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63話 災厄の始まり

 唯斗達が姿を消し、先ほどまでの騒がしさが嘘だったかのようにシンッ、っと静まり返った部屋の中。苦虫でも噛み潰したような表情をした、ベルーー否。ベルの姿を完全に模したリバーが、ムトに片膝をつきながらムトに問いかけた。


「……ムト様、よろしかったのですか?」

「何が?」

「あの者達を見逃したことについてです。あのユートという者はともかく、あの羽虫とゴミを生かす理由がございません」

「…ああ」


 そんなことか、といったような声色でムトは相槌を打つ。事実、ムトはそんなことはどうでもよかった。今回利用したあの人間の子供ーーベルが死んでいようがいまいがどうでもいい。そんな者のことは頭の片隅にすら残っていなかった。


 そんなことよりも、


「君が羽虫羽虫と呼ぶあの精霊。あれも面白い」

「……あれがですか?」


 リバーにはムトの考えていることが微塵も分からなかった。リバーにとっては精霊は顔の周りを飛んでいる虫と同じ。誰が好んでそんなものを好むというのか。

 故にリバーはムトの真意を理解できない。しかし、主を慕うリバーとしては、それは何よりも耐え難いことだった。


「……申し訳ございません。どうかこの無知な私にお教え願いますでしょうか」

「ふーん。ま、いいけど。あの精霊が僕すらも欺くことができるっていうのは君も分かっているかな?」

「……はい。信じ難いことではございますが」

「そう。でも事実だ。ま、あの精霊がユートの肩に乗っているのに別の場所にその存在を感じていたんだから、その力が何なのかは誰だって分かる。ならなぜその力を誇示するような真似をしたのか。……それは僕らに釘をさすためだ。いつでもお前らを騙せる。そう言いたかったんだ」

「そんな……」

「だから僕もムキになっちゃってね。わざと間違った考えを出してから正しい答えを言うことで挑発してしまった。やるならやってみなってね。いやー、こんな歳なのに子供みたいな対応をして恥ずかしいよ」


 それを聞いたリバーは己を恥じた。確かに今思い返せばリンの気配がユートの肩ではなくフードの中にあった。しかし、自分は羽虫ごときに騙されるはずがないと思い込み、現実から目をそらしていた。

 対して己の敬愛する主人はどうだ? 冷静に現実を受け入れ、駆け引きまでやってみせた。


(……遠いですね)


 リバーは内心溜息を吐いた。任された仕事は失敗に終わり、敬愛する主の手を煩わせてしまった事実が自分を責め立てる。


「……大変申し訳ございませんでした」

「何が?」

「仕事は失敗し、さらにムト様にご迷惑まで……」

「何で? 君に下した命令はきちんとこなしたでしょ?」

「ですがあのユートという者の怒りの感情を引き出し損ねました」

「それはできればって言ったよね? 君はちゃんと今回の目的を果たしたよ」

「……寛大なお言葉。私には勿体のうございます」

「それに迷惑なんてかけられてないよ。むしろ良くやってくれたね」

「とおっしゃいますと?」


 自分は失敗しかしていないと思っているリバーにとって、良くやってくれたと言われるほどのことが全く思いつかなかった。


「君が怒ってくれたおかげで話を進めやすかった。これは立派な君の功績だよ」

「で、ですが私はそのようなつもりはーー」

「でもそれが事実だ。君のくだらない考えは関係ない。素直に受け取っといてよ」

「……はい」


 リバーはその場で深く項垂れる。そこまで言われた彼に後悔など微塵も残っておらず、その顔は喜びの感情で塗り潰されていた。


 ーーやはり敬愛する主は素晴らしい。


 それを改めて理解したリバーだった。


「にしても彼、ユートはやっぱり面白い。今までに会った生物の中で一番ね」

「ですがあれは半人半神という次元を超えています。ユートという者が司るものは脅威です。それを知るためにここまでした甲斐があったとは思いますが、あの力に対抗するとなると……」

「そうだね。……神はその司るものを無意識のうちに言動に出してしまう。ユートが何度か発した自由という言葉や行動から、自由を司っているのはまず間違い無いだろうね。本当に馬鹿げた力だよ。自由なんて本人次第なんだから、なんだって思い通りだ」



 自由。


 それは何者にも縛られず、己を突き通す力。

 自由という力を持つ者が白を黒だといえばそれは黒へと変わる。

 死にたく無いと思えば、死すらも拒絶する。


「もちろんその力が使えるのは神力があってこそだけど、そんなデメリットは無視できる程度のものだ。自由なんて力、いち人間やいち神が所有していいような力の度を超えている」

「同感です。私としましては、すぐにでも殺しておきたかったのですが……」

「ユートが自分の自由を他人に押し付けるような人間なら僕もそうしたさ。でも、彼は何かを殺すのにも戸惑っているような節があった。あれほど挑発した君にさえ、戸惑いを見せていたんだよ。……おそらく自由を司るが故に、死という不自由を押し付けることに躊躇したんじゃないかな」

「本当ですか! ですがそれなら」

「うん。ほっといても今の所は問題ないね。だから、あのユートに力を貸している神も監視だけにとどめているんだろうね」

「力を貸している神がいるのですか?」

「気づかなかった? 僕の創った兵器のブレスが当たる直前、ユートを守った力があったでしょ?」


 そう言われてリバーはようやく疑問が解けた。


「あれがその神の力だったのですか」

「そう。しかも周囲にその神の存在はなかったし、僕の知っている神の力ではなかった。となると、おそらくこの世界とは違う世界から干渉してきたんだろうね」

「そんなことが可能なのですか?」

「できるよ。ただし、僕クラスの神じゃないと無理だ。全く、厄介な相手が背後にいたもんだよ」

「ムト様と同等ですか!?」


 リバーは驚きのあまり声を張り上げた。


 邪神ムトといえば、この世界において一、二を争うほどの力を持つ神として有名だ。そんなムトが、自分と同じ力を持つ神が背後にいるといったのだ。リバーとしては、今すぐにでもユートから手を引きたい衝動に駆られた。

 自分の主が死んでしまうようなことがあれば。そう考えると、リバーは居ても立っても居られなくなった。


「ムト様、どうかユートという者から手をお引き願いませんか?」

「……なぜかな」

「あのユートという者は万が一にもムト様の敵になり得る者ではないと私は判断しました。しかし、その背後の神がムト様と同等というのであれば話は別でございます」

「リバー、それは僕が負けるとでも思っているのかな」

「可能性はゼロではないかと」


 不穏な空気が二人の間に流れる。片や相手を射殺さんような視線を放ち、片やそれに耐え頭を下げ続ける。

 しかしそんな時間も長くは続かず、ムトが折れることとなった。


「君が僕のことを心配してくれているのはよくわかっているよ。相手が悪いこともね」

「ッ、なら」

「でもダメだ。僕は邪神だからね。あんなに壊し甲斐のある半人半神を見たらやめることなんてできないよ」


 それが神の逃れられない宿命。己の司るものからは何があろうと避けることが許されない。もし避けようものなら、その時は……。


「……分かりました。なら、より一層私共を使ってください。あなた様の壁となりましょう」

「分かったよ。なら遠慮なく使わせてもらおうかな」


 敬愛する主の答えに、リバーは満足げに頭を垂れた。己の体、意識の全ては主のためにあるもの。戦いにおいて肉壁になることすら厭わない。


 全ては我が主のために。


「でも、あの子にはお仕置きが必要だね」

「あの子と申しますと……」

「フィリーのことさ。何やら僕の情報をユートに流したみたいだから」

「あの羽虫のことでございましたか。そういえば何やらコソコソと話しておりましたね。殺しますか?」

「いや、まだ使い道があるからそっちで使うよ」

「……承知しました」

「不満そうだね」

「はい。ムト様に逆らったのですから」

「フィリーは君みたいに僕のことを慕って従っているわけじゃないからね。むしろその逆だ」

「ムト様の偉大さが羽虫には分からないのでしょう」

「ほんと、君って精霊が嫌いだね。何かあったの?」

「私、虫が生理的に嫌いなのです」

「……あ、そう」


 ただ虫が嫌いなだけ。ただそれだけだった。

 精霊を虫と捉えているのも変な話だが、大した理由でもなかったため、つまらなそうにムトはリバーから視線を外した。


「リバー、君はユートたちの動向を探っておいて」

「はっ、承知しました」

「でもあの精霊には気をつけてね」

「あの精霊が神の使いである可能性があるため、ですね」

「いや、可能性がある、じゃなくて、神の使いだからだよ」

「確定なのですか」

「うん。でないとあの力の強さが証明できないからね」


 神を、それも最も強い力を持つ上級神を欺く力を持つなど、普通の精霊にはあり得ない。

 そもそも、精霊というのは会話も通じないような存在なのだ。だというのに、会話が成り立ち、上級神を前にして怯えず、駆け引きさえする始末だ。


 なら、その精霊とユートの背後にいる異世界の神を関連付けるのは必然だった。


「承知しました。では」


 そう言ってリバーはその場から姿を消した。


「……ハハッ。楽しい。楽しいなぁ」


 一人残ったムトは妖しい笑みを片手で隠しながら、誰に聞かせるでもなくそう呟いた。


「その顔が苦痛で歪むのを楽しみにしているよ。ユート」


 そしてリバーと同じようにムトもその場から姿を消した。それと同時に、先ほどまでの明るさとは打って変わって、青光石特有の青白い光が部屋中を満たした。


 その場にはもう誰も残っておらず、生命の反応すらない。


 ただ、玉座の上部に飾られた骸が、青光石の光によって怪しく輝いていた。

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