十六、
八月十五日──。
朝になって、一葉がカメラの電源を入れて部屋の中を映すと、液晶画面の中、朝の陽の光の射しこむ窓際に千歌の姿を見つけた。
おはよう、と一葉が言うと、千歌の口許もそう言ったように動いた。
その後、二人は頷き合うと笑顔になる。
一葉は小さな決心をし、ベッドを整えて支度を始めた──。
カメラとSDカードをスクールバッグに収めて一階に降り、キッチンの母の隣に立って朝食の準備を手伝う。それから家族四人で朝食を採った。
「かずねえ、今日は学校?」
テーブルに着いた一葉が制服姿なのに気付いた妹の二奈が、そう訊いてきた。
「うん」 ウインナソーセージにフォークを突き刺しながら一葉は応えた。「……写真部の活動日」
「うへぇ……。この暑いなか、ご苦労やんなー」
「暑なる前に帰ってくるさかい、……アイス、全部食べんといてや」
そんないつもと変わり映えのしない朝の食事と会話の後、家を出た。
バス通りの北大路通りに出て、夏休みの通学路を走る。
20分ほど走れば、加茂の川端に在る学校に着いた。
裏門の先で写真部の香理と北園に声を掛けられ、一葉は三人で一緒に裏門を潜って部室の在る部活棟に向かった。
◆ ◆ ◇
部室に入ると、室内では部員が数人ごとにグループで固まって、夏休みの間に撮ったそれぞれの写真を見せ合い、〝気付き〟のあった点を交換していた。
一葉は部屋に入ると、さっそく正道の姿を探して視線を巡らせる。
正道は奥のパーティションボードに張り付けたプリントを前に、清家と熱心に意見を交換していた。
ふと正道の視線がこちらを向いて、目が合うと片手を上げて挨拶をしてきた。正道の視線を追った清家も顔を向けてきて、笑いかけてくる。
一葉は二人にぺこりと頭を下げると、ボードの前に立つ二人の方へと歩いて行った。
「やぁ、一葉ちゃん」 先に口を開いてきたのは、やはり清家だった。
「──俺の方が先に着いたんで、コイツのこといままで借っとったんやけど、もう返さなあかんかいな?」
わざとらしくそう言って笑い、ご丁寧にウィンクまで寄越してきた。
一葉は、めんどくさいなー、と思いながら清家のことをとりあえず無視し、正道の方を向いた。
「せんぱい、いま、ちょいええですか?」
背中越しに、部室内の空気がちょっと変わったのを感じた。
でも一葉は、このときには構いはしないと思っている。
怪訝そうな正道の腕を引っ張っていくようにして廊下の隅まで連れて行った。
◆ ◆ ◇
そのときに部室にいた部員の目線を振り払いながら廊下に出た一葉は、正道を廊下南端の階段中二階まで引っ張て行くと、スクールバッグから取り出したカメラを手渡しながら言った。
「せんぱい、うちの撮った写真、これで見といてくれまへんか?」
そう言う一葉の真剣な眼差しに気圧されながらそれでも正道は、おかしなことを言うものだと思った。
「え? ……あ、ぃや、そりゃ構わないけど……。カード渡してくれれば、それで…──」
どのくらいの枚数があるのかわからないが、本体背面の小さな──3インチの──液晶画面で見るよりも、PCの大きな画面で見た方がいいに決まっている。
でも一葉は、一層真剣な声音で言い募ってきた。
「──…このカメラで見て欲しいんです。この画面じゃなきゃあかんのです」
「は、ぁ……」 正道はいよいよ怪訝になって彼女を見返す。
「……おたのもうします! カメラで見てくれたらわかる」
一方の一葉はそこまで言うと、その時の正道の表情の中にちょっとだけ何かを期待したふうな、そういうはにかんだものが浮かぶのを見て取って、そこで初めて自分で招いたこのシチュエーションにテンパってしまっていた。
構わないって、思っていたのに……。
一葉は、自分の決心なんて、ぜんぜん当てにならないのを痛感させられた。
後はもう、今さらながらこの後どんな表情をして清家たちの待つ部室に二人で戻ればいいのかわからなくなって、後退っていた。
「──うち、今日はもうこれで帰らないけんで失礼するけど、必ずこのカメラの画面で見とくれやっしゃ?」
「…ぉ、ぉぅ…──」
呆気に取られながらもそう応えた正道の表情に、このファイルがちゃんとカメラで見てもらえるのを確信した一葉だったが、階段の中二階を降りしなにもう一度振り返って、指差ししながらダメ押しを言う。
「カメラでですえ! いっぺんはぜったい、カメラで見とくれやっしゃ」
そうしたのは、明らかに照れ隠しだ……。
◆ ◆ ◇
一人戻ってきた正道に、清家が訊いた。
「なんやって?」
「いや……。写真、見ておいてくれって、カメラを手渡された」
正道は手に持ったコンデジを掲げてみせながら応える。
「は? カメラ……?」 そりゃ変わった告白だな、と清家は思ったがそれは口にはしなかった。代わりに無難なことを口にしてみる。「ようわからへんけど、何でカメラ?」
「俺だって知らないよ……、カメラのモニターで見てくれ、だと」
「なんやよそれ……」
メッセージをフォトファイルにしたのか…──。まぁ古典的なコだからなー、なんて清家は結論付けた。「──で、一葉ちゃんは?」
「用があるから帰るって」
「え⁉ 帰ってもうたん?」
正道の相づちの発音は「おお」と「ああ」の中間だった。
そんなさすがにきまり悪そうにする正道に、清家は半分苦笑を浮かべて顎にこぶしを充てながら言った。
「……こらアレかいな? お前をカメラで連れ出したまではよかったけど、その後、恥ずかしなってもうたか…──やっぱ可愛いやん」
実際、それが事実に一番近い答えだったわけだが、一方の当事者である正道の方がまた全然イケてない。
「何言ってる……」
そう言って有耶無耶にしようとする。
清家は、少し怒ったふうに溜息を吐いて正道を見遣った。
「お前ね……。一葉ちゃん、不服か?」
「…………」 正道は黙って、そのままだんまりを決め込むのかと清家が思ったとき、ようやく口を開いた。「──…なワケないだろ」
思いの外すんなりと言った正道に、肩を竦めるように清家は言った。
「そうか、なら安心した」
◆ ◆ ◇
一方一葉の方は、階段の中二階から逃げ出した後、真っ直ぐ茶山の家に飛ぶようにして帰っていた。
二階の自室に駆け上がって、制服のままベッドに俯けに倒れ込む。
すぐに部屋に籠った湿気と熱気にエアコンのリモコンに手が伸びた。
部屋の温度が徐々に下がっていくにつれ、一葉の頭も冷えてくる──。
一応、カメラと1枚目のカードは、せんぱいに手渡せた。
だから、最低限のお役は果たせている。
……でも、ちゃんとお役を果たしたというふうには思えなかった──。
──あのとき……あの瞬間に、せんぱいの浮かべた表情は……、
たしかにあたしが期待してたものだった…──。
だから……、
あのときあたしはドキドキしてしまって……、
コレは千歌のことのはずだったのに、千歌のことは、頭から離れて消えてしまっていた……。
千歌と話したいとカメラを探した一葉は、それがいま手元にないことに初めて思い至った。
──そか……。
千歌とはもう、最後の日まで、言葉を交わすことはできないんだ……。
溜息を吐いて枕に顔を埋めて、それ以上考えることを止める。
◆ ◆ ◇
寝てしまった一葉が次に目を覚ましたとき、窓から入る午後の陽もだいぶ傾いでいた。
部屋の中は、付けっ放しにしていたエアコンが快適な環境を維持している。
微かなスマホの着信音に一葉が気付くのに、一拍遅れた。
ノロノロと伸ばした手でスマホを引き寄せ、着信画面を覗き込む──。
【紀平正道】とあった……。
再び頭に血が昇るのを感じながら、一葉はベッドの上に半身を起こしてロックを解除する。
「──…はい! 新澤です!」
このときの一葉の頭の中にあったのは、中三になった千歌のメッセージに正道がどんなふうに驚いて喜んでくれただろうか、ということだった。
だから──、
『新澤……オマエ……なんだよ…、コレ…──』
スマホから聴こえてきた正道のその声音の剣呑な響きは想定外だった一葉は、次の言葉を見つけられなくなってしまった。
「え……」
混乱して言葉を継ぐことのできない一葉の耳に、正道の暗い声が言う。
『──俺……、オマエがこんなことするヤツだって…、思わなかったよ……』
その語尾が震えていたことで正道の憤りが伝わってきた。
一葉は、サァッと音を立てて血の気が引いていくのを感じた。気が遠くなる。
「せんぱい……」
なんとか絞り出すように呼びかけた一葉に、正道は取り付く島を与えなかった。
『最低だよ…、オマエ……』
そう言い残して、通話は切られた……。




