十七、
『新澤……オマエ……なんだよ…、コレ…──』
一葉の鼓膜を、スマホから聴こえる正道の冷めた声音が打った。
その声音が、一葉に、紀平正道にもそういう声が在る、ということを気付かせた。
「え……」
咄嗟に何かを言おうとは思ったけれど、次の言葉を見つけることはできなかった。
喜んでもらえると思ってしたことだったのに……。
『──俺……、オマエがこんなことするヤツだって…、思わなかったよ……』
語尾の震えに、彼の遣る瀬なさが滲んでいるのを感じた。
一葉の、ほんの少し前まで逆上せてた頭から、サァッと血の気が引いていった……。
このときになってようやく一葉は、こんな形で一方的にメッセージを送られ、大切な思い出を他人に勝手に扱われた当人の気持ちに思い至った。
……冷静に考えれば、千歌との事情のわからない──しかも、説明されたとしても俄かには信じることが難しいだろう…──正道にとって、これはとても厚かましくて無神経なことに映ったろう。
頭から冷たい水を掛けられたような、そういう気持ちになった。
このとき、一葉の心は、もう半ば以上折れてしまっていた。
──自分のしたことは考えなしで、取り返しのつかないことだったのかも知れない……。
「せんぱい……」
それでも一葉は、何とか言い繕わなければ、と口を開いた。
自分のことなら、これでもう泣いて終わりにすればいい。でも……、それじゃ、千歌が浮かばれなくなってしまう──。
それは自分を頼ってくれた千歌を裏切ってしまったことになる。彼女の三年間を無かったことに……、彼女をもう一度〝殺してしまう〟ことになってしまう。
だから…──
『最低だよ…──』
でも……、その思いを言葉にするよりも前に…──
『──…、オマエ……』
正道の方から会話を断ち切られてしまった……。
◆ ◆ ◇
通話の切られたスマホを握った手が、ベッドの上に投げ出されるように落ちた。
先程までは快適に感じていたエアコンの風を、いまは肌寒く感じる。
どのくらいの時間が経ったのかわからなかったが、一葉は、頬を伝っている涙で自分が泣いてしまっていたのを知った。
「…………」
一葉は、ぐぃと涙を拭って立ち上がった。
いっそこのまま、ここからどこかに消えてしまいたいという思いが過ったが、それはほんのわずかのことだった。
──あたしが自分の殻に逃げ込むのはだめだ……。
そしたら、千歌はほんとうに何もできなくなって、
想いを伝えられずに消えてしまう……。
時計を見た。
午後はまだ半ばだ。
……まだ諦めちゃいけない。
そう思う一葉は、同時にこうも考えていて、一縷の望みも持っている。
正道が今回のことで自分に嫌悪感を抱いたのは仕方ない。
でも……、
──…あたしが千歌を撮れることは嘘なんかじゃなくて本当のことだ。
せんぱいの目の前で、一度でもあたしが千歌を撮ってみせれば……、
それできっと、わかってもらえる……。
最悪、自分と正道の関係は元には戻らないかも知れない……。
けれど、千歌の想いは伝えられるかも知れない。
ううん、ぜったい伝えなくちゃ……!
そう思うと一葉は、涼しい部屋の中から蒸し暑さの残る夏の京の午後へと飛び出した。
◆ ◆ ◇
千歌は、そんな一葉を、傍に居てずっと見ていた。
その少し前には、カメラの液晶画面でメッセージを再生する正道の傍らに座り、その様子も全部見ている──。
正直、〝義兄〟の正道がメッセージを見て、この様に反応するとは思いもよらなかった……。
それほど、正道にとって自分との〝思い出〟は大切な…──他人に簡単に入り込んで欲しくはないものだったのだ……。
このときに千歌は、それを嬉しいと思いつつも、正道がこれほど激しく反応したのはこれが一葉から手渡されたからなのだと、正しく理解してしまっていた。
──正道にとっては、自分との思い出を性質の悪い悪戯の道具に使われたと感じたことよりも、それを一葉にされたことがショックだったのだ……。
メッセージフォトを見て一葉に裏切られたと感じた正道は、常の彼らしくなく、傷付けられたと感じた想いをそのまま彼女にぶつけた。
それは、正道が一葉のことを気のおけぬ存在と思っていて、彼女がこのようなこと──自分の過去を調べて、それを気安く材料にすることをするわけがないと信じていたということの裏返しだ……。
──…そっか……。
もう私が余計なコトなんかしなくても、
お兄ちゃんの傍には、一葉ちゃんが現れてたんだ……。
そう思うと千歌は空虚になった自分を感じて、一葉とのことを想って少しだけ胸の中が温かくなって、その後は優しい気持ちになれて……それから大きく落胆をして後悔をすることになった。
悪気の無かったはずの自分の思い付きが、これほどまで正道を傷つけ、協力してくれた一葉まで悪役にしてしまって、二人の間に、取り返しのつかない亀裂を生じさせてしまうことになるなんて……。
玄関を飛び出した一葉を追って午後の陽射しの中に出た千歌は、いまはどうしていいかわからぬまま、ただ一葉の背を追うだけである…──。




