61話 怒り
「ベル、大丈夫?」
「ッ! ……ああ」
僕がベルの肩を叩いて、ようやくベルは現実へと戻ってきた。
「どうしたの? 何か考え込んでいたみたいだけど」
「いや、なんでもねぇ。あの精霊のことがちょっと気になってな」
それは僕も同感だ。
ムトの知り合いみたいだし、彼女が僕らを殺そうとしてきた以上、敵であることに間違いはなかったと思う。
でも、さっき彼女が僕らを殺そうと思えば殺せただろう。なのに僕らが死んでいないのは彼女の気まぐれか、それともムトの命令なのか。
それに願いを聞いてくれるというのもおかしい。敵対していたのに、なんで僕らに加担するような真似をするんだろう。本人はあの亀もどきに勝ったことを評価して、って言ってたけど、それが僕らを手助けする理由にはならない。わざわざ敵に塩を送る必要なんてないんだから。
彼女は……、
「あ、名前聞くの忘れてた」
「……おいおい、相手は敵だぜ? 名前なんてどうでもいいだろ」
「いや、名前を聞くのは重要だよ? なんて呼べばいいか分からないし」
「精霊は精霊でいいだろ? むしろ名前のある精霊の方が少ねぇだろうが。お前んとこの精霊が特別なんだよ」
確かに。リンは僕が名付けたからなぁ。会話が成り立つ精霊はほんの一握りみたいだし、知能の低い精霊達一人一人に名付ける人なんていないか。
「そうだね。リンは特別だから他の精霊はーー」
あれ、ちょっと待って。何か違和感が……。
「……ねぇ、ベル。よく精霊に名前がある方が少ないって知ってたね」
「ああ、昔爺ちゃんから聞いたことがあったんだ。爺ちゃんは名前を持つ精霊と出会ったことがあるらしいぜ? 」
「へぇ。是非とも詳しく聞きたいね」
「俺はほとんど知らねぇから、爺ちゃんから直接聞いてくれよ。ま、それも全部終わって帰ってからだけどな」
「なら早く終わらせようか」
「ああ」
そう言ってにこやかに笑うベルになんの違和感も感じない。……そう、ベル本人には。
内容も問題ない。ハクと一緒に馬車で移動していた時、そんな話を聞いたこともあった。
でも、明らかに一つおかしな点がある。
どうしてベルは、
精霊のことを精霊様と呼んでいないのだろうか。
「お、あったぞ!」
「良かった、壊れてないみたいだね」
「ああ、よく壊れなかったもんだ」
亀もどきを倒した時の威力を考えると扉が壊れていてもおかしくはなかったんだけど、意外にも扉は傷一つ付いていなかった。これも上級神のムトだからこそ成せる技なんだろう。
さらに嬉しいことに、オアシスの水が全部吹き飛んで無くなっていた。これで濡れることもないし、水を抜く手間も省けた。
「でもよ、これ、どうやって入んだ?」
ベルの疑問も最もだ。
扉は僕らの足元に埋まっている。つまり、この扉に入るためには扉の中に飛び降りないといけないわけだ。
「近づいたら開いたのは今まで通りだが、飛び込んでも平気なのか?」
「中が真っ暗でよく見えないなぁ。流石に即死はしないと思うけど……」
「またお前から入るか?」
「うん。最悪僕なら戻って来られると思うから」
「分かった」
念のため転移の術を準備しておく。魔術じゃすぐに発動はできないからね。
一言ベルに告げて、術を構築する。最近はずっと神術ばかり使っていたから、これほど魔術を使ったのは本当に久しぶりだ。
神術を覚えてからはずっとそっちばっかり使っていたからなぁ。だって便利だし、使いやすいし、発動が速いし、効果も高い。メリットしかないんだよね。
今までは僕が使える分の神力が枯渇することなんて修行の時以外はなかった。やっぱりあの人器を創ったのがまずかったかな。もっと他の方法を考えれば良かったかもしれない。
だからと言って創らなければ良かったとは思わないけど。
「っと、準備できたよ」
「おう、んじゃ、お前が入って少ししてから俺も入る」
ベルの言葉に頷いて返事をした後、真っ暗な世界へと一人で飛び込む。すると意外なことに、浮遊感はなく直ぐに地面に両足がついた。
「あれ?」
見覚えのある、青光石によって青白く照らされた場所に僕は立っていた。
「もしかして、階層と扉の先の空間は別物なのかな」
仕組みは違うだろうけど、扉をくぐれば指定された場所に転移すると考えた方が分かり易いかもしれない。
三十秒ほどしてベルもこっちに来ると、「またか」と呟いていた。
新しい階層よりもこんな綺麗な場所をしばらく見ていたい、と僕は思うけど、ベルは違うみたいだ。
少し進むと二階層と同様にやはり転移陣が用意されていた。
「あった。転移陣だね」
「確か次は五階層か」
「一体何階層まであるだろう」
「さあな、考えたくもねぇぜ」
僕はもう神力が使えない。次、命の危機にさらされ神力を使えば、僕の意識は強制的にあいつに変わってしまう。
でもまだ帰るわけにはいかない。
……僕だけ帰るわけには。
「じゃあ、僕が先に行ってーー」
「いや、俺も行く。まぁ、今迄からして大丈夫だろ」
「でも」
「大丈夫だって。それに、何かあってもお前が助けてくれんだろ?」
「……うん」
仕方ないか。
「なら行こうか」
「おう」
「「せーの!」」
二人同時に転移陣へと飛び込む。転移は一瞬だ。次の瞬間にはもう視界が切り替わっている。
今までがそうだったように、テレビのチャンネルを切り替えるが如く視界が変わる。そして僕は目を疑った。
……そこには玉座に座るムトの姿と、身体中から血を流すベルの姿があったから。
「やぁ、また会ったね。ご苦労様とでも言っておこうか」
「……ムト」
殺気は感じない。でも、ムトの上級神としての威圧感が絶え間なく僕を襲った。まるで初めて天照さんと出会った時のように。
この大部屋の中央に倒れ臥す血濡れのベルにチラリと視線を向ける。出血の量からすると、普通の人間ならとうに死んでいるだろう。まるで血の雨が降ったかのように地面に血だまりを作っていた。
僕はそれを見て、怒りのあまりムトに襲いかかーー
ることなく、直ぐにムトの行動を注視するように視線を固定した。
僕のその行動が意外だったのか、ムトはピクリと瞼を動かしながら、妖しい笑みを浮かべる。まるでその様は悪魔、いや、そんな生ぬるいものじゃない。邪神の名に恥じないその笑みは何にも例えることなんてできない。まさに、あれこそが……邪神。
「君の仲間が死んでるよ? 良いの?」
「……仲間じゃないからね」
「ふ、ふはははっ! 仲間じゃない? 君って結構ドライだったんだね。身知らずの人は助けるのに」
「確かに困っている人がいたら僕は助ける場合がある。それが全く知らない赤の他人だったとしてもね。ただ……」
「ただ?」
「僕が友達になりたいと思っていた相手に成り代るような奴は、……容赦しない」
すると、ムトはより一層笑みを深める。口が耳まで避けたかと思うほどに。そして、ケタケタと大声で笑い始めた。
「ハハハハハハハハッ! ……ハー、いつから気づいたんだい?」
「……気づいたのはここに来る前だよ。いつもはベルは精霊のことを精霊様と呼んでいた。なのに、さっきは様をつけていなかった。あの精霊はムトに加担していたから敬わなかったのかとも思ったけど、僕と一緒にいる精霊まで様をつけなかった。だから気づいたんだよ。それに思い返せば今までにも不可解な点があったし」
「そっかそっか。……だってさ、リバー」
それがベルに化けていた者の名前なんだろう。ムトに呼ばれたリバーであろう、血濡れのベルは、ゆっくりと立ち上がりムトの隣に控えた。
「申し訳ありません、ムト様。この罰は後ほど何なりと」
「いや、別に構わないよ。気づかれてしまったのも面白かったし」
「……申し訳ございません。あんな羽虫ごときに敬称を付けるのは私にはとても」
「相変わらずの精霊嫌いだね。君は」
どうやらリバーとやらは精霊が嫌いらしい。あの時黙っていたのもそのせいなのかな。いや、そんなことはどうでも良い。
それよりも、
「……本物のベルはどこ? ムトは手出ししないんじゃなかったの?」
「ムト様は何もしておりませんよ。ムト様はね」
「それで?」
「おやおや、そんなに怖い顔をしないでください。恐怖のあまり……、殺してしまいたくなりますから」
「ベルはどこ?」
「あなたの連れていた人間なら、私が殺しました。今頃魔物の餌でしょう」
「……そう」
「記憶を読み取ったらただのゴミですから。ですが、ゴミはゴミなりに役に立ちましたよ」
そうか。ベルは死んじゃったんだ。
焼肉を作るのが誰よりも上手くて。喧嘩しながらもハクととても仲が良くて。他人想いで。新しく妹みたいな存在ができてとても喜んでいた、あのベルが。
みんなが怪我をして苦しんでいるときに、誰よりも懸命に助けようとしていたあのベルが。
死んだ。
あいつが殺したんだ。
「……久しぶりだよ。こんなに潰してやりたいと思ったのは」
地球にいた頃にとある犯罪組織を潰そうと思った時以来だ。こんな気持ちになったのは。
「いいね。いい殺気だよ。リバー、相手をしてあげるんだ」
「承知しました」
ムトは手を出さないのか。
好都合だ。
「楽に死ねると思わないでよ?」




