十二、
翌日──。
一葉は朝のうちから茶山の家を出て、いまは伏見のお稲荷さんの千本鳥居を歩いている。
──…千歌がリストに書き出した思い出の場所のうちのこの場所は、千歌と正道の両親が結婚する前から離婚するまでの間、ずっと毎年、家族揃ってここを詣でていたからだそうで、正道の父が事業を営んでいたかららしい。
初めて稲荷山に登ったのは次の年の小学校一年生のときで、そのとき迷子にならないように千歌の手をしっかりと握ってくれていたのが、義兄となった正道だったそうだ。
そんな話を聞かされていたので、一葉は、リストで最初に書き出されたこの場所を、最初の撮影場所に選んだ。
まだ観光客の出足がそれ程でもなく、午前中の光線の状態も良いこともあって、一葉は千歌をテンポよく液晶モニターの中に収めていく。
初夏を過ぎていよいよ夏の盛りに入ろうという季節の鮮烈な緑の輝きと、陽射しを受けて朱色に燃える鳥居とのコントラストを背景に、後ろ手にちょっと大人びた感じに澄まし顔の千歌が歩くのを一枚に収めた。
正午前の陽射しの中で、和風美人の千歌が一葉の通う──千歌も通うはずだった…──中等部の夏服姿で歩いているのは、撮影した自分が言うのもなんだけど、とても絵になっている(……と、思う)。
そんな会心の一枚をモニターで確認した一葉は、千歌と昨夜のうちに仲直りできていて、本当に良かったと思っている…──。
昨夜のあの後は、ちょっと二人の間がギクシャクとしたものになった。
……二人にとっての初めての仲違い、的なものだったかも知れない。
◆ ◆ ◇
一葉は、土曜日の放課後からの半日中を、ずっと千歌が見ていたことを告げられた。
つまり、それを知らずに、一葉は紀平正道と一緒に過ごしていたわけで……。
──…バスの中でチラチラと〝紀平せんぱい〟の横顔を盗み見てたのも、オムライスのときには思いっきり食べることに集中していたことも、写真云々のことでせんぱいから注意をされたことも、それを内心では嬉しく思っていたことも……諸々全部、お見通し、ということだと思った瞬間に、一葉の心はササクレタ……。
自分の知らないうちにこっそりと自分のことを見られていたなんて……、それは本当にアンフェアだと思った。
一方の千歌は、金曜の夜からソワソワとし始めた兄が気になっていた──それは一葉は初めて知った…──し、何か一葉の役に立てることもあるかも知れないと思ったわけだったのだが、あんまり一葉も兄も自然体だったのと、写真の云々のことで凹む彼女に対する兄の気遣いが予想の外だったことでちょっと動転してしまい…──言葉が過ぎたかも知れない、と、すぐさま謝った。
謝ったときには、千歌は──霊になって初めて…──〝恐怖〟を感じていた。
もし一葉がこのまま自分のことを嫌いになって、顔も見たくないと思って……、カメラを向けてくれることを、声を訊いてくれることを已めてしまったら…──。
それは、千歌にとって、もう一度〝死んでしまう〟ことと同じだった。
一葉の方も、実はそんな思いに囚われていたりした。
千歌は幽霊なんだから、こんなふうに他人 (この場合は自分)のことを、本人に知られずに何でも見知ることができるということに思い当たると、何だか納得いかなかった。
あたしは千歌のことを思っていろいろしてるのに、千歌はあたしのこと、そういうふうに観れるんだ……。それなら…──。
このまま彼女と関わるのはやめて、彼女を撮るのをやめてしまったら、どうだろう……。
意地悪さを自覚しながら、一葉はカメラの電源をOFFにしていた。
その時に、レンズが引き込まれる動作音を聴きながら思った。
──…またひとりぼっちになってしまうのかな……?
一葉は、自分がその立場になったとしたら、と考えてしまった。
ずっと誰とも話せない。
友達とおしゃべりもできないし、可笑しかったことも嬉しかったことも、誰とも分かち合えない……。
どんなだろう……。
想像しただけで怖ろしい、と思った。
そんなふうに思ったら、一葉の中で、〝あたしの中のあたし〟の声がした。
〝何かしてあげたいと手を差し出すなら最後まで面倒みる。
それが出来ないなら手は差し出しちゃダメ〟
そうだった……。
いまの千歌には自分しかいない……。
〝こちらの側〟の世界で、たった一人の友達になれる存在…──。
一葉はそう思い至ると、すぐさまデジカメの電源を入れ直し千歌の姿を探した。
──…もう居なくなっていたらどうしよう……。
そんなふうに焦った思いは杞憂で、泣きながら謝り続ける千歌をすぐに見つけると、一葉は自分の振る舞いが意地悪かったことを詫びて、それから千歌の謝罪を受け入れると告げた。
二人で泣きながら謝って、なんだか可笑しくなって泣き笑いになって、そうやって二人の初めての喧嘩は終わった。
◆ ◆ ◇
──そんな訳で……。
翌日の日曜日の午前中からカメラ片手で稲荷山を登る一葉は、他の人の目には映ることのない黒髪の美少女を撮っている。
気付けばかなりの枚数を撮りながら、もう四ツ辻の辺りまで登ってきていた。
朱色の鳥居のトンネルに差し込む陽光をアクセントに黒髪の少女は映えることこの上なく、千歌は黙っていれば間違いなく神秘的な雰囲気を漂わせる美少女で、撮る側の一葉も撮っていて飽きるということがなかった。
枚数を撮ったことで、二人の〝撮り方〟〝取られ方〟も進化している。
もともと一葉は、液晶モニターを見ないで感覚だけで被写体にレンズを向ける〝ノーファインダー〟で撮るスナップ撮影を得意としていたのだが、千歌はデジカメの液晶モニターの中にしか映らないので、そんな撮り方はできなかった。
だから基本に忠実に、先に背景にしたい景色を構図に収めてから、千歌に入ってもらっていたのだったが、撮影枚数を熟していくうちに一葉の意図を千歌が先回りしてくれるようになったのだった。
そんな訳で最初の日曜日も午後に入ろうかという頃には、一葉が〝ここに千歌が入って欲しい〟と思う景色にレンズを向けてシャッターを切れば、そこに千歌がポーズを取っている、となっていた。
だから撮影そのものは随分と楽になっていて、写真の撮影の合い間に動画を介しておしゃべりなんかも出来ていた。
いまも四ツ辻から人目を避けて脇道に入ったところに一葉は立ち、麓で買い求めておいたスポーツ飲料のペットボトルで水分を補給しながら、千歌とのおしゃべりに興じている。
──…カメラ片手に独り言ちている女子中生という姿は、さすがに他人様には見せられない。そろそろ人出も増えてきていた。
京市内の南西部を見渡しながら、案外といろんなことを話せた。
好みのアイドルグループのことや話題のスイーツのこと──幽霊はもちろんスイーツを口にはできないが匂いは楽しめて、それでお腹も満たせるのだそうだ…──、あとは趣味のことなんか。千歌がフルートを嗜むということも聞いた。
千歌には幽霊になったとはいえ三年間の記憶があり、けっして世間に疎いといわけではなかった。
それでもやっぱり話題は、二人がそれぞれ知っていて、互いに知らない紀平正道の話になっていく…──。
そうして、いきなり千歌の口からこんなことを言われた。
『お兄ちゃんは、一葉ちゃんのこと、タイプなんじゃないかな……』
それは、完全に不意打ちだった……。




