二十、
正道は、沈んだ気持ちのまま、祇園四条の駅のホームに居た。
風を巻いて京阪グリーンの車両がホームに入線してくる。
停車した車両の乗降口から降車客が捌けると、のろのろとした足取りで乗車した。
無理を言って元の予約の時間から替えてもらったピアノの音は、自分でも呆れるほど酷いものだった。
弾けば弾くほど取り繕うような音に自分で恥ずかしくなったが、結局、最後まで指は言うことを聞いてくれず、途中からは先生も何も言わなくなって、ただ気の済むように弾かせてくれたことが救いだった。
そんなレッスンを終えて、正道は出町柳に写真部の清家勇治を呼び出した。
──〝帰りを待ってます〟と一葉に宣言された自宅には、このまま真っ直ぐには帰り難かった。だから一葉が諦めて帰ってしまうまで、時間を潰そうと考えている。
幸い、清家はこの辺りの釜めし屋で洗いのアルバイトをしていて、正道が夕食を奢ってやるからと持ち掛けると、午後のシフトが明けたら合流すると出てきてくれることになった。
◆ ◆ ◇
それほど待たされることもなく清家が現れると、二人は小さな丼物の店に入った。
叡電沿線で高校生の財布に優しいこともあり、正道もたまに使う店だった。
正道は、一葉との一件のことは話すつもりはなかったはずだったが、結局、話していた。
──…いや、最初から話を訊いて欲しくて清家を読んだのかも知れない……。
「なるほど……」
正道から一通りを聞き終えた清家は、厚切りロースのかつ丼──やはり彼は一番高価なのを選んだのだった…──を掻き込む手を休めて、とても簡単に言った。
「──…そらオマエが悪いな」
「…………」
あっさりとそう断定されて、正道の方は言葉がない。
湯呑の番茶に口を付け一服してから、清家は言葉を続ける。
「考えてもみぃ。一葉ちゃん、そないな悪趣味なことするコか?」
正道も箸を止めた。
「だから、だろ……」 〝そう思ってなかったから〟こういう結果になったんだろう、と正道は清家を軽く睨む。
もちろんそれは軽く受け流された。正道は、清家のこういう所が羨ましい。
悔しくなった正道は訊いてみた。
「──それじゃオマエは、心霊写真とか言われて、信じるのか?」
答えはあっさり返ってきた。
「信じんで」
「…………」
正道は、清家のそのあまりにさばさばとした言い様に、それでも納得できかねるという表情を返す。
清家は、これも軽く受け流して淡々と言った。
「もともとそんなん、信じる方やしーな。…──京都の人間やで?俺」
正道の方には、もうそれ以上言葉がなかった。
そんな正道に清家は続ける。
「──…ほんまのとこ、俺が写真を信じるんか信じへんかは関係あらへんやろ?
一葉ちゃんにしてみればなんか事情があったんやろうし、説明したかったのとちゃうか?
それ話も聞こうとしいひんで拒絶するなんて、オマエが卑怯や」
「…………」
きっぱりとそう言われて言葉がなかった。
「俺は…、卑怯か……」
それでも何とかそう聞きただした正道に、清家は簡潔に答える。
「卑怯や」
断定だったことに、寧ろ正道は口許を綻ばせた。
何のことはない。
やっぱり俺は、こいつにこんなことを言って欲しくて、わざわざ呼んだんだ……。
そんなふうに納得をすると、正道は何だか自分の小ささが可笑しくなってきた。
──…こいつに言われるまでもなく、今日の俺は酷くて、卑怯だったな……。
すると、そんな正道の表情の変化を見て、清家はことさらに澄まし顔を作って言った。
「言うとくが、この件に関して俺は、徹頭徹尾、一葉ちゃんの味方や」
正道は、そんな清家に感謝をしているくせに、そうと素直な顔を向けることができない自分の小ささを自覚してもいる…──。
◆ ◆ ◇
正道は清家と一緒に出町柳の駅から叡電に乗った。
清家のおかげでだいぶ気が晴れていたが、そうと判るような表情をすぐに浮かべられないのを正道は自覚している。
──たぶんこれは、ずっと変わらないかも知れない……。
清家もそれは承知していて、たぶん明日になれば、ばつの悪い顔をした正道が一葉に謝っているだろうことを確信しているふうで、岩倉駅で降りた正道が無造作に手を上げて見送ると、小さく笑って右手の人差し指と中指を交差させて返してきた。
二人はそんな仲だった。
それから5~6分程を歩いて自宅に戻った正道は、明日一葉にどう切り出して謝ろうかと考えながら玄関先まで来たときに、門扉の脇に佇む人影に気付いた。
「新澤……ホントに、待ってたのか……」
まさか本当に帰るまで待っているとは思っていなかった正道は、些か間の抜けた感じに、表札のある門柱に後ろ手に身を預けていた一葉に声を掛けた。
一葉の方は、正道が気付くよりも先にもう正道に気付いていて、顔だけを向けてじっと正道を見ていたが、声を掛けられると門柱から身を起こし、正道の傍に近付いて来た。
「せんぱい……」
一葉は、正道の顔を見上げ、ちょっと硬くなった声で言う。
「──…あの千歌さんの写真……、
確かにせんぱいの気ぃ引きたいって気持ちがあって、うち、撮ってました。
そやさかい、そないなうちを好きになれんで、嫌悪するのんはしゃあないです…──」
そこでいったん言葉を切り、唇を噛んだ。
それから両のこぶしを握り、小さく息を吐く。
再び口を開いたとき彼女の言葉の端々には、少しだけいつもの一葉の響きが戻っていた。
「やけど、千歌のこと、うちが撮れてまうことは、ほんとのこっとす。
ちゃんと、見たってください。
ちゃんと見て、明日は公園に来たってください。
このまま見てくれへんかったら、千歌の三年間は、なんもなかったことになってまう……」
いつもの一葉の声音よりは抑揚の抑えられた声……。
いつもよりは淡々とした語調……。
それでも目は、真っ直ぐに正道に向いていた。
「おたのもうします!」
最後に一葉が、そう言って大きく頭を下げたときには、その一生懸命な物言いを聞くまでもなく、正道の答えは決まっている。
「わかった」
「…………」 一葉の頭が、ぴくりと動く。面を上げた彼女の口から、ちょっと怪訝な声が漏れた。「──…え?」
「とりあえず、写真は見ておく……」 正道は一葉と目が合うと、安心させてやるように彼女に言った。「──…カメラで」
「ほんとに……」
一葉は正道のその言葉に、ようやくホッと胸を撫で下ろしたふうに溜息を吐いて、少しの間を置いてから笑って言った。「──…よかった……」
泣いてるふうな笑顔だったが、その笑顔で正道もホッとしている。
「──見たら明日、連絡する」
本当はここで「ありがとう」と礼の言葉を添えて言えればよかったのだが、それにはどういう顔をすればいいのだろうと考えているうちに、タイミングを逸してしまった。




