62話 帰還
なんて啖呵を切ったものの、ベルの姿をしたリバーっていう男、強いな。それでも、万全の状態の僕なら十中八九勝てる。神力を使えるのであれば、加護持ちだろうが、僕と同じ眷属だろうが負ける気はしない。
でも神力を使えない今、相手が神力を使うのであれば、なんの力もない子供が虎相手に木の棒で挑むようなもの。それを無謀と呼ばずしてなんと呼ぶ。
さらに不安な要素がもう一つある。僕が万全の状態にもかかわらず、手も足も出なかったあの黒い人型。あれは、ダンジョンに一つだけ存在する、いわばダンジョンの心臓を飲み込んだことによって、あのようになったみたいだ。
あの黒い人型は神力を使っていたけど、その力は下級神並み。下級とはいえ、神と同等の力を得ていた。これは加護や眷属で得られる力を優に超えている。
ダンジョンを創っているのはムトだ。ならあの力をリバーに貸すことも考えられる。そうなれば、万が一にも僕に勝ち目はない。
でも、この気持ちだけは押さえきれなかった。
許すことができなかった。
いや、もうすでに僕の心は暴走しかけていたんだろう。ムトが村人達をこの塔の中に閉じ込めたと知った時から、僕はムトを、ムト達を許せなかった。
あの組織の連中と、ムト達が重なって見えたから。
その組織は毎日のように人を誘拐しては人体実験をしていた。男も女も、少年も少女も、老人も赤ん坊も関係ない。攫って、実験と称する殺人を繰り返していた。
もちろんそんなことが行われているなんて、初めてその街を訪れた僕には知る由もなかった。加えて、後で知ったことだけど、その街の人たちは組織に脅されていたようで噂にすら出せなかったようだ。
組織のことを話せば、その人は殺される。実際、助けを求めた街の人がその数時間後に姿を消し、二度とその人を見かけることはなかったらしい。
僕がその事実を知ったのは、その街でとても気の合った青年が攫われて姿を消してからだった。彼には右も左も分からない僕に親切に案内をしてくれて、次の日にはこの街のとっておきの場所に連れて行ってくれる。そう約束して、彼は姿を消した。
もちろん探した。会って間もなかったけど、彼が約束を破るような人ではないことくらいすぐに分かっていた。だから何かあったんだと、そう思った。
街の人たちに聞き込みをして、僕の不安はさらに加速した。誰に聞いても、僕が人探しをしていると分かった瞬間、知らない、分からないと言って相手にされなかったんだ。
そして去り際に、ご愁傷様と顔でもの言われる。誰に聞いても似たような態度だった。
俺に関わるな! と、半狂乱になって騒ぐ人もいた。
そしてようやく気がついたんだ。この街の平和はうわべだけだったのだと。
でももう気がついた時には遅かった。僕が気がついた時には、いや、僕が呑気に宿で寝ていた時には、もう彼は死んでいたのだから。
……組織の場所を見つけるのは簡単だった。僕が嗅ぎ回っていたのがばれて、すぐに僕を誘拐しようとしてきた。だからそれにわざと乗って、組織の実験施設に乗り込んだ。
僕の目の前で騒ぎ立てる組織の幹部達の様子は今も覚えている。あの手の連中は、どういうわけか僕の逆鱗に触れるような言葉ばかり並び立てる。あれは一種の才能かもしれないね。
結局僕が救えたのは一人の少女だけ。他の人たちはもうすでに殺された後だった。そしてその中には……彼も。
だからこの状況はあの時のことによく似ている。
捕らえられた村人達、そして殺されたベル。……僕はまた救えなかった。
今度は、僕はーー
「ダメだよ。ユート」
「ッ! ……リン?」
油断なんて全くしていなかった。常に気配を感じ取り、どんな攻撃に対しても一度は必ず避けられるように、神経を集中させていたはずだった。
でもリンには気がつけなかった。というか、今なお僕の肩に座るリンの気配が感じ取れない。流石、リンと言うべきか。
でもおかしいな。
リンの気配が未だにフードの中から感じるんだけど。
「……どこから現れた、羽虫」
「どこからだろうねー。ずっとここにいたのかもー」
「ふざけるな。私が羽虫ごときの気配を感じ取れないはずがないだろう。大方転移でもーー」
「いや、違うね」
リバーの推測を、ムトは切って捨てた。驚くリバーを他所に、ムトは真顔だった。先程までのあの笑みからは想像がつかない程に、真剣に現状を考察しているように見える。
「転移は空間のズレから予測できる。でもあの精霊が居る位置からズレは観測できなかった」
「では、いったい?」
「……そうだね、考えられるのは二つ。僕にすら転移の兆候を悟らせない程の転移の使い手か。それとも僕を欺くことができるほどの幻術の使い手か。……どちらかといえば後者かな?」
「なっ!?」
ムトの推測に、リンが不敵に笑って返した。
確かにリンの幻術は神をも欺くかもしれないと考えたことはある。でもまさか本当に神を、それも神の中で最も力を持つと言われた上級神を欺くことができるというの?
「そんなはずがありません! あの羽虫ごときがムト様の目を欺くなど、断じて有り得ません! 他に何者か、協力者がいるのではありませんか!?」
「それはないね。この塔と村全域は僕の感知範囲内だ。これだけの範囲に僕らを害するだけの力を持つものは存在しない」
「で、では、他に何かーー」
「僕が間違えているとでも?」
殺気。それも途轍もなく濃い。
なんの心得もない人間なら今ので心臓が止まってもおかしくないだろう。
「……い、いえ。大変失礼しました」
「それで、僕の推測は当たっているかな?」
再び穏やかに見える表情に戻ると、リンをそのブラックホールのように吸い込まれそうな、暗黒の瞳で捉えた。
対するリンは全く動じない。まるで有象無象に見られたところで動じない、とでも言うように、僕の肩に乗りながら両足をぷらぷらと揺らしている。
「うーん、どうだろうねー」
「貴様! ムト様に対してーー」
「黙れ」
「ッ!」
「……さて、ごめんね。さっきの質問は聞かなかったことにしといてくれる? そんなわざわざ自分の手を明かすはずがないのに、そんな馬鹿みたいな質問をした僕が悪いから」
「どうでもいいよー」
「ありがとう。それで、君は確かユートがこの世界に来た時にくっついてきた精霊だよね?」
「そうだよー」
「やっぱりそうか。いやー、まさかユートだけじゃなくて君みたいな面白い存在を見逃していたなんてね。一度じっくり話をしたいんだけど」
「嫌ー。リンはムトがキライー」
「どうして?」
「ユートをいじめるから」
「いじめてないよ。ちょっと挨拶をしただけさ」
神の価値観が人間と違うのはよく分かっているつもりだけど、ムトとは絶対に合わないな。これまでのが挨拶なんて……、趣味が悪いにもほどがある。
「君はユートのなんなんだい? 君達の態度を見るに、かなり親しいようだけど」
「ユートはリンの親友だよー」
「親友、ね。僕の嫌いな言葉の一つだ。……僕は今まで色んな生き物を殺してきた。もちろん人間もね。老若男女問わず、平等に、残酷に、無慈悲にね」
「……それでー?」
「その中には親友同士だと言っている奴もいたよ。でも、片方だけ助けてあげると言ったらどうしたと思う?
「……」
「決まってお互いを売り始めるんだ。アイツを殺してくれ、俺は助けてくれ、ってね」
「リンはユートを守る。……絶対に」
「さて、実際に自分の命の危機が訪れないと、人間は本心を出さないものだよ。あ、でも君は精霊だから人間とは違うか。でも、そっちのユートの方ならどうかな?」
「そんなことも天地がひっくり返ってもない。……仮にそうだったとしても、リンはユートを恨んだりしない。ユートが生きていられるなら、それでいい」
「ふーん。愛されてるね。ユートは」
僕もリンと同じ気持ちだ。でも、こんな状況でリンからそんなことを聞きたくはなかった。……思わず顔がにやけてしまいそうだ。
「にしても会話の通じる精霊はこれで二人目だ。あ、そうだ。君はどっちなのかな」
「なにがー?」
「自然発生なのか、それとも神の手によって創られたのか、だよ」
その言葉を聞いた瞬間、リンの両足がピタリと止まった。
神の手によって創られた? 精霊は自然に生まれるものじゃないの?
「リン?」
僕が声をかけても全く反応しない。まるで人形にでもなってしまったかのようだ。
「あれ、ユートは知らなかった?」
「……黙って」
「精霊はね、自然発生と、神の手によって創られたーー」
「黙って!!」
リンの鈴のような声に、焦りと悲しみの混ざったような声が混じる。俯いているリンの表情は見えないけど、長年一緒にいた僕には分かる。
きっとリンは今泣きそうな顔をしている。
「……もういい。ユート、こんな所からはもう出よう?」
今にも涙が出そうなのに、リンはそれを我慢しているように見えた。なんでそんな顔をするのか、いや、なにがリンをそうさせているのか分からないけど、こんな所でそんな事を聞くことなんてできない。
一度ゆっくりと話をしたいんだけど、
「ごめん、それはできない」
「……どうして?」
「この状況はあの時と同じなんだ。ベルの仇を討たないと」
「……そう、でも大丈夫だよ」
「えっ?」
「ベルは死んでないから」
ベルが、死んでない?
「そんなはずがあるか!! 私はゴミを確かに魔物の餌にした! この目でしっかりと確認もした!」
「ベル、もう声を出していいよ」
「……ようやくか。全く、あのクソ野郎俺のことをゴミゴミと、うっせえんだよ」
その声は、ベル?
僕の真横から聞こえたその声に反応して首を回せば、ベルがリバーを睨みつけながら立っていた。
そして僕の視線に気がついたのか、ニヤリと笑いながら僕のリンの座っていない肩に手を置き、
「よう、ユート。無事で何よりだぜ」
「……本物だよね?」
「ったりめえだ。分かんねぇなら、精霊様を信じとけ」
……そうだね。リンが大丈夫っていうなら大丈夫だ。
「なるほどね。やっぱり僕の推測は正しかったか」
「一体どういう……」
「君は幻術であれが死ぬ所を見せられたんだよ」
「そんな……」
「にしても凄いね。僕すらも欺く幻術なんて、一精霊が使えていいレベルじゃない。だとすると、やっぱり神が創った精霊か。ふふっ、本当に……面白い」
嫌っている精霊に騙されたのがショックだったのか呆然とするリバー。でも、そんなリバーのことなんてどうでもいいようで、ムトはニヤニヤと笑みを浮かべながらリンを観察していた。
「ユート、帰ろう?」
「でも他の人たちが」
「ああ、言ってなかったっけ? 他の連中なら死んだよ。だから君をここに呼んだのさ」
ムトは笑みを絶やすことなく、無造作にそう告げた。
……薄々そうじゃないかと思っていた。
三階層の時もそうだったから、きっともう生存者は残っていないのだと。
「ユート、精霊様の言う通りだ。帰るぜ」
「ベル、キミは……」
「俺はあのクソ野郎共を許せねぇ。みんなの仇を取ってやりてぇ。でも、俺にはその力がねぇんだ」
「……」
「この場で戦っても無駄死にだ。それはお前も同じなんじゃねぇか?」
「……分かった」
転移術はすでに準備してある。ムトの妨害がなければ転移できるけど、見逃してくれるかどうか。
「ムト様。ここは私が。これまでの失態を今ここで」
「いや、いいよ」
「ムト様!?」
「今回はこれで十分さ。顔合わせも済んだしね」
……見逃すっていうこと? 一体なにを考えているんだ?
「じゃあ、また会う時まで死なないでね? 僕の可愛い可愛いおもちゃたち」
その粘着するような視線を浴びて全身が粟だった僕は、反射的に転移の術を使っていた。
幸いムトの妨害はなかったから、僕らは再び本物の太陽の下に戻ることができた。視線の先で微笑んでいるハク達の姿が、戻ってきたという何よりの証拠だ。
でも、
僕は、
あのムトのおぞましい笑みが網膜に焼き付いて離れない。




