2 影の導きと少女
数日後、キアロコはまたピザ屋の扉をくぐった。
見慣れた、どこか居心地のいい店。だがその日は静かすぎた。何かが噛み合っていないような静けさだった。
隅のほうから、いつもこのあたりをうろついている孤児の少女が、遠くから彼を見ていた。
(いつもここに来る。だが、一度も口をきかない。何を考えているんだ)
汚れた身なりのまま、少女はテーブルのあいだをうろつき、ショーケースのピザを見つめていた。
キアロコは音を立てずに近づいた。
「何か、食うか」
少女は空っぽの目で彼を見上げた。
「…………」
言葉は返ってこない。ただ、こくりと頷いた。
キアロコはピザを買い、テーブルに置いた。少女は彼の隣に座り、何も言わないまま、静かに食べはじめた。
少し気難しい店主が、あからさまに不機嫌な顔で近づいてきた。
「またてめえか! 出てけ!」
キアロコはすぐに立ち上がり、店主と少女のあいだに割って入った。声は静かで、それでいて揺るがなかった。
「放っておいてやれ。気になるなら、この子の分は俺が払う」
ポケットから金を取り出し、店主に渡す。少女がひどい目に遭わないように。
「頼みだ。もう、この子に手を出すな。これからこの子に必要なものは、全部俺が持つ」
店主は面食らった顔をしたが、それ以上は何も言わずに離れていった。
キアロコはテーブルに戻り、少女の隣に座った。
食べている少女を見ながら、キアロコは気づいた。
しゃべらないだけだ。この目は、見た目よりずっと多くを分かっている目だ。
その瞬間、彼はこの子とのあいだに何かのつながりを感じた。説明のつかない何かを。
ピザを食べ終えたころ、空気に嫌なものが混じった。
見られている。
少女に目をやると、様子が変わっていた。落ち着きをなくしている。彼には見えない何かを、この子は感じ取っている。
(この子は何かを知っている。だが、伝えられない。……何かが起きる)
そのとき、背の高い、明らかに堅気ではない男が店に入ってきた。
少女に向けられたその視線を、キアロコは見逃さなかった。
男は足早に近づき、少女の腕を掴もうとする。少女は反射的に身をよじり、後ずさった。
「行くぞ、お嬢ちゃん。時間だ」
冷たい声だった。
キアロコは即座に立ち上がった。だが動くより早く、男は少女の手首を掴み、扉のほうへ引きずっていった。
少女は抵抗した。それでも、力の差はあまりに明らかだった。
店主はキアロコを見た。怯えた目で。そして、何もしなかった。
「離せ!」
男は威圧するような目を向け、素早い動きでナイフを抜いた。
「分かってねえことに首を突っ込むな」
嘲るような笑みだった。
男から目を離さないまま、キアロコは自分の内側で何かが起き上がるのを感じた。
影が、暗い力を帯びて震える。
だが、抑えた。ここで自分を失うわけにはいかない。それだけは分かっていた。
すべては一瞬だった。
男は少女を連れて店を出ると、外に停めてあった黒い車に乗り込んだ。
キアロコは扉へ走った。だが、間に合わなかった。
彼は車を追って東京の街を駆けた。気配の影をたどり、少女との説明のつかないつながりを頼りに。
追跡の先にあったのは、古い区画だった。朽ちかけた建物が、かつての姿の影のようにそびえていた。
車は廃ビルの前で止まった。
少女が中へ引きずり込まれていく。キアロコがたどり着いたのは、その姿が建物の奥へ消えるのを見た、まさにその瞬間だった。
待っている時間はない。
暗い本能に突き動かされるまま、彼は入口へ足を向けた。
中は湿気と埃の匂いがした。照明が明滅している。
キアロコは影そのもののように進んだ。容赦なく。
足を速める。影の重みが背にのしかかっていた。
そして見つけた。小さな部屋の中央、数人の男に囲まれた少女を。
一人が、縄を手にしていた。
「止められるとでも思ったか? この子はここで終わりだ」
男の一人が、悪意のこもった笑みを浮かべた。
怒りで思考が濁った。キアロコは男たちへ飛び込んだ。
影が、黒い奔流となって彼を駆け抜ける。
だが、内側の何かがそれを押しとどめた。
制御を手放してはならない。
影は彼の意思に従い、身体のまわりでうねった。
一瞬だった。影は男たちを包み込み、触れることすらなく武器を奪い取っていく。
一人が銃を抜いた。撃つより早く、影がそれを弾き飛ばした。
キアロコは、床で震えている少女に歩み寄った。
「もう大丈夫だ」
声は、静かだった。
その手を取り、素早く建物の外へ連れ出す。男たちも、まだそこに残っていた闇も、あとに置き去りにして。
外に出ると、キアロコは足を止め、少女の無事を確かめた。
少女は、怯えながらも彼を見上げた。その目にあったのは感謝――そして、それだけではない何か。
「…………」
二人のあいだに、説明のつかないつながりが芽生えはじめていた。
疲れきって、頭の中は問いだらけだった。それでもキアロコは感じていた。
自分の中で、何かが変わったと。
少女の中でも、何かが。
影の中でも、何かが――
すべてが、形を持ちはじめていた。




