19 覚醒
翌日、キアロコは、まったく生まれ変わったような心地で目を覚ました。
痛みの痕跡はどこにもなかった。
三十日ものあいだ彼を昏睡に沈めていたあの傷は、初めから存在しなかったかのように消えていた。
病院のベッドの上で、ゆっくりと身を起こし、あたりを見回した。
久しぶりに、頭の中が晴れていた。
だが、その胸には……まだ問いが残っていた。
何をすべきかは、分かっていた。
一言も告げずに、病院を出た。
*
まっすぐ、あのビルへ向かった。
何ブロックも歩いた。走りもせず、屋根から屋根へ跳ぶこともせず、ただ歩きながら街を眺めていた。
長いあいだ壁の内側にいた人間が、それを必要としていたかのように。
朝は、美しかった。
人々がキアロコの脇を通り過ぎていく。笑っている者。煙草を吸っている者。家族で並んで歩いている者。
さらに三ブロック歩き、右へ曲がると、そこにビルがあった。
どこにでもいる人間と同じ落ち着きで中へ入り、勇作の待つ場所まで歩いていった。
重い扉の前で、深く息を吸い――
決然と、それを押し開けた。
*
勇作はすでに待っていた。彼がいつ来るのか、正確に知っていたかのように。
「そうだ、キアロコ」
静かな声だった。
「我々が知っているよりも、外にはずっと多くの生命がある。我々の生きるこの宇宙は、ほんの一片に過ぎない。真珠はいくつもの現実を繋いでいる。共に在る、世界そのものたちを」
そして続けた。
「そして君は……その結び目の一部なのだ」
キアロコは眉をひそめた。
言葉が、波のように打ち寄せてきた。
「なんで、そのどれもが俺に関係する。なんで俺なんだ」
「君が、ただの人間ではないからだ」
勇作は視線を逸らさずに答えた。
「君は異物だ。例外なのだ。君が内に宿している影は、ただの力ではない……古い力だ」
脇に立っていたサリコが、やわらかく口を挟んだ。
「ほかの保持者たちが持っているのは、断片なの。……少なくとも、今のところ私たちが知っているかぎりでは」
そして言った。
「でもあなたは……あなたは核なのよ。あなたの中にあるものは、私たちにもまだ完全には理解できない次元と、繋がっている」
キアロコは顔を手で拭った。
頭の中を、どうにか整理しようとしていた。
「……じゃあ、別の宇宙にも生命があるってことか。そしてこれは、まだ始まりだと」
「そうだ」
勇作が断じた。
「そして君の役割は、君が想像しているより重い。これから来るのは、次元の戦争だ、キアロコ。そして君は、その中心にいる」
キアロコが目を細めた。
怒りが、燃えはじめていた。
「……それで、俺を剣で貫いたのか」
勇作は目を逸らさなかった。
「あれはただの試練ではなかった」
そして続けた。
「君が本当にこの世界に属しているのか……それとも、それ以外の何かなのかを確かめる、唯一の方法だった。もしあそこで死んでいたなら、君は力を収めただけの器だったということだ。……だが君は生き延びた。君の身体は、この現実の規則を拒んだのだ」
「それは……俺が不死身だってことか」
恐れと怒りのあいだで、キアロコが訊いた。
「いや」
勇作が否定した。
「君は不死ではない。だがこの世界は、通常の方法では君を殺せない。君も死ぬ。……だが、ほかの者たちのようにではない。そしてそれが、すべてを変える」
重い沈黙が、室内を満たした。
一語ごとに、未知という深淵へ通じる扉が、また一枚開いていった。
だが、次に来たものは――さらに打ちのめすものだった。
「もうひとつ、知っておかねばならないことがある、キアロコ」
勇作が言った。
「いつか君は、ソラを置いていかねばならない」
そして続けた。
「君の力があの子を滅ぼしかねない……あるいはあの子は、君の近くにいたというだけで、この戦争で死ぬことになる」
キアロコが拳を握りしめた。
その影が、怒り狂う獣のように震えた。
「あの子を捨てたりしない」
「君が何を望むかの問題ではない」
勇作の声は厳しかった。
「避けられないかどうかの問題だ。君の影は生きた力であり、不安定なものだ。君が強くなればなるほど……制御は難しくなる。もしある日、君がそれを失ったとき……そばにソラがいたら?」
キアロコは目を落とし、頬の内側を噛んだ。
答えなかった。
「それにな」
勇作が付け加えた。
「この戦争に慈悲はない。あの子が君の傍らにい続ければ、誰かが必ず、君を苦しめるためにあの子を使おうとする。それは時間の問題でしかない」
キアロコの影が、繋がれた獣のように床いっぱいに広がった。
「……あの子に触れる奴がいたら、俺が滅ぼす」
勇作が、微かに笑った。
「そして、それこそが問題なのだ」
そして続けた。
「戦争は憎しみを喰らう。恐れを喰らう。……愛をも喰らう。君を強くするものはすべて、同時に君の弱点になる。そしてその時が来たら……君は選ばねばならない」
キアロコは、目に火を灯して彼を見た。だが声は低かった。
「……真実をどうも」
そして言った。
「じゃあ」
去ろうとする彼に、サリコが近づいた。
「ソラには、あなたは旅行に行ってるって言ってあるの」
そして続けた。
「三十日間、父の仕事を手伝いに行ってるって。あの子に会ったら、全部うまくいったって言ってあげて」
一日は、まだ始まったばかりだった。
そして、ただ普通の人生を生きたいだけの人間にとって――その報せは、言葉が重なるたびに、遠くへ、遠くへと離れていった。
*
勇作が、キアロコのところまで歩いてきた。
その左肩に手を置き、まっすぐ目を見た。
深く息を吸う。二人は視線を交わしたまま、動かなかった。
そして、かき集められるかぎりの静けさで、こう言った。
「我々にも、君が何者なのかは分からないのだ、キアロコ」
そして続けた。
「そしてそれは、私を不安にさせるというだけのことではない。……君自身の手で突き止めるしかない、ということだ」
キアロコは頷いた。
理解していた。
今は、あの子に真実を背負わせる時ではない。
ビルを出た。
空は、晴れていた。
風が強く吹いていた。世界そのものが、変化を予感しているかのように。
遠い街の騒音を引きずり、服の下まで入り込んでくる、美しい陽の熱を連れて。
一瞬だけ、目を閉じた。
これから来るものは、彼が知っていたすべてよりも大きい。
そして、もう引き返せなかった。




