17 影の痛み
翌日、キアロコは緊張と混乱を抱えたまま、会社へ向かって歩いていた。
何が起きるのか、分からなかった。
分かっていたのは、答えが必要だということだけだった。
自分が何者なのかを知ること。
あの男が、それ以上の何かを明かしてくれるのかを知ること。
頭の中は、問いでできた迷路だった。
最上階まで上がった。
すべてが静まり返っていた。
バルコニーに、背を向けた勇作がいた。空を見上げながら、電話で話していた。
キアロコが一歩、そちらへ踏み出した――
何の前触れもなく、勇作が振り返り、剣で彼を貫いた。
サリコが、ちょうどその瞬間に着いた。
そして、すべてを見た。
「お父さん!」
叫び、その場に立ち尽くした。
心臓が止まった。
自分の父が、キアロコを剣で貫いている。
その光景が、彼女を打ちのめした。
驚きと恐怖が、身体じゅうを支配した。
「何をしてるの!」
叫びながら、二人のほうへ駆け出した。
勇作は、眉ひとつ動かさなかった。
その表情は、厳しく。冷たかった。
「これは必要なことだ、サリコ」
一片の迷いもなかった。
「分かっておけ。この男に未来があるかどうかを決めるのは、あの力を完全に制御できるかどうかだ。自分自身の闇と向き合えなければならん。でなければ、これから来るものを生き延びられん」
「まだ子供じゃない!」
サリコが返した。目には涙が浮かんでいた。
「どうしてこんなことをするの!」
「お前には分かっていない」
勇作の声は硬かった。
「これを生き延びられないなら、この世界にあれの居場所はない。影の力は、代償なしに制御できるものではない。……『六天の契約』が本当かどうかを知るには、これしかないのだ」
そして、こう続けた。
「もし本当なら……危ういのはこの惑星だけではない。宇宙そのものだ」
サリコはキアロコの傍らに膝をついた。もう手遅れなのではないかと、怯えながら。
「キアロコ、お願い! 目を覚まして! 戦って! 負けないで!」
傷を負ったキアロコが、反応しはじめた。
その目が、昏い強さで光った。
影が彼を包み込み――
迫りくる危険に、応えていた。
感じていた痛みは、もう彼を止めなかった。
その力が、膨れ上がりはじめた。
そして、それとともに、昏いエネルギーの波が室内を覆い、サリコと勇作を後ろへ押しやった。
「……まだ、終わっちゃいない」
キアロコが呟いた。
これまでのどんな時よりも、深い声だった。
その影が、燃えていた。
サリコは、そこで理解した。
父は、必要だと信じたことをやったのだ。
だが目覚めたものは、もっと大きく、もっと荒々しく……もっと昏い何かだった。
「どうやって止めるの」
必死に訊いた。
勇作が、苦しげに身を起こした。表情はまだ厳しいままだった。
「止めるな」
そして続けた。
「自分の力と、向き合わせろ。そうして初めて、これから来るものに備えができているかどうかが分かる」
サリコは、キアロコの傍らに膝をついた。
その胸から血が流れていた。
深く、底の見えない傷だった。
呼吸は浅く、ほとんど無いに等しかった。
「キアロコ!」
絶望した声で叫んだ。
「お願い、持ちこたえて!」
勇作は腕を組み、重い目でそれを見ていた。
「影の力は……制御できるものではない」
そして言った。
「あれは、まだその時ではない。……あるいは、永遠にその時は来ないのかもしれん」
サリコはそれを聞かずに、応急処置室へ走った。
持てるかぎりのものをかき集めた。心臓が激しく打っていた。
あそこに置いておくわけにはいかない……あんなふうには……一人では。
「死なせるわけにはいかないのよ!」
戻りながら叫んだ。
「どうすればいいのか言って、お父さん! どうやって助けるの!」
娘の顔が涙で濡れているのを見て、勇作はゆっくりと近づいた。
「これは、お前が思っているより複雑なことだ」
そして続けた。
「あの力は、あれ自身を殺しかねない。そして制御できなければ、救いはない」
「そんなふうに諦めないで!」
サリコが奥歯を噛みしめて言った。
その瞬間、影が独りでに動きはじめた。
生きていた。
そして、まるで――彼を癒しているようだった。
サリコは、恐怖に打たれたまま見ていた。
闇がキアロコの傷を包み込み、内側から塞ごうとしているかのように動いていた。
キアロコが、ゆっくりと身を起こした。自分の胸に触れる。
まだ痛んだ。
だが、もう血は流れていなかった。
「……何が起きてる」
弱々しい声だった。
「これは、どういうことだ」
勇作が、翳った顔で答えた。
「分からん」
そして続けた。
「だが今起きたことは……尋常ではない。お前が宿している影は、私が想像していたよりも強大だ。そして今、お前は……どんな戦争よりも遥かに大きな何かの、一部になっている」
キアロコは一歩踏み出し、そして膝から崩れ落ちた。
無理が過ぎたのだ。
意識を失ったその身体は、まだあの昏いエネルギーで震えていた。
サリコが、そっとその身体を支えた。
勇作は、大きな窓の向こうの地平線を見た。
その目に、勝利の色はなかった。
あったのは、憂いだった。
「『天界戦争』は、もはや脅威ではない」
そして、こう続けた。
「秒読みだ」




