十三、
その一言は、完全に不意打ちだった…──。
『お兄ちゃんは、一葉ちゃんのこと、タイプなんじゃないかな……』
再生中のカメラの背面モニターの中の千歌は、さらりとそう言って、二人の間で何となく決まった〝録画終え〟の合図を送ってきた。ほどなく動画の再生も止まった。
あたしはいつも友達にするように、ことさら大げさに照れて、
〝ちゃうねん! ちゃうって~〟 とテンパって見せようかと思ったけれど……
気後れ気味な声音になったあたしの口は、こう言っていた。
「……せんぱい、うちのこと、そないなふうに見てくれてへんこと、わかるよ」
──〝紀平せんぱい〟は、あたしが構って構ってと纏わりついても気さくに接してくれるけれど、最後にはどこか一線を引かれてしまう…──。
……それがあたしとせんぱいとの限界なんだって、そういう気にさせられる。
そんな思いは胸に納めて、やり取りを次に進めるために、カメラを録画モードにして千歌を画面に収める。
画面の中の千歌は、つと視線を逸らせて何事かを言って〝録画終え〟の合図をした──。
その仕草は、どこから見ても中三生のそれだった。
『そんなことないと思うけどな。
んー…と……お兄ちゃん、モテるのに女の子とあんまり話さないでしょ?
だけど一葉ちゃんとは話すよね?
それに一葉ちゃんの前だと、ヘンにカッコつけようって意識してるの、私わかるよ?』
〝そうなの⁉〟 あたしはひょっとしたら、と思っていたことを千歌からも告げられて、胸を高鳴らせてしまう。
「…………」
それでもただ黙って千歌の様子を窺った自分に幻滅しながら、カメラを録画モードにして千歌に向ける。
そんなあたしの内心を、千歌はお見通しなのだろうか……。
慎重な面差しで、あたしに向けた小首を傾げてみせた。
『一葉ちゃん、自分のことになると、ぜんぜんがんばろうとしないんだね?』
……言われてしまった。
悔しかったけれど、千歌の言い様は真摯で、あたし自身ずっと自覚していたことだったので、怒ってみせることもできなかった。
……それでもあたしは、千歌の存在を知ったことで何となく理解したと思ったことを、ぶつけてみることはしたのだ。
「千歌は……せんぱいとは血は繋がってへんで、その……、
せんぱいに伝えたいことって……好き……って想いなんかな、って思うとってんけど…──、ちゃうの?」
千歌は、それには〝あー!〟と気付いたふうにすると、あたしに真っ直ぐに向いて微笑んで、はっきりと首を横に振ってみせた。
それでもあたしは、訊いていて──、
「せんぱいのこと……好き、ちゃうん……?」
そう重ね訊くときに、探るような声音に聞こえないように努力したけれど、とてもそれは無理だった。
千歌はすぐには応えなかった。
返答を収めようと向けたカメラの液晶画面の中で、彼女はふと何かに気を取られて視線を動かしている。
あたしも、そちらの方を見た、
そこには三ツ辻の方から参道を上がってくるカップルの姿があって、手を繋いで仲睦まじい彼女らを見る(液晶の中の)千歌の表情に目を戻すと、柔らかに微笑む彼女の目は、不思議な色を湛えていた。
と、千歌がカメラに向き直り口を開いた。
『……好きだよ…──だって初恋の人だもの』
あまりに飾り気のない言葉でそう言った千歌に、あたしは息を呑んだ。
千歌は柔らかな微笑のままに言った。
『──…でも、伝えたいことはそれとは別……』
その一瞬、何かを思い切ったような表情になった。
けれど、次の瞬間にはお道化たふうにニッと笑って、人差し指で自分を指しながらこう言って、〝録画終え〟の合図をした。
『私はお兄ちゃんに、〝喝〟を入れないといけないのです』
「──喝……?」
あたしは小首を傾げ、訊いた。
千歌は肯くと、とっておきの話をするね、という感じになって続けた。
『お兄ちゃんは、いまの一葉ちゃんに似てるかなー。
何か、自分で答えを決めちゃって、そこから一歩も出ない感じ……』
いきなり〝一葉〟の名が出てきた。
話が繋がらなくて、やっぱり怪訝に千歌を見る。
すると千歌は、話題を戻すように訊いてきた。
『お兄ちゃんね、昔はもっと自信家で、何でも自分が先頭に立ってグイグイ引っ張ってっちゃう感じだったんだよ?』
そのイメージは確かになかった。
いまの紀平せんぱいはハッキリと〝引いて見極めて動く〟タイプだから、あたしは目をぱちくりとして千歌を見る。
千歌は、あたしのそのリアクションに満足したふうに一つ頷いた。
それから、とても残念なことを言うように目を空に逸らして言った。
『私が死んだとき、お兄ちゃんは、変わっちゃったの……。
何だか、自分のためにがんばること、やめちゃったみたい』
──…‼
ハッとした。
〝自分のことになると、ぜんぜんがんばろうとしない……〟
──それで、似ているの……?
千歌は、すごく真剣な表情で、カメラ越しにあたしを向いて言った。
『──私、お兄ちゃんには自分のためにがんばってほしいんだ』
そう言って笑った彼女の表情は、あたしなんかよりずっと〝おとな〟に感じられて、あたしはた。
すると千歌は、ふと付け加えた。
『それから──、
一葉ちゃんも、私に遠慮することなんてないよ』
え……、となったあたしの視線に、千歌は悪戯っぽい笑顔になって言った。
『──…私、一葉ちゃんが私を応援してくれたように、一葉ちゃんのこと、応援するよ。
お似合いかどうかはともかく、お兄ちゃん、一葉ちゃんのことたぶん好きだよ、きっと……。
だからさ、一葉ちゃんも…──自分のために、がんばってみなよ』
そう言われてしまったから……。
あたしは、ひとり小さく頷いた。
◆ ◆ ◇
帰りの京阪電車の車中で、一葉はずっと、千歌に言われたことを考えていた。
『自分のことになると、ぜんぜんがんばろうとしないんだね?』
──それは自覚していることだった。
一葉には心の傷がある。
一葉は、中高一貫の現在の学校には繰り上げ合格での入学だった。
自分でいきたいと思って親にせがんで受験した学校だった。
当時の一葉の力量と努力では合格できるかどうか当落線上の挑戦だったが、それでも一葉は受験を望み、結果は一点差で不合格、というものだった
その結果には、一葉は自分なりに納得できていたと思っている。
やるだけやったのだし、がんばっている姿を両親をはじめみんなが喜んでくれるのが嬉しかった。
合格は出来なかったけど、それはそれとして納得できると思っていた。
…──けれど、実際は違っていた。
繰り上げ合格という結果は、一葉の心に棘を残した。
その心の棘は不合格の通知ではなく、その後の繰り上げ合格の連絡をもらったときの父の表情で…──正合格できなかったのは残念だったけど、がんばった結果だよ。なにも恥じることはないんだよ、というエクスキューズが綯交ぜになった表情で、それが辛くて、自分をとても惨めに感じたことだった。
こんななら繰り上げ合格なんてならなければよかったと思い、そして、そんなふうに思う自分に初めて気付いて、心の中では余計に落ち込んだ。
それでも喜んでくれた父と母のためにがんばろう、と自分の中の前向きな気持ちにすがるようにして一葉は志望校に入学したのだった。
…──だから……ほんとは、自分のことでがんばるのは嫌。
報われなかったときに、惨めすぎるから……。
それなら、誰かのためにがんばっている方が、カッコウがつく……。
──…サイテーだ……。あたし。
帰りの車中、頭の中をそんなふうな想いが駆け巡って、最後に千歌の言葉が耳に残った。
『一葉ちゃんも、自分のために、がんばってみなよ』
これって、千歌のためにしていることだけれど、自分のためにしていることでもあるのかしら。
これが終わったとき、これは自分のためにしたことだって、そう素直に先輩に伝えることができたら、そうしたら…──。
一葉は、自分のことを〝サイテー〟と思わなくてもよくなるだろうか、と思った。




