろ、ソラ! こんなの、お前が望んだことじゃない!」
ソラは黙っていた。
そして何の前触れもなく、さらに強い奔流を放った。
今度は風がキアロコの胸をまともに打ち、後方へ吹き飛ばした。
膝から崩れ落ち、血を吐いた。
口の中が金属の味で満ちた。呼吸のたびに胸が焼けた。
*
そのまわりで、影が痛みに応えた。
暗く、深く、落ち着きなく湧き上がり、生きた潮のように広がって、二人を取り囲んだ。
それは彼の力だった……まだ、完全には御しきれていない力。
「やめろ……あの子を傷つけるな」
震えながら、そう囁いた。
内側の戦いが、彼を引き裂いていた。
影は一瞬ためらった。だが守ろうとする本能のほうが強かった。
そしてソラを取り囲み、脅威を排除しようとした。
「やめろ! 触るな! あの子は敵じゃない!」
立ち上がり、痛みに身体を揺らしながら、彼が叫んだ。
「俺の妹なんだ!」
ソラは風に乗せた拳と蹴りの連打で答えた。
キアロコはかろうじて躱すだけだった。影が割って入り、彼を守った。
そのうちの一本がソラの手首を掴み、近くのビルの壁へ叩きつけた。
衝突の音が、乾いた雷のように轟いた。
ソラが立ち上がった。その顔は、硬かった。
「お前には止められない、キアロコ」
断片が輝き、最後の叫びのようにその力を解き放った。
風の圧が増し、空気は呼吸すら困難になった。
影が狂った。
そしてキアロコを、完全に呑み込んだ。
*
「制御できない!」
その声は、もう完全には彼のものではなかった。
目が、黒く染まっていった。
影の触手が腕を這い上がり――彼に止める術のないまま、凶暴な一撃を放った。
ソラに反応する時間はなかった。
宙へ吹き飛び、ビルの高層部へ叩きつけられた。
その衝突の軋みが、判決のように響いた。
ゆっくりと身を起こした。
その目には涙があった。だが同時に、戸惑いもあった。
「どうして、わたしを攻撃するの」
キアロコは答えなかった。
影が彼を喰い尽くしていた。
操り人形のように動き、その打撃は荒く、制御を失い、闇に覆われた拳の嵐となってソラへ襲いかかった。
その拳が、風の防壁とぶつかり合った。
「こんなことが……したいわけじゃない!」
その声は虚ろに響いた。自分の内側で、迷子になったまま。
打ち合いが雷鳴のように轟いた。
足元の地面が裂けた。
まわりの景色すべてが、その力の下で崩れていくようだった。
ソラは躱していた。だがその身体が、限界を迎えはじめていた。
届く一撃ごとに、彼女は弱っていった。
休みのない戦いだった。
意志の戦争。感情の戦争。記憶の戦争。
*
遠くから、サリコの声が必死に響いた。
「やめて! 二人は家族でしょう!」
だがキアロコには聞こえなかった。
影が彼の内側で咆哮していた。解き放たれた獣のように。
ソラが風の防壁を張った。
それすらも、その力の前で砕けはじめていた。
混沌は完全だった。地面も、壁も、空気も……すべてが壊れていった。
そして嵐の只中で、二つの魂が闘っていた。
互いとだけではなく――永遠に自分を失わないために。
*
戦いが頂点に達した。
影に支配されたまま、キアロコは危険な強さで輝く黒いエネルギーの球を呼び出した。
球が膨らむにつれ、まわりの空気が歪んでいった。通り道にあるすべてを呑み込みながら。
ソラは嵐の怒りで風を集め、巨大な旋風を形づくり、それを彼へ放った。
「これはもう止まらない」
暗い、ほとんど人のものではない声で、キアロコが言った。
「そんなこと、許さない!」
集中に目を輝かせて、ソラが答えた。
二つの攻撃が宙で交差した。純粋な力と、元素の憤怒の激突だった。
影の球と風の旋風が衝突し、空を照らす巨大な爆発を生んだ。
衝撃波があたり一帯を揺るがした。
地面が激しく震え、空気は静電気で満たされ、足元の大地が割れはじめた。
遠くで、サリコは恐怖に打たれながらそれを見ていた。
この戦いが続けば、取り返しのつかないことが起きると分かっていた。
「やめて、二人は兄妹でしょう!」
ありったけの力で叫んだ。
だがその言葉は風に飲まれて消えた。
爆風がまわりのすべてを崩し、キアロコとソラを正反対の方向へ吹き飛ばした。
二人の力の激突は、地面に巨大な陥没を残した。
景色は、見る影もなくなっていた。
「キアロコ!」
落ちた場所から、ソラが叫んだ。傷を負いながらも立ち上がり、彼が落ちたほうを見つめて。
*
遠く、瓦礫の中から、キアロコがゆっくりと身を起こした。
影はまだ、暗い膜のようにその目を覆っていた。
だが初めて――その奥で、何かが揺らいだ。
「……俺は、何をした」
自分自身に、そう囁いた。
サリコが彼のほうへ走った。心臓が喉までせり上がっていた。
「キアロコ、お願い、目を覚まして!」
その声を聞いた瞬間、影の支配に亀裂が入った。
その目が、漆黒と本来の色のあいだで明滅した。
消えかけた蝋燭のように――あるいは、もう一度灯ろうとしている蝋燭のように。
どちらが勝つのかは、まだ分からなかった。




