閑話 とある妖怪
俺は田中。名前はまだない。
とりあえず苗字さえあればこの世界やっていけるみたいだったから、まだ名前は考えていない。
まず始めに言っておこう。俺は妖怪小豆洗いだ。
……そうだな。昔ならまだしも、今じゃ化学がどうたらで俺ら妖怪の存在は空想上のものにされている。
そのことに特に不満があるわけじゃないが、少々寂しい気もする。
それでも俺は未だに人間達とは交流もあるし、案外他の奴らも人間社会に溶け込んでいる。まぁ、これも時代の流れってやつだ。
俺は今日も今日とて河川敷近くを陣取り、道行く人を見守りながら仕事の旗を掲げていた。
この旗も、俺が座っている木箱も、簡易木箱型机も俺のお手製だ。意外とよくできている、と思ってたんだが、上には上がいるもんだ。それに最近は木箱なんてほとんど使わないらしい。世の中は随分と変わった。
視線の先では、子供たちが声を上げて駆け回り、年寄りがほのぼのと会話を楽しんでいる。
今日も平和だったなぁ、とかぼんやり考えていると、見知った男の顔が視界に入った。
「ういっす。田中さん、今日もよろしく」
「ああ、吉田さん。いつも悪いね」
「いやいや、こっちの方こそ助かってるよ。田中さんに頼むと新品同然になるから、嫁さんも子供も喜ぶんだ。それに店に持っていくよりも断然安いし」
「そうかい? なら良かった。今後もご贔屓に頼むよ」
「もちろん」
今俺が営業しているのは靴洗いだ。幸い俺は種族的な関係で洗い物が得意でね。店は持ってないからこうして道端で細々とやっている。
一応洗えるものならなんでも洗うとは言っているんだが、案外と靴洗いの依頼が多い。昔は服を洗う依頼が多かったんだが、何やらセンタッキとかいうのが出来てからというものの、服を持ってくる客はいなくなってしまった。悲しいもんだ。
「あ、そういえば後藤のやつ来ました? この前言ってた」
「ああ、後藤さんね。来たよ。ありがとうね、お客さん呼んでもらって」
「いいっていいって。こんなに安くで綺麗にしてもらってちゃ申し訳ないからさ」
「そんなに安い? 一応これでも前に上げたんだけど」
「いや、絶対安いって。店で頼んだ時の半分以下じゃないか?」
もしかしてまた値が上がったのか? 十年ほど前に値上げしたばっかりなんだけどなぁ。
「……そうか。でもいいや。特にお金には困っていないし、この仕事も趣味みたいなものだからね」
俺は小豆さえ洗っていれば生きていける。なんてったって、俺は小豆洗いだからな。小豆さえ買えればそれでいいのさ。
「そりゃそうか。これだけじゃ生きていけないもんな。まぁ、田中さんがそう言うなら」
「でも、宣伝はしてくれると助かるよ」
「了解。近くの知り合いに声かけてみるよ」
「ありがとう」
「んじゃ、また飲みにでも行こう。奢るよ」
「ああ、その時はよろしく」
……全く。いい奴だな。いつの世にもああいう奴はいるから助かる。
そういえば、あの少年はどうしているだろうか。
唯一、人間で俺のことを妖怪だと知る奴だったんだが、最近は見てないな。引越しでもしたのか。
俺のことを妖怪だと知ってもなお、『友達になってほしい』なんて言うような奴だったから、よく覚えている。というか、友人の名前を忘れるほど俺はまだボケていない。
あいつはよくいろんな所に出かける奴だったから、すぐに靴を汚していた。それを俺がよく洗ってやったもんだ。タダでな。あんな子供から金を取るわけにもいくまい。
ちなみに、汚したままにしておくと母親に怒られるらしい。
まぁ、あの汚れは凄かったからな。普通に洗うのは結構しんどいだろう。
「……唯斗の奴、今頃どうしているやら」
元気に生きてりゃ、それでいいんだがな。
「唯斗……?」
おや、誰かに聞かれてたか。
ふと視線を上げれば、そこにはスーツ姿の若い女性が一人、驚いた表情でこちらを見ていた。
「いらっしゃい。靴洗いとかやってるよ。まぁ、それ以外でもいいが」
「どうも。それより、さっき唯斗って言ったかしら」
「ん、ああ。俺の友人でね。それがどうかしたか?」
「まさか……、あなた人じゃないの?」
うん? なぜバレた? 俺は妖怪だが、身体的には人間と変わりないはず。普通のそこらへんにいる三十代後半のおっさんにしか見えないはずだが。
「ん? お前さん、よく見れば唯斗に似てなくはないな」
「私は唯斗の姉よ」
おっと、これは意外な出会いがあったもんだ。
「なるほど、あいつの姉か。仕事の帰りか?」
「ええ。それで、さっきの質問の答えは?」
「ああ、俺が人間かってことか? 確かに俺は人間じゃないな」
「……そう」
どうしてそこで悲しそうな顔をするんだ? 俺が人間じゃないのがそんなに嫌か?
「ごめんなさい。唯斗の言っていたことを信じられなかったものだから」
「……ああ、そういうことか。そりゃ仕方ないとしか言いようがないな。ま、気にすることはないんじゃないか?」
「そんなこと! ッ!」
唯斗の姉の大声を聞いた周囲の人が一斉にこちらに目を向ける。……あんまり人の目が集まるのは好きじゃないんだよな。
「場所変えるか?」
「……ええ」
ここだと誰かに聞かれるし。
「……ここは?」
「俺らの集う店の一つだ」
「……」
……ああ、人間にはちょっと来づらかったか。
「別に違う場所でも構わんが」
「……いいえ。ここでいいわ」
「本当にいいのか?」
「ええ。いざとなったら……殺るから」
ッおおっと、なんだか寒気が。この嬢ちゃんに手を出すのはヤベェ気がする。
……いや、出さないけどな。
中に入ると、店主しかいなかった。まぁ、この時間帯に集まることはほとんどない。集まるのは日が落ち始めてからだ。その前に帰せば問題もないだろ。
「奥の部屋借りていいか?」
「……好きにしろ」
「どうも」
店主に確認をとって奥の部屋へと入る。普段は談話するのに使うスペースの一つだ。
対面する形でソファーに腰掛ける。茶を出したいところではあるが、あいにくこの部屋には置いてないんだよな。
「で、嬢ちゃんは唯斗の姉、でいいんだよな」
「ええ、そうよ」
「どうして俺が人間じゃないって分かったんだ?」
何か見分ける方法があるのならより一層気をつけないといけないからな。下手をすれば人前に出られなくなる。
「唯斗が前に言ってたのよ。何もないところを指差して、友達ができた、って。だったら他にもそういう友達がいるんじゃないかと思ったの。それに最近そういった存在がいるって知ったから」
「……なるほどな」
別に俺が妖怪だと見破られたわけじゃないようだ。ただの憶測らしい。
年甲斐もなくちょっと焦ってしまった。
「あなたは一体何者なの?」
「俺か? 俺は妖怪だ。小豆洗いっていうな」
「あの小豆洗い?」
「それがどの小豆洗いを指しているのか分からんが、俺は俺だ」
「……いえ、もっと老けた顔だと思っていたから」
……ああ、小豆洗いって禿げた爺のイメージがあるからな。
「俺はあんなに老け顔じゃねぇ」
「ええ、そうね。ごめんなさい」
「いや、謝る必要はないけど」
あれを描いた奴が悪い。一体どこの誰が描いて広めたのやら。
「で、話は逸れたがなんの話だったか」
「私があなた達みたいな存在のことを信じられなかったっていう話よ」
「ああ、そうだったな」
この手の話は最近じゃたまに聞く話だ。妖怪は存在なんていない。それが常識になってしまっているから起きる問題だ。現実的な解決策は無い。
「家族だから信じてあげたかった。そういう気持ちは分からないでもない。でも実際に信じてやるのは難しいだろう? 見てすらないんだから」
「でも実際にはあなた達みたいな存在はいた。だったら私が唯斗を信じられなかったという事実は変わらないのよ」
「ああ、変わらないな。だけどな、それに罪悪感を覚える必要はないと思うぞ。俺みたいな人間の姿をした妖怪は姿を見せられるが、そうじゃない奴らは姿を隠して生きている。見つかったらどうなるか分かったもんじゃないからな。そういう奴らは人への警戒心が人一倍強い。まさに命がけだ」
妖怪はなんらかの力を持つ。だから自衛はできないことはない。でもそれも多勢に無勢だ。圧倒的に数の多い人間に勝つことなんて不可能だ。だから、妖怪達は姿を隠すことに決めた。
「唯斗が人の姿をしていない妖怪を見つけたのかは分からないけどな。それをあんたら人間に紹介するというのは、その妖怪が死ぬ可能性が高まる行為なんだよ。仮にあいつが見つけていたとして、あいつはあんたらに紹介したと思うか?」
「……思わない、けど!」
「だったらそれでいいんだ。見てもいないものを信じると言ったって、それはうわべだけだ。あいつはそんな答えを望んじゃいない」
「……」
……うわぁ、ちょっときつく言い過ぎたか? 昔ならともかく、今は誰かを泣かせる趣味なんてないぞ。流石に泣かないよな? いや、泣かないでくれ、頼むから。
「……あなたの言うことは理解できるわ」
お、おう。
「でも、完全には納得できない。……でも少し気持ちが軽くなった。ありがとう」
「少しでも役に立てたのなら光栄だよ。まぁ、俺は神父じゃないから、今度は懺悔じゃなくて仕事の依頼で来てもらいたいもんだ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
唯斗のことも聞きたいしな。
「あ、そういえば唯斗の奴はどこにいるんだ? 引越しでもしたのか?」
「聞いてないの? 今、異世界にいるらしいわよ?」
……は?




