閑話 侍女の想い
フィリアが寝静まった後、その人物は行動を開始した。向かった先は、未だ執務室にいるであろうエルムス国国王の元だ。
扉をノックして名乗ると、中から「入れ」と威厳ある声が聞こえてきた。やはり賢王と呼ばれるだけあり、その人物は思わず身を引きそうになる。しかし、自分がここにいる理由を思い出し、その人物は恐る恐るその扉を押し開けた。
「珍しいな。お前がこんな時間に」
「……申し訳ありません、国王様。どうか、少しだけお時間をいただけませんか」
「まさか侍女を辞めたいとかではないだろうな。娘が悲しむぞ?」
「そのようなことはございません。ただ、その姫さまのことでご相談が」
「ふむ。……まぁそこに座れ」
その人物ーーフィリアお付きの侍女は、ウォルスに促されるままに近くのソファーに腰かけた。
侍女としては、一介の侍女ごときが拝謁を許可されただけでも恐れ多いというのに、ソファーに座らせて頂くというのは恐れ多いを通り越して、地面に頭を擦り付けたくなる思いだった。
だが、それを指示したのが国王であり、それを拒否することの方こそ無礼に当たる。それに、目の前の賢王と呼ばれた彼が、地面に頭を擦り付けたところで喜んだりしないだろう。……前国王なら話は別だが。
そのため、侍女は国王と対面する形で座った。「失礼します」と一声かけて。
「それで、フィリアがどうかしたか?」
「……率直に申し上げます。姫さまは無理をされているように思います。このままでは体が持ちません」
「……どうしてそう思った?」
ウォルスは怒るでもなく、呆れるでもなく、悲しむでもなく、ただただそう聞き返した。
「今までほとんど部屋に籠もり切りだった姫さまには、少し厳しすぎると思います」
「……暗殺者の動きがあったからな。無意味に外を歩かせるわけにはいかなかった」
「存じております。ですが、最近の姫さまは努力しすぎです。……あの少年がこの国を出てからは特に」
「ユートか」
「はい」
そう、侍女は言い切る。
対するウォルスは、目を瞑ったまま微動だにしない。何か深く考えているようだ。
侍女の願いはただ一つ。それは、姫さまの休息を増やしてもらうこと。
自分の言葉では姫さまは止まってくれない。なら、止めてくれる人に頼むしかなかった。
最も愛を注いでいる国王か王妃ならば、止めてくれる。そう信じて侍女はここにきたのだ。
しかし、侍女はウォルスの次の言葉は侍女にとって信じられないようなものだった。
「私は止めない。……おそらくエルミアも同じだろう」
「そ、そんな……」
どうして、なぜ、という困惑から、次第に怒りへと感情が変化していく。
「どうしてですか? 姫さまは頑張りすぎなのですよ?」
「大丈夫だ」
「どうしてそんなことが言えるのですか!? このままあの子が倒れてもいいのですか? それでもあなたはあの子の父親ですか!?」
しかし、言ってしまってからハッとなる。これは不敬どころの話ではない。最悪極刑も……。
だが、ウォルスは気にしてもいないように、
「落ち着きなさい」
「……も、申し訳ございまーー」
「頭を下げなくていい。少し落ち着きなさい」
「……はい」
侍女が落ち着くのを待つと、ウォルスは話し始めた。
「フィリアは今がとても楽しいんだそうだ。今まで部屋に閉じ込めていたせいだろうな。見るもの全てが、体験すること全てが、楽しくて仕方がないらしい」
「……」
「だから私達は娘をできるだけ自由にさせてやりたいのだ。今までの償いとしても、娘を縛り付けたくはない」
「……ですが、お身体が」
「それに関しては問題ない。娘には十分言い聞かせている」
「ですが、その姫さまが無理をなさってーー」
「もちろんそれだけではないぞ?」
「えっ……?」
「私も体調を見て休ませるようにしている。それに、無理をしているかどうかはエルミアに任せているのだ」
「王妃様にですか?」
「ああ。あいつの噂は知っているだろう?」
そう問われた侍女は、昔、王都中を騒がせた噂を思い出した。
王妃エルミア。
賢王と称されるウォルスの妻となったためにその名を聞くことは少なくなったが、以前はこう呼ばれていた。
看破のエルミア。
相手の声色、視線、表情などから、嘘偽りの全てを見抜くことができる。ただそれだけではありふれたとは言わずとも、まだ存在する技術だ。
しかし、エルミアはそれに加えて本人が意識していないことまでも見抜けるのだという。そんな眉唾物な噂が飛び交っていた時期があった。
「あの噂は本当だったのですか?」
「ああ。あいつは普段の動きや顔色、声のトーンなどの極々僅かな違いから、その人の様々なことを見抜くことができる。実際、自分でも気づかなかった私の体調の異変を、あいつは察知し事前に防いでいる」
「そんなことが……」
「だから安心しなさい。あの子が毎日エルミアの元を通っているのは、そういう意味もあるのだ」
「……はい」
良かった。と思うと同時に、無駄に騒ぎ立てていた自分のことが恥ずかしくなってきた。そして今までの数々の無礼な言動を思い出し、侍女の顔は青白く染まっていく。
「ど、どうしたのだ?」
「……た、大変申し訳ありませんでした。このような無礼を」
「なんだ、そんなことか。それなら問題はない。お前はフィリアのことを想って言ってくれたのだ。そのことに私が気分を害することなどない」
「ですが……」
「言われた私自身が構わないと言っているのだ。気にする必要はない」
「……はい。ありがとうございます」
「うむ。では、明日も頼むぞ。……今日みたいな輩がまた現れんとも限らんからな」
今日みたいな輩。十中八九あの貴族の嫡男のことだろう。
「……ご存知でしたか」
「当たり前だ。娘に手を出す愚か者を、私が逃すはずがないだろう」
まるで飢えた狩人が獲物を見つけた時のような笑みを浮かべるウォルスに、侍女は自分の顔が引きつるのを感じた。
あの嫡男がどうなったのか、侍女にそれを聞く勇気は持ち合わせていなかった。
「ありがとうございました。では、失礼致します」
「……ん? ああ。ではな」
なにやらブツブツと不穏な言葉を吐くウォルスに断りを入れ、侍女は執務室から退出した。
そして向かった先はーーフィリアの部屋だ。
軽くノックをするが、返事は聞こえてこない。しかし、侍女はそれに構わず部屋の扉をそっと押し開いた。
中に入りベットを確認すると、規則正しく上下する掛け布団があった。どうやらグッスリと眠れているらしい。
顔を確認すると、とても幸せそうな顔をして眠っていた。見ているだけでこちらまで幸せになりそうな寝顔だ。
暑い日や寒い日には顔をしかめていることがあるので対処が必要なのだが、今日は問題ないと侍女は判断した。
そしてふと視界に入った人型の何か。今までなら悲鳴の一つでも漏らしていたかもしれないが、流石にもう慣れてきていた。
「ご苦労様です。イッちゃんさん」
侍女がそう言って枕元に座る市松人形の頭を優しく撫でる。すると、市松人形はコクリと一度頷いた。
こうして、夜の間もこの市松人形がフィリアの護衛をしてくれている。ただ、朝早くフィリアがランニングに出かける時間だけは、同行を許可されていない。
というのも、朝早くから宙に浮いた市松人形を見て悲鳴をあげる人が続出してしまったのだ。その人達曰く、薄暗い中浮いているのは流石に怖い。ということで。
そのため、市松人形が出歩いていいのは明るい時間帯のみと制限されている。フィリアが言うには、本人はそれを聞いた時とても不満そうにしていたそうだ。
ただ、今だけはなんとなく市松人形の言っていることが分かった気がした。
「はい、お任せしますね」
侍女は部屋に出る際も音を立てないように気をつけて閉めると、フィリアの部屋を後にした。
明日も早朝から姫さまを起こす。それが侍女の最初の仕事で、一日の始まりだ。




