八
商人は、グレーフェと名乗った。
四十前後の、よく日に焼けた男で、ベルクの訛りはあるが都の言葉を楽に話した。館の広間に通されると、まず壁の白い四角い跡に目をやり、それから何も見なかった顔で席についた。
目の利く男だ、と真壁は思った。
「四百」
グレーフェは、卿の言った数をそのまま繰り返した。
「千とお願いしたはずですが」
「森が出さぬ」と卿は言った。「出さぬものは売れん」
「閣下。失礼ながら、森は伐れば出ます。ベルクでは出しました」
「それで、ベルクの森はどうなった」
商人は答えなかった。代わりに、卿の隣に座っている真壁を見た。
「こちらが、アルデンの賢者どのですか」
「顧問です」
「うちの国の賢者どのは、炉を十二基建てましたよ」
「伺っています」
「あなたは、何を」
「いまは、森の取り決めを一つ」
グレーフェは笑った。嘲る笑いではなかった。値踏みを終えた笑いだった。
「では顧問どのに伺いましょう。四百俵では、荷車を仕立てる手間に合いません。六百俵ぶんの銀を、閣下は春までにどこから都合なさるので?」
卿の顎が硬くなった。負担金のことは、とうに調べてあるのだ。
真壁は帳面を開いた。昨夜、ユストと二人で作った頁だった。
「グレーフェさん。先に、こちらから伺ってもいいですか。ベルクでは、去年、炭をいくらで買いましたか」
「商売の中身は申せません」
「では、三年前と比べて、上がりましたか、下がりましたか」
商人は少し間を置いた。
「上がりました」
「来年は」
「……上がるでしょうな」
「炉の近くの森が減って、遠くから運ぶようになったから」
「よくご存じで」
「知りません。そちらの森が禿げはじめていると、聞いただけです。あとは勘定です」
真壁は帳面を商人のほうへ向けた。字は読めなくても、数は読める。
「千俵を出すことは、できます。今年は。かえりぎを全部伐れば、来年も、もしかすると出る。三年目には何も出ません。株が死ぬので。そのときあなたは、また別の森を探して、もっと遠くから、もっと高い炭を運ぶことになる」
「それは、こちらの心配することで」
「ええ。ですから、心配の要らない話をしに来ました」
頁をめくった。
「四百俵を、十二年。毎年、同じ月に、同じ量を。この森は十二に分けて順に伐るので、十三年目には最初の区画がまた伐れます。つまり、止まりません」
グレーフェは数字を見ていた。
「十二年で、四千八百」
「千俵を二年で二千。そのあとは無しです」
「値は」
卿が口を開きかけた。真壁は目で制した。打ち合わせどおりだった。
「値は、毎年、聖マルタンの日のあとに、その年のベルクの相場を見て決めます。ただし、下限を置きます。今年の値を下回らない」
「上がれば上がっただけ払え、下がっても下げるな、と。ずいぶん虫のいい」
「その代わり、十二年のあいだ、この森の炭をほかの買い手には売りません。あなたの炉は、炭の心配を一つ減らせる」
広間が静かになった。
グレーフェは椅子の背にもたれ、天井を見た。指が、膝の上で何かを数えていた。
やがて言った。
「うちの賢者どのが、いつもこぼしているんですよ」
「何をです」
「炉は建てられる。だが炉に食わせるものが、月ごとに来たり来なかったりする。鉄は作るより、作りつづけるほうが難しい、と」
彼は体を起こした。
「四百では足りません。ですが、当てにできる四百は、当てにできない千より、帳簿の上では値打ちがある。それは認めます」
卿が、ゆっくり息を吐いた。
「ただし」と商人は続けた。「条件が二つ。一つ。十二年のあいだに、閣下か、閣下の跡継ぎが気を変えて、森を丸ごとほかへ売らぬという証が欲しい。口約束では困ります」
「取り決めを文書にします」と真壁は言った。「村と卿のあいだのものが一通。卿とあなたのあいだのものが一通。後者には、前者を守ることを条件として書き入れます。卿が森を伐りすぎれば、あなたとの契約にも背いたことになる」
グレーフェの眉が上がった。
「村との決めごとを、私が見張る形になるわけだ」
「あなたの炭を守ることが、村の薪を守ることになります」
「……役人というのは、妙なことを考える」
「二つめは」
「前払いです」
今度は卿が眉を上げた。
「閣下は春に銀が要る。私は十二年、炭が要る。初年の四百俵ぶんと、二年目の半分を、この冬のうちに前渡ししましょう。その代わり、初めの三年は値を今年のままに据え置いていただく」
真壁は卿を見た。卿は、机の上で指を組んだ。
「それで、負担金の六割になる」
「残りの四割は、存じません」とグレーフェは言った。「私は炭屋で、金貸しではないので」
正直な男だった。
卿は長いこと黙っていた。壁の白い四角を、見るともなく見ていた。
「顧問どの」
「はい」
「千俵なら、負担金は払えた」
「はい」
「これでは、四割足りん」
「はい」
真壁は、それ以上のことを言わなかった。言えることがなかった。足りないものは足りない。条文をどう整えても、銀は湧かない。
卿は、もう一度だけ壁を見た。それから商人に向き直った。
「絵は、もう売るものがない。馬を二頭と、狩り場を王都の伯父に質に入れる。それで春は越せる」
「閣下」ユストが思わず声を出した。
「黙っておれ。爺に麦と同じだと言われたのだ。種籾を食う百姓がどこにいる」
グレーフェが立ち上がり、手を差し出した。卿はそれを握った。
「文書は、いつ」
「三日ください」と真壁は言った。「正文は古語で。写しを都の言葉で。それから」
彼は少し迷って、言った。
「村との取り決めのほうには、村の言葉の写しもつきます。条件として引く以上、あなたにもお渡しすることになりますが」
「村の言葉の、文書?」
商人は初めて、心から驚いた顔をした。
「そんなものに、効き目があるんですか」
真壁は答えられなかった。
それは、まだ誰も試したことがなかった。




