67話 本当の私
生物には感情があります。
それは怒りだったり、喜びだったり、悲しみだったり、楽しみだったり。
そんな感情の表層を、私たち精霊は感じ取ることができます。ですが、あくまで表層だけです。神様の言っていたように、その感情の具体的なことまでは分かりません。
感じ取った感情が怒りだったとして、それが誰に対して、どんな怒りなのかは分からないということです。
そしてこれらの感情は、生物の本質、魂からも読み取ることができます。読み取る方法は五感を使います。ですが、主に使うのは視覚と聴覚の二つです。
魂や感情が善に近ければ近いほど、魂の色は白く混じり気のない色に、そして感情が作り出す音は澄んだ綺麗な音を奏でます。逆に、魂や感情が悪に近ければ近いほど、魂の色は黒く荒んだ色に、そして音は濁り荒れた音を響かせます。
精霊が善意や悪意に敏感なのはこれらが理由です。誰も好んで荒んだ色や荒れた音を間近で聴きたいとは思わないでしょう?
ですから、精霊に好かれる生物は、総じて善よりの魂を持つ者となります。感情も判断要素の一つではあるのですが、常に穏やかな心を持ち続ける人間はいません。なので、基本的に精霊は魂の色で判断します。それはもちろん私とて例外ではありません。
だからこそ、私はあの少年、神様が唯斗と呼ぶ少年を見た時、言葉を失ってしまいました。
ーー彼の魂には色が無かった。
どの色にも染まっていない。白でも、黒でもない、無色。それが彼の持つ魂だったのです。
異質。本当に生物なのかを疑うほどに、彼は世界の枠から外れていました。……正直に言いましょう。私は怖かったのです。未知が。精霊としての力が通じない彼が。得体の知れないナニカが。
関わりたくないと思いました。あの心地よい音を奏でる神様の元へ帰りたいと思いました。……でも、私はそれをしなかった。神様との約束通り、私は一度彼に会うと決めたのです。
そして近づいた瞬間ーー
「っ!」
それは言葉では言い表せない感覚。不快ではなく、むしろ心地よさと安心感を与えてくれる。一番近いのは、今まで欠けていたピースを当てはめるような、そんな感覚でしょうか。
先ほどの不安が嘘だったかのように晴れ、自然と私の足は彼の元へと向かい始めました。
「ねぇ」
「……キミは?」
「私? 私は……」
……そっか。神様が言っていたのはこういうことだったんだ。
本来の“私”。それは、誰かに仕えるでもなく、誰かに縛られるでもなく。与えられた知識に縛られない自分。……それが本当の“私”。
「せいれい?」
「精霊? でも……」
うん。私は普通の精霊とは違う。でも、今この瞬間、精霊としての“私”が生まれたから。だから、ここからが精霊としての“私”の始まり。
「あなたは?」
「僕? 僕は唯斗」
「ユート?」
「唯斗だよ」
「ユート!」
「……もういいや」
「ユート、私もそれ欲しい!」
「それって……ああ、名前のこと? そうだね……ならリンっていうのはどう?」
「リン?」
「そう。キミの声は鈴みたいにリンとした音がしているから。だからリン」
「リン……リン!!」
「ふふっ。気に入ってくれて何よりだよ」
……リン。私はリン。せいれいの、リン。
「よろしくね! ユート!」
「うん、よろしく」
リンは、ユートを守るの!
「ふふっ。良かったわ。気が合ったみたいで」
私は二人が笑い合いながら楽しそうに話をしているのを見て、にやけ顔を止められないでいた。
「……」
「あら、あなたは嬉しくないのですか?」
隣に立つタケミカヅチにそう問いかける。だっていつものぶすぅっ、とした仏頂面をピクリとも動かしていなかったんだもの。
「……ふんっ」
あら、これは意外と喜んでいるわね。いつもの彼なら違うなら違うと言うはずだから。
「辛いのはこれからだ」
「ええ、そうでしょう。ですが、あの二人ならなんとか乗り越えてくれると思いますよ」
「……それはいつものか?」
「はい。勘です」
「お前の勘は予知と変わらんからタチが悪い」
「そんなことはありませんよ。あの子の修行が終わる期間を当てられませんでしたし」
「ちなみにズレはどれくらいだったんだ?」
「一日と二時間ですね」
「……化け物め」
「失礼なもの言いですね」
でも、今度の感は当たって欲しいものね。あの二人には幸せになって欲しいから。未来の二人もああやって笑い合っていたらどんなに嬉しいことか。
「それで、この後はどうするんだ?」
「唯斗には旅をしながら、あの人に魔術を教わってもらうことになるでしょう。神としての力を十分に使いこなせているとは言えませんから」
「……あいつか。よく了承したな」
「ええ。そこはちょっと、ですね」
「何をするのかしたのかは知らんが、ほどほどにな」
そんなに心配しなくても大丈夫よ。……私達にはなんの被害もないから。
「……なんとなくだが、俺の友人が絶望するのが目に浮かんだんだが」
「あら、あなたも良く勘が働くではありませんか。これであなたも化け物の仲間入りですね」
「それはお前だけの称号だ。勘が働いたからといって得られるものではない」
「では他に何が必要なのですか?」
「腹黒さだ」
「でしたら私は違いますね。お腹は白いですから」
そう言ってチラリ服の裾を捲り上げて見せると、タケミカヅチはハァー、っと砂を散らしそうなほどの大きな深いため息を吐いた。
「冗談ですよ」
「分かっている」
「でも、腹黒いというのは認めませんよ?」
「構わん。……お前が認めなくても周りは認めているからな」
「何か言いましたか?」
「なんでもない」
全く、失礼な神達ね。
私が勘でその失礼な神々の当たりをつけていると、タケミカヅチは何やらいつもに増して真剣そうな顔でポツリと零すように言った。
「……ツクヨミから聞いた」
「何をですか?」
「お前と、自由を愛していた男の話だ」
その瞬間、あの人との朧げな思い出が断片的に頭を駆け抜けた。どれも馬鹿みたいな思い出で……涙が出そうになる。
「お前はその男とあいつを重ねているのか?」
重ねている、ね。
「ない、とは言えません」
「別人だとしても?」
「ええ。別人だと分かっていても、心の何処かではあの人のことを考えてしまうのです」
「……そうか」
「止めはしないのですね」
「止める必要がないからな。今更感情に任せて暴走などしないだろう?」
「……ええ。悲しいことですが」
こうも長く生きていれば、自分の感情を抑えるのも慣れてしまった。……慣れとは怖いものね。
「だったら俺から言うことは何もない」
なんて素っ気なく言ってはいるけれど、おそらく心配してくれているんでしょうね。
「あの人は本当に馬鹿みたいに自由が好きで、なによりも自由を愛している人でした。そんな彼のことを、私は好ましく思っていたんでしょう。……いえ、好ましく想っていました」
「……」
「だから、あの人を救えなかった時は辛かったのです。……だから、今度こそ救うと決めたのです」
「今度は救えそうか? ……いや、愚問だったな」
「ええ。救いますよ。私自身力をつけましたし、それに……あなた達がいますから」
「……ふん」
タケミカヅチは鼻で笑うと、唯斗達が談話している様子を見てから体を反転させた。そして、数歩歩いたところでピタリと足を止めると、
「いつでも頼れ」
彼はそう言葉を残して去っていった。
「……ええ。頼りにしていますよ」
少し遅れて出た私の言葉はきちんと届いていたのでしょう。彼が小さく頷くのが見えたから。
私は唯斗たちに視線を戻し、これからしばらく会わなくなる唯斗の姿を目に焼き付ける。そして、両手を組んで小さく祈りを捧げた。
「どうか、二人が幸せに生きられますように」




