60話 知性ありし精霊
「いやー、やってくれたね。ほんとに」
その苛立ったような声は、突如僕らの耳に入ってきた。
「せっかくムトからおもちゃをもらったのに、もう壊れちゃうなんて。今度はもっと丈夫なのを創ってもらおうかな」
気配はない。けれど、声ははっきりと聞こえた。ベルも周囲を見渡しているから、流石に幻聴ということはないはず。
「でもね、アンタも悪いのよ? アタイに素直に殺されていればよかったのにさ」
右かっ!?
耳元で囁くように声が聞こえ、咄嗟に離れるように飛び退く。するとそこには、リンと同じ背中から二対の羽を生やした、小さな少女が空に浮いていた。
「精霊……?」
それもリンと同じ知性を感じられる精霊だ。リンと違って肌や羽が薄黒いけど、精霊には違いない。会話のできる精霊はこれで二人目だ。
これまで旅をしてきたけど、会話のできる精霊はリンしかいなかった。だから、目の前の精霊と話をしてみたい。なんて思ったりもしたけど、それは無理っぽいかな。この精霊からは嫌な気配がするし、さっきの言い方からしてムトと親しいみたいだ。
それに僕を殺していれば、なんて耳元で囁かれたくらいだ。会話の対価が僕の命なんて真っ平御免だね。
「そう、精霊。頭が高いよ、人間。いや、アンタは半分神だっけ」
「それはムトから?」
「ムトが面白そうに話してくるのよ。よっぽど気に入られたんだろうね。ご愁傷様」
一応僕の気持ちは分かってくれるのか。
「ま、諦めたら? ムトは狙った獲物は絶対に逃がさないから、半神ごときのアンタにはどうすることもできないって」
「キミから止めるように言ったりは……」
「アタイになんのメリットがあるのさ」
だよね。
「でも、アタイのおもちゃに勝ったのは評価して、何か一つ願いを聞いてあげる」
願いを? 一体どういうつもりなんだろう。僕らを油断させるための罠か? けど嘘を言っているようには見えない。なら本当に願いを聞いてくれようとしている?
……どちらにせよ、今戦うのは避けたい。これ以上神力を使えば、僕の意識はあいつに塗り替わってしまう。
あいつならこの精霊には間違いなく勝てる。でも、ムトは別だ。あいつでも勝てるかは五分五分……、いや、ムトの方が有利か。神力の総量に差がありすぎる。
なら、今は隙を見ながら逃げるための術を構築するしかない、か。
もちろん気づかれるリスクもあるけど、何もしないまま戦いになるだけは避けたい。
会話を伸ばして時間を稼ごう。
「おもちゃって? まさかあの魔物のことじゃないよね」
「アンタバカなの? あれのどこが魔物なのさ」
目の前の精霊が指差す方を見る。けど、そこには倒れ伏した亀もどきの姿しかなかった。
「魔物でしょ?」
「あれは魔物じゃなくて、ムトに創らせた搭乗型の兵器よ」
兵器? あれが?
「でも鳴いてたし」
「あれは場を盛り上げるための演出よ。無言だったら魔物っぽくないし、緊張感に欠けるでしょ。そもそも血が出てないことになんで気がつかないの」
確かに、言われてみればそうだ。
あの鉄球で体を貫通させたはずなのに、一切血が出ていない。
……そうか。だから僕の【サーチ】に引っかからなかったのか。
魔術【サーチ】は、生きているものを探す術。だったら、生きていないあの亀もどきは【サーチ】で探知することはできない。
「もしかしてキミって精霊じゃないの?」
「は? どうしてそんな考えに至るのさ」
「だってキミからは気配を感じないから」
「それは気配を隠しているからに決まっているでしょ」
そういえばリンに聞いたことがある。精霊という種族は気配を消すのが上手い種族らしい。加えてリンは気配を作り出すことすらできるって自慢してきたっけ。
「その小さな脳みそでようやく理解できたのなら、願いを聞こうか」
キミの方が脳みそが小さいんじゃないかな。とは心に思っても口には出さなかった。
というのも、それを言ったら「その小さな脳に勝てないアンタはバカ」と言われるのが目に見えたから。
流石に僕も精霊にこれ以上バカにされると堪える。
……たとえ目の前の精霊が賢いのだと分かっていても。
「何がいい? もちろんアタイができると判断したことしかしてあげないけど」
「その前に、一つ聞いていい?」
「内容にもよるけど」
「どうして願いを聞いてくれるの?」
転移術の完成まで残り七割。と同時に、もう一つ目くらましの魔術を構築する。
術の構築を隠しながらだから、なかなかに難しい。
「単なる気まぐれさ。……まぁ、アタイもアンタのことが少し気になっているっていうのもあるけど」
「……もしかして惚れた?」
「ここで息の根を止めてやってもいいけど」
「ごめん」
全く、冗談が通じない。
「ま、いいや。願いは?」
あまり無茶なものは聞いてもらえないだろうし、逆に怒りを買って殺される可能性もある。
彼女のことを全く知らない以上、何が引き金になるかも分からない。だったら、無難な願いにしておくのが吉かな。
「ムトのことを教えてくれる?」
「……へぇ、もっと変な願いを言ってくると思ったけど、普通ね」
「かもね」
これでもう少し時間を稼げる。
それに、ムトの知り合いに話を聞けるんだ。ムトについて知る最大のチャンスを生かさないとね。
「面白みがないけど、いいや。ムトの何が知りたい?」
「ぜんーー」
「全部とか言わないでよ? 面倒だから」
かなり時間が稼げると思ったけど、やっぱり無理か。
けど、これに関しては僕も理解できる。僕も、もしニーナに「魔術の全てを教えて」なんて言われたら絶対に断る自信がある。
「なら、ムトが何を司っているのかについて教えて」
「……なるほど。アンタ、やっぱり面白いね」
目の前の精霊はニヤッと邪悪な笑みを浮かべる。
「ムトの弱点を知りたいなんてことを言ったら殺そうと思っていたけど、いいね。やっぱりそうでなくちゃ」
……危なかったッ。
そんな罠が待っているなんて聞いてないよ。
「もちろん、それは神について知っているから聞いてきたのよね?」
「うん」
神と戦う上で最も重要な要素。それは、相手が何を司っているのかを知ることだ。
基本的に、相手が何を司るのかを知れば、ある程度の予想がつく場合が多い。
ミルと戦った時は油断してたけど、豊穣を司るのであれば作物、つまり、植物を操る可能性があると推測できる。そして、それらの推測から弱点を探ることもできるというわけだ。
とは言っても、推測は推測。それに頼りすぎるのは問題だけどね。それでも、知らないよりは知っていた方がいい。
「……アンタはムトを倒せるの?」
どうしてそんなことを聞くの?
そう言おうと思ったけど、僕はそれを聞くことはできなかった。
だって、それを聞いてきた目の前の精霊は、先程までの邪悪な笑みを消し、真剣な表情で、そしてガーネットのようなその瞳は、何かにすがるように、助けを求めているかのように見えたから。
「……なんでもない。忘れて」
「え?」
「忘れて。さもないと殺すよ」
そう口では言うものの、全く殺気は感じない。先程までのピリピリとした空気もどこかに消え去ってしまったようだ。
「あー、調子狂うなー。……もういいや。帰る」
「帰る、って」
「言葉の意味通りだよ。なんか色々とやる気が失せちゃったよ。……あ、その前に」
「何?」
「アンタ、名前は?」
「……唯斗、ユートでもいいけど」
「ユートね。覚えておくよ。あとその魔術、全然隠せてないから」
うわっ、バレてた。
「バレてたのかって言う顔してるね。バカじゃないの」
さらに心まで読まれた。まるでリンみたいだ。
僕の反応が面白かったのか、彼女はくすりと笑い、姿を消した。
「……本当に帰ったのか」
気配が分からないからこの近くに居るのか分からない。けど、少なくとも僕らの命は助かったと考えていいかも知れない。
「あ、何を司っているのか聞いてない」
ま、仕方ないか。生きているだけ儲けもんだ。ムトのことは今度ミルにでも聞いてみよう。
……そういえばベルが空気になってた。
今まで全くの無言だったベルの元へ向かおうとした瞬間、僕にだけ聞き取れるような小さな声が聞こえてきた。
それはか細い虫の鳴くような小さな声だったけれど、確かに聞こえた。
僕の一番知りたかった情報。
ムトが何を司っているのかを。




