閑話 とある国のとある姫②
姫さまが誘拐される前。
私がその少年に出会う二時間ほど前のことです。
私はいつものように、執務室にいる姫さまの元へ紅茶を届けに行きました。
その大きめの扉はまるで姫さまのお父様、今となっては亡き前国王の背中のように見えます。
あの方はいつも優しく、そして偉大でした。民からの信頼も厚く、街にこっそりと出かけては、子供達を遊んであげていました。
その度に兵士たちが必死に街中を探し回ったのですが。
そんなあの方のことを娘の姫さまが嫌うはずもなく、私も姫さまも小さかった頃からよく遊んでもらっていました。
私は一番姫さまと年が近かったので、あの方は私のことも娘のように可愛がってくださいました。
ですが、私は一介のメイドにすぎません。身分が違うのです。
あの方は国王さま。そしてその娘の姫さま。
確かにあの頃は楽しかったです。ですが、私はどこかあの方達との間に壁を作っていました。
所詮私はメイド。あの方たちにお仕えする者。だから本当に心から親しくはなれないと。
それをあの方は見抜いていたのでしょう。
ある日、私と姫さまが遊んでいると、あの方は私にこう言いました。
『楽しいかい?』
『はい、もちろんです。国王さま』
『本当にそう思ってる?』
『……どうしてそうお思いになるのですか』
『ライラは僕たちが嫌いかい?』
『そんな、滅相もございません!』
『でも好きっていうわけでもないよね』
『……そのようなことは』
『嘘だね。こんな僕でも一応国王やってるからね。相手が嘘をついているかくらいはわかるんだよ』
『……』
『ライラは僕たちがどう見えているんだい?』
『どう、ですか?』
『うん。素直に思ったことを言ってくれていいよ』
『国王さまとお姫さまです』
『そう、ならリエナはライラのことをどう思ってる?』
『友達です!』
『っ!』
その時の姫さまはよく覚えています。少し悲しげな顔をしながら、私のことを友達だと言い切ったのです。
その時に思いました。姫さまは私のことを友達だと思っていたのに、私は姫さまのことを姫だとしか見ていなかったのだと。
『ライラ、キミは僕たちのことを国王だとか姫だと見ている。でも、僕にとっては娘同然だし、リエナもキミのことを友達だと思っている』
『……はい』
『無理をして仲良くしろとは言わないけれど、最初から僕たちの間に一線を引いてしまうんじゃなくて、少し考えてみてくれないかな。僕たちはもっと仲良くなれると思うんだ』
『……わかり、ました』
それから私の考えは一転しました。
国王さまや姫さまと仲良くなり、誰もいないところでは姫さまのことを名前で呼んだりもしました。
今でも姫さまは大切な私の友人です。
ですが、そんな幸せな時間も長くは続きませんでした。
先日、あの方、国王さまがお亡くなりになられたのです。
数ヶ月前から随分と体調が悪くなり、二週間ほどまえからずっと寝たきりになっていました。
もちろんお医者さまに見てもらいましたが、どうにもならず。
最後は眠るように息を引き取りました。
私は泣きました。姫さまとともに一日中泣き続けました。
こんなに泣いたことは人生で一度もありません。
そして涙を枯らして、あの方が私にとってこれほど大切な方だったのだと、改めて実感しました。
私ですらこれほど悲しかったのです。
なら、娘の姫さまはどれほど悲しかったのか。
私にはわかりません。いえ、理解など一生できないでしょう。
そんな姫さまは泣き腫らした翌日に女王になる手続きを済ませ、今も執務に励んでおります。
あの方が毎日こなされた仕事以上に働いているのです。
私はそれが心配でなりません。
姫さまはもっと泣きたいはずなのです。あの一日で悲しみがなくなるはずがありませんから。
ですが、国王様が亡くなっても民が居ります。王がいなければ、この国は形を成しません。
泣いている時間は姫さまにはないのです。
私が執務室を軽くノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえてきました。どこか元気のない、疲れたようなお声です。
「失礼します。姫さま、紅茶をお持ちしました」
「ありがとうございます。そこに置いておいてください」
姫さまはわたしに視線を向けることなく書類に目を通し続けています。
あの方がお亡くなりになってから姫さまは随分と変わってしまいました。
今までは私にヒマワリの花のような笑顔を見せてくださっていたのですが、最近は全く見ておりません。
思えば、あの方が寝たきりになってからずっとです。
「……姫さま」
「なんでしょうか。次の仕事が押しています。手短にお願いします」
私との会話も素っ気なく感じます。
「姫さま、そろそろお休みになってください。もうずっとお仕事をなさっているではありませんか。このままでは体を壊してしまいます」
「問題ありません。先程十分ほど仮眠をとりました」
このような生活を続けていては、いずれ必ず倒れてしまいます。
まだ今なら間に合います。
何とかして姫さまを休ませなくてはいけません。
「姫さま、どうかご自愛ください」
「十分休んでいます。ライラ、仕事の邪魔ですから出て行ってください」
「いいえ、このままでは姫さまが倒れてしまいます。どうか、お休みください」
「……ライラ、もう一度言います。出て行ってください」
「姫さま!」
「いい加減にしてください!!」
私は驚きのあまり後ずさってしまいました。
姫さまの怒るところなど一度も見たことがなかったのです。
いつも笑顔を見せてくださった。
そんな姫さまが私は大好きでした。
「私は女王です! 民の生活がかかっているのです! 私が休んでいる暇などないのですよ!!」
「……姫さま」
「私がやらなければ、多くの民が苦しんでしまいます。私がやらないと、いけないんです」
姫さまは泣きそうな顔をされながら、そうおっしゃいました。
その表情はいろいろなことを物語っていました。
民の命を背負う重み。父の亡くなったことによる悲しみ。突然女王になったことによる驚き。
姫さまはもういっぱいいっぱいなのでしょう。この数日ですでに精神が擦り切れていたのです。
それに気づけなかった私は馬鹿です。それに気がついて支えられなかった私は屑です。
姫さまはたった一人で頑張っていたというのに。
「ライ、ラ? なんで、泣いてるのですか?」
姫さまに声をかけられて、私の目から涙がこぼれているのがわかりました。
どおりで前がボヤけている訳です。姫さまのお姿がうまく見れません。
「姫さま、いえ、リエナ。ごめんなさい、気づいてあげられなくて」
「ライラ?」
「リエナは一人で頑張ってたのに、私は何もできなくて」
「そんなこと、ありません」
「ううん。私、分かってたはずなんだ。リエラが苦しんでるって。でも、一生懸命仕事をしているリエナを見て、また壁を作っちゃってた。リエラは姫さまだから、女王さまだから私にできることなんてないって。でも、違うの。私だって支えられたはずなの。だって私はリエラの友達だから」
「っ! ライラ!」
リエラが私に近づくと、そっと抱きしめてくれた。
温かい。でもリエラは細くて、力を入れると折れてしまいそうなくらい華奢で。
「ごめんなさい、ライラ。私、自分で何もかもしなきゃいけないと思っていたんです。自分が大勢の命を背負っていると考えると、本当に苦しかったんです」
「もう大丈夫。レオード様の背中は大きかったから大勢の命を背負えた。でも、リエラが一人で背負う必要はないんだよ。リエラが背負えない分は私が背負ってあげる」
「……ありがとう、ございます」
リエラはそう言っていつもの大輪の花のような笑顔を見せてくれた。
「リエラ、少し気分転換をしよう? レオード様みたいに街に下りてさ」
「……でも仕事が」
「あとで私も手伝うから。ね?」
「……そうですね。そうしましょう」
私はリエラの手を引いて執務室から出ると、リエラから手を離す。
「……では、姫さま。参りましょう」
「ふふっ。いつ見ても笑っちゃいます」
「そんなにおかしいですか?」
「素のライラとギャップが激しすぎます」
「ですが、人前であの話し方をするわけにはいきませんので」
「私は気にしないのですが」
「周囲が気にするのです」
それからは二人で笑い合いながら街へと繰り出しました。
いつもあの方がしていたようにこっそりと。
街へ出た姫さまはとても楽しそうでした。
屋台で買い食いしたり、カフェでケーキを食べながらおしゃべりをしたり、子供達と遊んだり。
最近の暗い表情はなく、本当に心から楽しんでいるようでした。
それを見て私も安心しました。
これからは私が姫さまを支えていこうと、そう思っていた矢先にそれは起きてしまいました。
私と姫さまが道を歩いていると、突然真っ黒の車が私たちの横に止まり、中から顔を隠した複数の黒服の男が出てきて、姫さまを誘拐したのです。
この国は犯罪の少ない国です。なので、完全に油断していました。
私はすぐに対処しようとしましたが、男の一人がポケットの中から拳銃を取り出すと、私に突きつけました。
「ライラ!!」
姫さまがとっさにその男を押したお陰で銃身が逸れたため、致命傷にはなりませんでした。
ですが足を撃たれ、姫さまを助けることができませんでした。
「姫さま!」
走り去る車に向かって姫さまを呼びますが、返事は聞こえません。
すぐに追いかけようと、無理をしてでも足を動かしましたが、私の思っているようには動きませんでした。
「私の、私のせいです! 私が姫さまを外にお連れしなければ、こんなことには!!」
そんな言葉が思わず口から溢れます。
悔しさのあまり涙で前が滲みますが、それでも私は動かない足を無理に動かして進みました。
そんな時です。
誰かに肩に手を叩かれました。
見れば私よりも年下の少年で、上下黒の服を着てフードをかぶっていました。
まさかとは思いましたが、私は少年がさっきの誘拐犯の仲間ではないかと疑いました。
「落ち着いて」
「……誰ですか」
「心配しないで、少なくともさっきのやつらの仲間ではないから」
私はそれを聞いて、今は少年が犯人か犯人でないか考えている場合ではないと気がつきました。
相手は車です。それにナンバーが外されていたので探すこともできません。
一刻も早く追いかけるしかないのです。
「お願いします! どうか、助けを呼んでください! 姫さまが、姫さまがさらわれてしまったのです!」
「わかったから、落ち着いて。その傷は深い。あまり無理をして動かすと二度と動かなくなってしまうかもしれないよ」
「私のことはどうでもいいのです! 一刻も早くこのことを衛兵たちに伝えてください! お願い、します……!」
そう必死に少年に頼み込みました。
すると少年は小さく溜息を吐きながら、
「【癒せ】」
「え、……痛みが消えた?」
何が起きているのか頭が理解できませんでした。
少年が何か言葉を呟いた瞬間、私の足の痛みが消えたのです。
見れば、血の跡はありますが傷がありません。
「じゃあ、ちょっと待ってて。その姫を連れてくるから」
「え?」
少年が何を言っているか理解できませんでした。
相手は車です。追いつけるわけがありません。
と、思っていたら、少年は車などよりも速くその場から走り去ってしまいました。
「一体、なんなのですか?」
私の質問に答えてくれる人は誰一人としていませんでした。




