十八、
一葉は、紀平正道の家の場所は知っていた。
千歌の最後のメッセージを撮ったあの児童公園への行きしなに、先に立って案内する千歌を追ったカメラの液晶画面の中で、彼女が指差した『紀平』の表札を見ている。
茶山駅から叡電に飛び乗り岩倉駅で降りて駆け出せば、そこから5分と掛からず紀平家の門扉の前に辿り着いた。
会って話せば理解してもらえる──、
ともかく会わなければ……‼
……と、走りに走って辿り着いた一葉を待っていたのは、正道の冷たい仕打ちだった。
◆ ◆ ◇
『紀平』の表札の前で一葉が呼吸を整えていると、玄関口から音がしてその扉が開いた。
一葉は、一瞬怯んでしまったが、それでも勇気を振り絞って面を上げ、目線を、顔を、そちらへと向ける。
扉の陰から姿を見せたのはやはり正道で、門扉の向こうから向けてきた目線と一葉のそれが合ったとき、ほんの一瞬だけ、彼は驚いたように目を瞬かせた。
「せんぱい……」
一葉は、決して少なくはない勇気を振り絞ってそう呼び掛けた。
だが正道は、その一葉から目線を逸らせた。
一葉のことを無視して背を向けると玄関の扉を閉め鍵を掛ける。
次に振り向いたときには、もう一葉の方を向くことなく、黙って門扉を開いて通りに出てきた。
「あの……」 語尾が震えるのを必死に堪えて、一葉は言い継ごうとする。
それを遮るように、正道が硬い声で言った。
「悪い。これから用事があるんだ」 言って一葉を無視するように門扉に向き直る。
明らかに負の感情が含まれたそのもの言いに、一葉は自分が居た堪れなくなった。
それは本当なら理不尽なことなのだったが、一葉はそれを自分の招いたことだと思い詰めていたから、何とか努力をする。
「あぁの……うちも、付いていってええですか? 途中まででも…──」
その一葉の精一杯の努力は、やはり報われることはなかった。
正道は一葉の方に目線を向けることなく門扉を閉め直しながら言った。
「──迷惑だな……」 にべもない正道の言葉。
「え……」 一葉の目線が定まらなくなる。
正道は、変に抑揚を抑えた声で言葉を重ねた。
「いまは、顔も見たくないんだ……」
〝いまは〟と、わざわざそう言葉にしたときの正道の表情だって一葉と同じくらい蒼白なものだったが、互いに真面に顔を見合せなかったことで一葉はそれに気付けていなかったろう。
「わかり……ました」
一葉は何か決心して、正道の背中に真っ直ぐに向いて言った。「──…せやったら、せんぱいが用事を済ませて帰ってくるの、待ちます」
正道の方は一葉の声音が少し戻ったように感じて立ち止りはしたが、振り返って彼女の表情を見なかったので、それが〝空元気〟なのに気付けなかった。
その空元気の声に正道は〝売り言葉に買い言葉〟のように反応してしまった。
「──今日は俺、夕飯も外食で済ませるつもりだから、晩くなるよ」
「構いまへん。うち、待つ」
即答で返してきた一葉に正道は、自分の態度に自己嫌悪を感じながらも、こう重ねて返した。
「ご勝手に……」
言い捨てた正道の背中に、一葉は宣言した。
「待ってます……! 話聞いてもらえるまで、待つさかい……」
それにはもう何も応えずに地下鉄の最寄り駅の方へと歩き出した正道は、背後で一葉が、決して少なくない努力をして涙を堪えていたのを知りはしない。
◆ ◆ ◇
真夏の午後の公園──つい一週間ほど前に千歌の最後のメッセージを撮ったその場所には人の姿は無く、木陰のベンチに座って溜息と共に俯いた。
──どこで間違えたんだろう……。
胸の中は、後悔で一杯だった。
自分と正道とのことは、もう元には戻らない気がする。
でも、千歌のことは諦めることは出来ない。
ポケットでスマホが震えた。
クラスメートの乃理子からのメッセージ──『ヒマ?』から始まる近況報告…──だった。
『会えへん?』
……思わずそう送っていた。乃理子はすぐに反応を返してきた。
『いまドコ?』
『岩倉』
乃理子も位置情報の共有アプリは使っていない。
『遠いなー 三条辺りに出て来れるかいな?』
……それはそうだ。乃理子の家は山科にある。
『かんにん、ここ動くことできひんねん いまの忘れて』
慌てて送信した撤回のメッセージを無視して、乃理子はすぐさま返信してきた。
『1時間かかんで? えいでんの駅でええんかいな?』
胸の中から何かが溢れそうに感じた。
ちょっとだけ考えてから、指を動かした。
『来てくれるん?』
『来て欲しいんやん?』
すぐに返ってくるメッセージがとても嬉しかった。
『うん』 ……──『地下鉄の国際会館の方がええ』
『わかった 待っとってや』
──…乃理子に聞いてもらおう。
誰かに話を聞いてもらうなら、乃理子がいい……。
そして、いまは誰かに話を聞いて欲しかった。




